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第2話:再開とマジョ

 フローレンスが去ってから、研究室は静寂に包まれた。いつの間にか日は傾き、木造の部屋は夕日に照らされ、オレンジ色が強くなっている。一人になると、またあの「白昼夢」が気になってきた。……そういえば私はお師匠のような魔術を使いたいと思っていた。しかし結果は、王立大学自然科学教授という、魔女とはある意味正反対の職業になってしまった。この十数年で、魔術は幻であり、科学こそこの世に存在する絶対法則だと、言われるようになった。数十年前まで魔術だの錬金術だの言ってた人間が、いきなり科学にシフトする光景は、私には酷く不気味なものだった。——もちろん今でも。



「あれ、これってたしかフローレンス君の……」

 彼女がいつも使っている手帳が机の上にあるのを見つけた。忘れていったのだろうか。

 誰かがコンコン、とノックが聞こえる。フローレンスが取りに戻ってきたのかもしれない。反応する前にドアが開けられる。

「失礼しまーす」

「フローレンス君か?忘れ物ならそこに……?」

 振り返るとそこには、懐かしい人物がいた。


「やあ、元気にしてた?」

 紫と黒を基調としたローブに身を包み、もはや街中で見かけることはない、とんがり帽子。整った銀色の髪、真紅の瞳、その全てが、少年時代に私がお師匠と呼び慕っていた「魔女」であることの証左である。


「お師匠……!お久しぶりです」

 先ほど見た白昼夢のせいもあってか、うまく言葉が出てこない。

「やあ、だいぶ成長したね。成長期?ちゃんとご飯食べてる?」

 私のもとに駆け寄り、頭に手を当てられる。昔は見上げる存在だったが、今ではほぼ同じ身長だ。

「いや、自分もう成人なんですけど?」

「え?マジ?時の流れって恐ろしいなぁ……」

「……そういえば、お師匠は全然見た目が変わってないですね」

 私が幼い頃、既にお師匠は二十かそこらの見た目だったはず、そうなると今は少なくとも三十五とか四十くらいの年齢になるが、それでもあの頃と全く同じ見た目に見える。

「えへへ、そうでしょー?なんたって私は魔女様だからね」

 えっへんと胸を張るお師匠。性格もあの頃のままだ。




「積もる話が沢山あるところだけど、今日は君に依頼をしようと思って来たんだよね」

 部屋の端にあるソファに座らせ、紅茶と先程まで食べていたクッキーを出す。日は完全に落ちて、部屋が少し暗く感じる。

「依頼?」

 教授の私に依頼?お師匠は私を探偵か何かと間違えているのではないのだろうか。


「うん、端的に言うならば……『私を捜索してほしい』」


 お師匠がそう言ったあと、研究室は一瞬の静寂に包まれる。

 彼女がクッキーを手に取り、口に放り込む。サクッ、とクッキーを噛む音だけが聞こえる。


「え?お師匠は眼の前にいるじゃないですか?」

 話が一向に見えてこない。自分探しの旅をアウトソーシング外部委託しようとでもしているか。


「……まあ、それはそうなんだけど、なんというか……」

 ゴニョゴニョ何かを言うお師匠。あれ、こんな説明が下手くそな人だったかな。

「……質問に質問で返して申し訳ないけど、君は「魔女」ないしは「魔術」についてどう思ってる?」

 一拍考えてから、口を開く。


「非科学的存在か、もしくは超科学的——今の科学では説明がつかない存在ですかね」

「え?私のことそう思ってるの?」

「ええ、まあ」

 私は腐っても教授だ。流石に魔術を証明するのは難しい。だからお師匠の存在自体もよくわからない。本当に魔女というものが存在するのか、それとも魔女を名乗る近所のヤバい人なのか、私でも答えは出せない。


「まあいい……君のその答えは当たらずとも遠からず、ってとこかな」

「そうなんですか」

「ちょうどいい、私を探すついでに『魔女とはなにか』、この問いも考えてみるといいよ」

「ええ……」

 それって単にお師匠が説明するのが面倒なだけなのでは、という言葉が出そうになった。


「【私達】魔女は、君が思っている程度の存在ではないことは言える。まあ、そんな感じで頼むよ、これヒントね」

 お師匠は机に本を置いた。表紙も背表紙も何も書かれていない。そして、立ち上がって早々に帰ろうとする。

「ちょっ、待って下さいよ」

「君がまだ『魔術に興味がある』なら、私を探してみなよ」


追いかけようとした所で、バンッと研究室の扉が勢いよく開けられた。


「あのっ、すいません。手帳を落としてませんか?」


 ………………


 焦った様子で入ってくるフローレンス、帰ろうとするお師匠。帰らせまいとお師匠の手を取ろうとした私。この三拍子が揃っている。


「手帳はそこに」

 と指を差した瞬間、フローレンスは目にも留まらぬ速さで手帳を回収し、ドアを閉めて帰っていった。

「しししし失礼しました!!!」


「彼女は君の生徒かい?」

 少しだけ驚いた表情をしながら、お師匠は私に尋ねてくる。

「ええ、まあ……?」


「なるほど……なるほど」

 何度が頷いた後、ニヤッとして、

「それなら、彼女を連れて私を探しに来たほうが良いかも。多分面白いことになるよ。彼女なら【私達の落とし物】を見つけられるかも。じゃ、そーゆーことで」

 薄々思っていたが、今日のお師匠はやけに含みのある言葉を使う。私が知っているお師匠はもっと馬鹿で安直だったはずだ。


「よっこいしょ」


 散々変なことを言って満足したのか、お師匠はなぜか来た時とは違う方法で帰っていった。具体的に何をしたかというと、窓からひょいっと飛び降りていった。

「えっ!?」 

 急いで窓から顔を出す。しかし視界のどこにも、お師匠の姿はない。


「お師匠を探せ、かあ……」

 ふと、彼女が置いていった「本」を見つめている自分がいた。




 フローレンス・オガタはニューコメン・カワバタに知識勝負をするほど、知識について優れている。その能力は「全てを知らなきゃ気が済まない」という知的好奇心が旺盛なことに由来する。

 もし、その好奇心が、憧れの対象で、且つ対抗心を燃やしている相手に向かったらどうなるだろうか。


 答えは簡単である。「相手のことを隈無く調べ尽くす」のだ。フローレンス・オガタはニューコメン・カワバタを徹底的に調べ上げた。身長体重はもちろんのこと、家族構成から好きなもの嫌いなもの、本人が無意識に行う癖、黒歴史まで、彼女は徹底的に調べ上げた。その辺の諜報員よりも優秀な調査能力である。そして彼女は調べてことを全て持ち歩いている手帳に記していた。その手帳を偶に眺めるのかフローレンス・オガタの密かな楽しみである。


 この時代にはまだ「ストーカー」という概念は存在していないが、仮に存在していたらフローレンス・オガタのことを云うのであろう。

(手帳の中身は見られてない……良かった……)

 特定の手順を踏まないと開かない鍵付きの手帳は、鍵が掛かったままであった。


(そういえば、教授の部屋にいたあの女性、どこか私の見た目と似ているような……)

 フローレンスも年相応な趣味を持っている訳で、「そういう関係」であったら面白いなと思う一方で、「魔女」の見た目、特に長い銀色の髪は、自身の持っているものとほぼ同じである。彼女はそれに妙な違和感を覚えるのであった。

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