まだ来ないのか。
鳳はそわそわと落ち着きのない様子で部屋の中を歩き回る。
部屋には花模様が緻密に彫り込まれた椅子と揃えで作られた机が窓際に置かれている。
廊下に通じる扉の他に寝室へと繋がる扉があり、その扉は開かれていた。
毛布や枕の色が以前と違う。
枕が二つ、接するように置かれており、鳳は吐き気がした。
枕元に焚かれた香がこちらの部屋にまで流れ込み、不快感だけが強まる。
鳳は寝室の扉を閉め、新調されたばかりの寝具を視界から消した。
いつまで待たせる気だ。
いつもであれば鳳が来たと報告を受ければ飛んで来る凜抄だが、今日に限って一向に姿を現さない。
待っている時間が異様に長く感じる。
「蒼子っ……」
思わず口から零れた自分の声も、大きく跳ねる心臓の音でよく聞えない。
蒼子が攫われたと天功が店に飛び込んで来た。
鳳は頭の中が真っ白になり、蒼子を攫ったのが桂月であること知り、身体が沸騰するような憤りを覚えた。
そして同時に、今まで凜抄との関係を切れなかった自分を呪った。
俺がもっと早くにあの女を切っていれば……。
最初は商売相手、金持ちの客でしかなかった。
次第に商品ではなく、自分を求めてくるようになり、相手をしたのが間違いだった。
求められれば応えるのが男の性。
女は好きだ。
柔らかい身体に、甘い匂い。口を吸い、肌を食みたくなるのは本能だ。
無理強いはしないが、嫌いでないならば求められれば応えたくなる。
だが、一度相手をすれば凜抄は止まらなくなってしまった。
鳳を自分の物だと思っているに違いない。
こうなる前に手を打つべきだった。
凜抄が蒼子と会ったあの日、凜抄が蒼子を見る目は怒りに満ちていた。
凜抄が蒼子に手を上げようとしたあの時、振り上げた手は本気だった。
鳳の言葉も、凜抄の蛮行に拍車をかけたに違いない。
俺が……蒼子を大切だと、あの女の前で言ったから……。
鳳は強く握った拳を震わせ、唇を噛み締めた。
自分の不甲斐なさに頭痛がする。
頭に血が昇っているせいでクラクラする。
鳳は落ち着かない心を落ち着けるために用意してあった椅子に腰を降ろす。
椋と柊には邸の外から探るように伝えてある。
この邸は凜抄の気性が荒いため、使用人が居着かず、使用人の人数が足りていない。広い邸だが、人気のない所も多い。
椋と柊には外から探るように命じてある。
「くそっ……」
紅玉と一緒だからと思っていたが、しっかりしていても十五、十六の子供。
あの細身では体格の良い桂月に敵う訳もない。
鳳はズキズキと痛むこめかみを押さえ、息をついた。
「蒼子っ……どうか無事でいてくれ」
流石の蒼子も泣いてるだろうか……。
凜抄に暴力を振るわれて泣いているかもしれない。
もしや、下賎な輩に売られそうになっているのか。
あの愛らしい顔が苦痛と恐怖で染まり、小さい身体に傷が付く様が脳裏に浮かび、不気味なほど鼓動が大きくなり、気分が悪くなる。
そう思うと居てもたってもいられなくなった。
「もう待てん!」
そう言って鳳が勢い良く立ち上がった時だ。
「そんなに早く私に会いたいと思っていて下さったの?」
その声に振り向くと不気味に微笑む凜抄が立っていた。
「待たされる者の気持ちが分かったのではなくて? 私がいつも貴方を心町にしているように」
扇で口元を隠し、鼻に抜けるような声で言う。
「蒼子はどこだ?」
「うふふ、せっかちですこと。とりあえず、お座りになって?」
「座る必要はない」
「子供の場所が知りたいのでしょう?」
小首を傾げて凜抄が言う。
「お座りになって?」
背筋が凍り着くその笑みで、凜抄は鳳に座るように促した。