一頻りゴブリンを狩り終えた三人。
今はゼェゼェと息を切らせて腰を落としている。
「やっぱ兄貴とソフィアの姉貴はバケモンだぜ」
「まじかー、俺ら三人だと三十体狩り終えたら次がリポップする前にとんずらが精一杯なのによ。パイセンが三十五歳って絶対嘘だろ?」
「おぉぉ、ソフィアちゃんの足が、閃く、お、おお——ゴブフォ」
呆れた様な表情で俺とソフィアの戦いを見つめる三人のうち、鼻の下を伸ばしていたケンゴの顔面にソフィアの蹴り飛ばしたゴブリンの胴体がクリーンヒットした所で、どこからともなく沸き続けていたゴブリンの気配が消失。
「モンスターは同じでも、まさか殺した瞬間〈塵〉になるなんてな」
ケンゴの全身に、今し方存在していたゴブリンが黒い塵と姿を変えて降り積もる。
その頭に〈魔石〉と呼ばれるモンスターの核、怪しげな淡い光を灯した菱形の石が落下。
小さな呻き声を置き去りに地面へと転がった。
「これで一五〇個目と——」
シンジ達が三十体目を討伐した数分後に再度同じ数のゴブリンがどこからともなく出現した時には驚いたが、ソフィアとの沈黙の時間に耐えかねていた俺はこれ幸いと乱入。
黙々とゴブリンを狩り続けていた訳だが。
「兄貴とソフィアの姉貴って、一体何者なんすか!? 〈ウェポンモジュール〉でもなさそうなオンボロ武器と、素手でゴブリンを百匹以上ノーダメKOとか」
「ほぼパイセン達だけでモンスターハウスカンストしたしなー」
「く、くちにゴブリンの灰がっ灰がぁあ! おれ、ちょっと水場探してくる——」
呆れた様子で俺とソフィアを見遣る二人、なぜかその場を駆け出したケンゴの背を見送りながらどうにも目立たないように様子見をしようと思った矢先に早速やらかしてしまったらしい。
「あ〜、【身体強化】ってのがあってな? それならゴブリンの百や二百ぐらい余裕で」
「「いやいやいや」」
俺の苦しい言い訳に猛然と首を横に振る二人。
またやらかしてしまったらしい。
チラリと視線をソフィアに向ける。
なぜかいきなり部屋の中央に出現した宝箱らしき物に驚愕しながらも恐る恐るその辺の棒で突いたりして宝箱の様子を伺っている。
可愛らしい事この上ないが援軍は望めない。然らば。
「ちなみに、君らが弱いだけで世間じゃ割と普通だったりは?」
「「ないっす!」」
「よし、忘れろ。お前らは何も見聞きしていない」
「「う、うっす」」
ゴキっと指を鳴らして微笑めば、素直に頷く二人。
根はいい奴らだ。
「本当パネェっす兄貴! オレらも【身体強化魔法】は武器構えた時から展開してんすよ?」
「てか、パイセン!【身体強化魔法】の〈マギチップ〉を最初に購入するのは基本中の基本っす! そっから地道にザコ狩って金ためて、つぇえ魔法と武器を手に入れるのがセオリーですよ! たまに今ソフィアさんが突いてる宝箱——ダンジョンのミッションクリア報酬で宝箱から運が良ければ〈魔法の原書〉が手に入ることもあるっすけど……」
——【
ダンジョンに入る前から何となくわかっていた事だが、こいつらの言う魔法知識が現世の常識だとしたら、おいそれと【精霊魔法】なんて使えないな。
瞬間、右手の中指で指輪が赤く明減、抗議の訴えを始める。
災害級の魔法をぶっ放す事に至福の喜びを感じている奴には生きづらい世界だと思うし同情もするが、仕方ないだろう?
