目次
ブックマーク
応援する
4
コメント
シェア
通報

第三章 求是

第一話 閉山


 真夏の昼間だというのに、閉山へいざんの周辺は霊気と邪気が漂うせいか、ひんやりと肌寒い。

 玄天遊鬼げんてんゆうきの動向を探る為、討伐を終えた永憐ヨンリェン深豊シェンフォンは枯れた木々たちが並ぶ蕪穢ぶあいな閉山に、足を踏み入れていた。


 「本当に噂通りの場所だな…」


 「うん…」


 深豊と永憐は地面に落ちているカラスの死体を避けながら、一歩ずつ茂みの奥へと進む。上へと登るにつれ邪気が濃くなるのだが、二人は鍛錬を極めた上級修仙者の為、露程も感じない。


 「あれか…」


 「うん…」


 視線の先には、薄暗く不気味に佇む漆黒の蔵が見えた。

 噂では聞いていたが、玄天遊鬼が実際に封印されていたといわれる蔵を見るのは、二人とも初めてだった。


 「こんな所まであの妖魔を引きずってきたのか?冠月グァンユエ道長は?!一体どんな超人なんだよ?!」


 「確かに。こんな所で激しい闘いができるとは思えない」


 永憐はふと足元に目を遣る。

 するとそこには、勢いよく剥がされた呪符が酷く汚れた状態で落ちていた。

 永憐はそれを手に取り、深豊に渡す。


 「恐らく、誰かがこれを剥がしたんだ」


 「ん?何だ?って、おい!こ、これって…」


 「そうだ。冠月道長の邪滅印符じゃめついんふだ」


 「こんな強力な呪符、誰が剥がせんだよ?!」


 冠月がかつて使用していたというこの伝説の邪滅印符は、相当な力を持つものでなければ剥がすことはできない。例え、この青藍チンランと呼ばれた最強の二人であっても、宋武帝たるや国の年長者であってもだ。

 永憐が深豊に尋ねた。


 「天京テンキョウと名乗る者を知らないか?」


 「天京?知らねぇな…。噂で名前は聞いたことあるが、実物は見たことねぇ」


 永憐は、先日没した美朱妃ミンシュウヒと天京が、深く関わりを持っていたことを話した。


 「ほ〜。朱色の狸ジジィは、何を考えてるか分からねぇな。ここ最近、橙仙南でも妙な話があってよ…」


 深豊は話しながら永憐と一緒に蔵の中に入り、地面の石についたただならぬ血痕の跡を辿る。


 「橙仙南とうせんなん橙武帝とうぶていと弟の橙剛俊トウガンジュンが酷く揉めてて、この弟がよく狸ジジィの側近、端栄タンロンと会っているらしい」


 「端栄と?」


 「あぁ。何か裏でやってんだろーな。それに、外で園遊会をド派手にやってた橙武帝の皇后様も、最近は宮殿に引き篭っちまって、何かに取り憑かれたかのように病んでるらしい」


 血痕の跡を辿った先には、岩に激しく飛び散ったであろう激しい血飛沫の跡があり、永憐と深豊は怪訝な顔をする。


 「すげぇ血。これは普通に殺された跡じゃねーぞ」


 「うん」


 「いきなり内臓でも剥ぎ取ったのか?」


 深豊の剥ぎ取ったという言葉に、永憐は一つの仮説を立てた。玄天遊鬼はここで誰かの身体を剥ぎ取って、そいつになりすまして、今もどこかで生息しているのではないかと。

 天京が何者なのかは分からないが、玄天遊鬼である可能性は極めて高い。それに…。

 永憐がそう考えている横で、深豊が続ける。


 「なぁ、天藍テンラン。俺らに玄天遊鬼を倒すことはできると思うか?」


 永憐は腰に下げている永冠ヨングァンを触り、少し間を置いて答えた。


 「今もこれが存在してるんだ。できない事はないと思う」


 永憐のその言葉に、深豊は笑みを湛えた。

 しばらくして二人は閉山を降り、別れ際に言葉を交わす。


 「じゃあな、天藍。気をつけろよ」


 「うん。何かあれば私も橙仙南へ行く。また知らせてくれ」


 二人はそう言ってそれぞれに縮地印を結び、それぞれの国へ帰っていった。



 永憐が宋長安に戻ると、宋武帝から紫王殿に来るよう呼び出された。


 「すまないな、永憐」


 「いえ、どうしたのですか?」


 向かい合って座っている永憐に、宋武帝が鶴紙を差し出す。

 そこには、朱源陽しゅうげんようがあの天京テンキョウと名乗る者と手を組み、橙仙南とうせんなん河南こうなんに侵略してきたと、そこに付随して赤潰疫のことも書かれてあった。


 「橙敏俊トウビンジュンからだ」


 宋武帝は眉間を揉みながら言う。

 永憐は受け取った鶴紙を折りたたみながら、深豊から聞いたことを宋武帝に話した。


 「ふ〜ん、妙だな。何がしたいんだ…あの温朱オンシュウは。もう争いは勘弁してくれ…」


 宋武帝が嘆く気持ちも分からなくはない。それもそのはず。宋長安では長い喪が明け、立て続けに死んでいった三人の位牌が、ようやく廟に安置されたばかりなのだ。

 宋武帝は相次いだ不幸が重なったこともあり、永憐よりも満身創痍だ。

 しかし、どんな事情があろうと時勢は待ってはくれない。

 宋武帝は重い腰を上げて、立ち上がった。


 「永憐。直接、橙仙南へ行けるか?」


 「はい。いつでも」


 「では、六華鳳宗ろっかほうしゅうの御医を連れて先に向かってくれ。私は宇辰ウーチェンと河南へ寄ってから橙仙南に向かう」


 その言葉に永憐は片方の眉を釣り上げた。

 橙仙南に蘭瑛ランインを連れて行くのかと…。

 宋武帝は続ける。


 「お前、手怪我してるだろ。御医が側に居てくれた方が安心じゃないか。それに、たまには気の合う女子と二人で飯でも食ってこい。気分転換になるぞ」


 宋武帝は愛情に満ちた温顔を永憐に向けた。

 永憐は何も言わず少考し、小さく頷く。

 それから永憐は藍殿へ戻り、蘭瑛に鶴紙の経緯を話した。


 「という訳だ…。お前も来るか?別に無理にとは…」


 「行きます行きます!だって、久しぶりに宋長安を出れるんですよね?!」


 言葉を遮られた永憐は、欣喜雀躍きんきじゃくやくな蘭瑛の反応を見て、平坦な感情の水面が少しだけ浮き立った。

 永憐は悟られまいと、平然と何食わぬ顔で「ならば、明朝に出る」と言い残し、蘭瑛のいる部屋から風が抜けるかの如く出ていった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?