真夏の昼間だというのに、
「本当に噂通りの場所だな…」
「うん…」
深豊と永憐は地面に落ちているカラスの死体を避けながら、一歩ずつ茂みの奥へと進む。上へと登るにつれ邪気が濃くなるのだが、二人は鍛錬を極めた上級修仙者の為、露程も感じない。
「あれか…」
「うん…」
視線の先には、薄暗く不気味に佇む漆黒の蔵が見えた。
噂では聞いていたが、玄天遊鬼が実際に封印されていたといわれる蔵を見るのは、二人とも初めてだった。
「こんな所まであの妖魔を引きずってきたのか?
「確かに。こんな所で激しい闘いができるとは思えない」
永憐はふと足元に目を遣る。
するとそこには、勢いよく剥がされた呪符が酷く汚れた状態で落ちていた。
永憐はそれを手に取り、深豊に渡す。
「恐らく、誰かがこれを剥がしたんだ」
「ん?何だ?って、おい!こ、これって…」
「そうだ。冠月道長の
「こんな強力な呪符、誰が剥がせんだよ?!」
冠月がかつて使用していたというこの伝説の邪滅印符は、相当な力を持つものでなければ剥がすことはできない。例え、この
永憐が深豊に尋ねた。
「
「天京?知らねぇな…。噂で名前は聞いたことあるが、実物は見たことねぇ」
永憐は、先日没した
「ほ〜。朱色の狸ジジィは、何を考えてるか分からねぇな。ここ最近、橙仙南でも妙な話があってよ…」
深豊は話しながら永憐と一緒に蔵の中に入り、地面の石についたただならぬ血痕の跡を辿る。
「
「端栄と?」
「あぁ。何か裏でやってんだろーな。それに、外で園遊会をド派手にやってた橙武帝の皇后様も、最近は宮殿に引き篭っちまって、何かに取り憑かれたかのように病んでるらしい」
血痕の跡を辿った先には、岩に激しく飛び散ったであろう激しい血飛沫の跡があり、永憐と深豊は怪訝な顔をする。
「すげぇ血。これは普通に殺された跡じゃねーぞ」
「うん」
「いきなり内臓でも剥ぎ取ったのか?」
深豊の剥ぎ取ったという言葉に、永憐は一つの仮説を立てた。玄天遊鬼はここで誰かの身体を剥ぎ取って、そいつになりすまして、今もどこかで生息しているのではないかと。
天京が何者なのかは分からないが、玄天遊鬼である可能性は極めて高い。それに…。
永憐がそう考えている横で、深豊が続ける。
「なぁ、
永憐は腰に下げている
「今もこれが存在してるんだ。できない事はないと思う」
永憐のその言葉に、深豊は笑みを湛えた。
しばらくして二人は閉山を降り、別れ際に言葉を交わす。
「じゃあな、天藍。気をつけろよ」
「うん。何かあれば私も橙仙南へ行く。また知らせてくれ」
二人はそう言ってそれぞれに縮地印を結び、それぞれの国へ帰っていった。
永憐が宋長安に戻ると、宋武帝から紫王殿に来るよう呼び出された。
「すまないな、永憐」
「いえ、どうしたのですか?」
向かい合って座っている永憐に、宋武帝が鶴紙を差し出す。
そこには、
「
宋武帝は眉間を揉みながら言う。
永憐は受け取った鶴紙を折りたたみながら、深豊から聞いたことを宋武帝に話した。
「ふ〜ん、妙だな。何がしたいんだ…あの
宋武帝が嘆く気持ちも分からなくはない。それもそのはず。宋長安では長い喪が明け、立て続けに死んでいった三人の位牌が、ようやく廟に安置されたばかりなのだ。
宋武帝は相次いだ不幸が重なったこともあり、永憐よりも満身創痍だ。
しかし、どんな事情があろうと時勢は待ってはくれない。
宋武帝は重い腰を上げて、立ち上がった。
「永憐。直接、橙仙南へ行けるか?」
「はい。いつでも」
「では、
その言葉に永憐は片方の眉を釣り上げた。
橙仙南に
宋武帝は続ける。
「お前、手怪我してるだろ。御医が側に居てくれた方が安心じゃないか。それに、たまには気の合う女子と二人で飯でも食ってこい。気分転換になるぞ」
宋武帝は愛情に満ちた温顔を永憐に向けた。
永憐は何も言わず少考し、小さく頷く。
それから永憐は藍殿へ戻り、蘭瑛に鶴紙の経緯を話した。
「という訳だ…。お前も来るか?別に無理にとは…」
「行きます行きます!だって、久しぶりに宋長安を出れるんですよね?!」
言葉を遮られた永憐は、
永憐は悟られまいと、平然と何食わぬ顔で「ならば、明朝に出る」と言い残し、蘭瑛のいる部屋から風が抜けるかの如く出ていった。