そもそもだ、現世に帰ってきてまで魔法の常識で疎外されるって……理不尽だ。
二人の反応に頭を抱えながらもユウタの指し示す方向を見る。
やっとの思いで開けたのか宝箱から取り出した本らしき物を掲げてご満悦のソフィア。
『父親』としての感覚はわからないが妹を見守る微笑ましい兄の心境はよくわかる……『舞衣』は今何歳になっているのだろうか。
頭によぎるのは異世界へと渡る前に別れた幼い妹の姿。
父さんと母さんも変わらず元気でやっているだろうか。
様変わりした現世への対応で余裕がなかった心境、張り詰めていた糸が緩んだ瞬間に溢れてくるのはこの二十年間秘め続けていた想い。
「一発で〈魔法の原書〉引くなんて……ソフィアさんパネェ」
「やりましたね兄貴! 手数料はバカ高けぇっすけど、あの〈原書〉を〈マギチップ〉に変換してもらえば新しい魔法が——」
唐突に訪れた感情の波、浸りかけた感慨から若者の声に引き戻される。
〈マギチップ〉ね、また驚愕するんだろうなコイツら。
何たってソフィアはアイツの娘だ。
「勇者!これ、【黒影の叡智】って言って影を自在に操る魔法!!
前の世界でも、とても貴重な魔法だった!」
昔、偶然手に入れた〈魔導書〉の手土産をはしゃいで喜んでいた、まだ幼かった時と変わらない純真であどけない笑顔。
今なお心を締め付け続けている罪責感が僅かに緩む。
「そうか。よかったな」
親心とも兄心とも言える不思議な、だが愛おしい感覚で自然とその頭に手を置く。
「——ッ!? あ、あんた達、コレ欲しいならあげる、代わりに金目のものを寄越して!」
グッと俯いたかと思うと俺の手から温もりが離れた。シンジとユウタの元に駆け出すソフィア。
可愛らしい恐喝もあったものだと頬を掻きながらも思う。
若い子との距離感って、難しい。
「え! いいんすか姉貴っ! 俺らの身包み剥いでも足んねぇすよ!?」
「いやソフィアさんっ! 流石にそれはパイセン達の」
遠慮する二人にソフィアは素気無く言った。
「もう覚えたからいらない」
「「は?」」
魔に最も愛された種族の王。
その娘が魔法というある意味親しい隣人のような概念に対し、天才的でないはずがない。
落ち着いたらソフィアも俺と反省会決定だな。
とりあえず背後から二人に見える様にゴキゴキしておく。
「「う、うっす」」
根はいい奴らだ。
ソフィアがせっかく恐喝してくれたのだ、きっちり金目の物は頂こう。
俺は二人の近くに腰を下ろして転がしてある大量の魔石の一つを手に取った。
「ちなみにコレ一個でどのくらいの価値になる?」
「コレだと、多分三千円とかくらいっすね!」
事もなさげに応えたシンジ。俺はしばし硬直する。
「あ〜こんくらいの大きさなら五千円は硬いっすよパイセン!」
俺の手にしていた魔石よりも一回り大きなサイズを持って人懐っこい笑みを浮かべるユウタ。
「ご、ゴブリン一匹で、五千円、だと?」
五千円。懐かしい紙幣の呼び名に感動を覚える一方で、俺の脳内に衝撃が駆け抜けていた。
異世界だとゴブリン討伐は一体につき銅貨五枚。
わざわざ解体して耳剥いで、魔石を心臓部から剥ぎ取って、臭くて汚い思いをしてやっと銅貨五枚だ。
「シンジ、ちなみに今、幕の内弁当一個買ったらいくらだ?」
「え? 幕の内……弁当は買ったことないんでわかんねぇっすけど、大体九百円とかくらいじゃねぇっすか?」
物価が高騰している!?
だったら千円の価値が俺の知っている時代とズレてっ?!
いや、まだだ。
幕の内はバリエーション次第で金額が異様に高くなる場合もあり得る。
ならば、俺の知る限り最も安定的かつ、お財布に優しいアレが最終防衛ライン!!
「もう一つ、聞かせてくれ」
「は、はい。なんすか?」
「特のり弁当、タルタル付きは……いくらだ?」
「あー、うまいっすよね!たしか税込で五九〇円だったような」
僅かに高いっ——だが、誤差の範囲! この勝負、勝った!!?
やはり特のり弁当は、俺の期待を裏切らない。
改めて考えてみる。
アッチじゃ銅貨一枚で安いパン一個分。大体百円くらいと考えて。
「十倍の価値だと!?——じゃあこの魔石全部換金したら」
対して労せず手に入れた魔石の山が急に宝の山に見え始めた。
俺はいそいそと脱いだ上着の中に魔石を集め始める。
動きが小市民っぽい? 俺は紛れもなく小市民だが?
そこへスッと追加の魔石の山が差し出される。
「俺らの分を合わせたら多分八十万くらいにはなると思うっすよ」
「ソフィアさんにもらった〈魔法の原書〉の価値には全然およばねぇっすけど」
はち、はちじゅう。
ゴブリンが八十万!? そんな大金をこの短時間で! なんて、なんてボロい、いや、いい世界に変わってくれたんだ日本! ありがとうダンジョン!
「……勇者がなんか変。その魔導書は? 売れるの?」
当時学生真っ只中だった俺が拝むことも出来なかった金額に感涙していると、目を細めたソフィアは彼らが〈魔法の原書〉と呼んでいる所謂〈魔導書〉を凝視しながら静かに問いかけた。
ソフィアさん、流石に今の流れから取り返すのはちょっと俺も良心が咎めるのだが。
「あぁ〜コレは、原則売れねぇんすよ。基本的に中で取得したアイテムや資源は〈
ただ〈魔法の原書〉はどのみち〈マギチップ〉に変えてもらわないと使用出来ねぇんで、所有権登録だけして手数料貯まるまでは管理局預かりっすけどね。
新しい魔法を取得できる価値は、俺ら〈
丁寧に説明してくれるシンジの話に、途中から売れないことがわかって魔石広いに没頭し始めたソフィアから聞き手を引き継いだ俺。
話に納得の反面、〈
魔導書は元来、読み解き、その〈魔法式〉を深く理解することで魔法を会得できる便利なアイテム……。
そう表現するには内容が難解で読み解くこと自体がそもそも至難であったり、適正の有無で苦労して読み解いた割に全くの無駄骨、という話もざらにある。
その点を鑑みれば如何にソフィアを含め魔族という種族が魔法への親和性が高く、彼女が魔王の娘という名に恥じない天才であるかが良くわかる。それよりも今、問題なのは。
「その〈マギチップ〉ってのは誰にでも扱えるのか? 預けた〈魔法の原書〉はもちろん返ってくるんだよな?」
当然のように問いかけた疑問、だがシンジとユウタは同時に首を横に振った。
「いや、〈原書〉はもどってこねぇっすよ? 〈マギチップ〉に変えられるんっすから! あとチップは基本所有者が登録しているウェポンにしか装着できねぇように〈魔力リンク〉が登録されるっすね!」
「あとは魔法をうまく扱える様に修行あるのみっす! 使い手によって威力とか魔法の形態?も変わるみてぇなんで、コイツがオレの魔法になった後どんな風に育つのか楽しみっす! パイセンにもぜってぇ追いつくっす!」
「いや、それはリーダーのオレのだろぉが」
「あぁ? コイツはソフィアさんからオレがもらったんだよ」
「「上等だゴラァ!」」
魔導書を巡って争い始めた二人を放置して俺は先ほどの話を反芻する。
どう考えても魔導書を回収されて魔法式を写した触媒を高額で売りつけられている哀れな若者にしか見えない……。
異世界でも同様の手法は用いられることもあったが、そもそも魔法式を理解すれば触媒は必ずしも必要な物ではない。
故にこの手法でターゲットにされるのは駆け出しでパーティーのバランスが整っていない初級の冒険者、あとは戦うことに慣れていない行商人が護身用で購入する程度だったはず。
この世界全体の魔法に対する見識が浅い故か本当の所は今この場ではわからないが、落ち着いたらそのうち調べてみるか。