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第20話


「それで、君はようやくこっち側から入ってきたわけだ」


 事件は清島の逮捕及び起訴を持って、僅かばかりの休息と言わんばかりにカンマが打たれた。

 当然、本件はまだ道すがらであり、清島が起訴されて裁判すらもまだ行われていない。

 そんな状態で祝杯を上げる事はできないものの、事件に関わった宮川には短い休息の時間が与えられた。その隙間の時間で、三島との約束を果たすに至る。


 ようやく患者としてクリニックを訪れた宮川は、久方ぶりに目にした白衣姿の三島に向かって、「ご協力感謝しますよ、ドクター」とわざとらしい敬語で笑みを投げた。


「事件が終わったってのに、意外に浮かない表情だな。まぁ、だからこそメンタルクリニックに通っているんだろうが」

「馬鹿言わないでくれ。一ヶ月前から比べると、ずいぶんと晴れた顔だろう。少なくとも、ようやく俺も前に進む事ができたって感じだ。ドクターには感謝している」

「そもそもだが、民間人に事件の解釈を尋ねるなんてことは、金輪際にしてほしいね」


 三島は適当な恨み言を並べつつも、そそくさとバイタルチェックを行いながら、さらさらとカルテに宮川の状態のことを書き込んでいく。

 別段大きな問題はないものの、「経過観察」という判断の下された宮川は、あくまでも与太話として、件の話に触れる。


 それは清島のことである。清島は最後まで、その動機について明瞭に話すことはしなかった。

 彼が話したのは、「被害者に対して自分がしたこと」であり、その一点だけが克明に話されていた。

 本来であれば詳細を語れば語るほど、その罪状が積み重なっていくことを、清島が理解していないはずがない。

 減刑という一点にのみに絞るのなら、清島が語るべきは、情状酌量を訴えるために必要な「同情を誘う動機」であろう。

 にも関わらず、ついぞ清島は自らの腹の底を語ることはなかった。結果として、甘んじて裁判に臨むようだった。


「清島はどうして、あんなことをしたんだと思う? 確かに人間を更生させるっていう動機は、こういうことに関わる人間なら誰しも考えることだろうが、やつは社会的地位も金もあった。それらをすべて棒に振るうリスクを知っての上だったんだぞ?」

「ちょっとさ、ここはクリニックだ。また事件の与太話をするのなら、別途手間賃をもらうぞ」

「待て待て、ほんの少しだけだ。清島は最後まで、自分の考えを語らなかった。にも関わらず、事件のことは詳細に囀ったんだ。どんな腹の中だったのか、気になるのは当たり前だろう?」

「相手の気持を想像することが刑事の仕事なのか? ずいぶんと主観的な刑事さんだ」


 継ぎ足した言葉すべてにストレートな正論で返され、宮川はすっかり言葉を失ってしまう。

 自分が一体どんな顔をしているのかわからなかったが、それを見かねた三島の態度を見るに、よほど捨て置かれたような表情であったのだろう。

 呆れ果てた三島は、「想像でしかないが」と沈黙の後に口火を切る。


「……彼にとって殺人は、天災かなにかと同じようなものだったのかもしれない。現に清島の家族は、交通事故で亡くなり、犯人もその半年後に死んでしまった。殺人であれば、人間という恨みの対象がいるが、天災だとぶつける相手がいない。そして恐らく清島は、多くの人間にとって、大切な者の死が最終的にそう解釈されると考えていたんだ」

「天災?」

「もし、大切な人を地震で失った時、人間はただ喪失感を抱くことになる。大地を恨むものもいるかも知れない、運命を恨む者もいるかもしれないが、どっちにしても最終的には喪失感が襲ってくる」

「だが、殺人で大切な人を失うことと、天災は全く別物だろう?」

「それはそうだ。だが、人の心っていうのは空っぽの器みたいなものだ。本来そこに、生きる意志が大切なものによって注がれる。人を喪うというのは、その器に一生塞がれることのない穴が空くようなものさ。殺人によって大切な人を喪った人たちは、犯人が死刑になれば、その穴が塞がると信じている」

「しかし実際は、穴は塞がることなく、生きる意志は溢れ続ける、ってことか?」

「そういうことだ。さながらそれは、壊れた箱とでも表現すればいいだろうか、毀れた匣できばことでも言えばいいかな」

「それが、清島の腹の底ってことか? 納得いかん気もするがね」


 宮川と三島の意見は真っ向から対立するが、三島はというと冷静な口ぶりで更に続ける。


「人間の精神なんてそんなものだよ。心は、ブラックボックスに入った器のようなものだ。そこに注がれているものがあるからこそ、人間は社会に居続けることができる。それは見ることもできないから、穴を見つけることもできない」

「だとしても、犯人がいるのに、天災という考え方をするのは、納得できないぞ」


 三島の弁に対して、宮川は未だ疑問符を呈し続けている。

 しかし三島はというと、宮川に対してその過去を遡るように言葉を投げた。


「君だって、犯人が極刑を受けた被害者遺族の話をしたことがあるだろう? そういう感情を持つ人もいるって話さ」


 その話を聞いて宮川は、木内によって引き起こされた強盗事件の被害者、長根亜希子の事例を想起する。

 長根亜希子の母親である道江は、「犯人に何をしてほしいか分からなくなった」と語っていた。

 それは率直に、今の三島の話に通づるものがある。同時に宮川には、これまで刑事として堆積してきた知識と経験がある。

 確かに、被害者遺族の中には犯人の極刑を望み、それが目標になってしまう場合もあった。そうなれば、目標が果たされた後に強い虚無感が襲ってくる。

 犯人が死刑に処された後、あるのは強烈な喪失感であろう。三島はその強い喪失と虚無の念を「天災」として表現したのだ。


「殺人も同じで、例えば犯人に判決がくだされて、極刑を受けて死刑に処されたとする。そこが一つの区切りなんだ。犯人が死ねば、遺族に残るのは、喪失感だろう。だから、清島はその部分を取って、殺人を天災として捉えていたと、僕は思うよ」


 一連の話を聞いて宮川は、長根道江のことを想起したものの、話そのものに納得することはできなかった。

 理屈は理解できる。だが、やはり「殺人」と「天災」とでは話が全く違う。

 確かに、自分でもそれが納得できることもある。その一方で、これまでの警察としての働きで、被害者遺族の表情が変わらなかったことはない。

 その経験から宮川は唸るような声を上げるが、三島はというとその態度に「当然それは違うものだ」と水を差す。


「だが、清島は恨むべく犯人も、事故で死んでしまった。それ以上、相手に対して憎しみを焚べても意味がないと考えたとしても不思議じゃない。そして、その喪失感が、人間の更生という考え方になったわけだ」

「……ちょっと待て、俺は正直、そこが最もわからない。どうして殺人を天災として捉えることが、更生につながるんだ? 彼はどうして、あらゆるリスクを負ってまで、私刑行為をしたんだ?」

「なんだ、わからないのか? 簡単だよ。被害者遺族の喪失感を、少しでも遅らせるようにするためさ」


 三島の言葉は、宮川にとって咀嚼し切るまでに多量の時間を求める事となる。

 言っていることが、綺麗に結ばれない気持ちの悪さがあった。一方、その態度を見て三島は、「なんと表現するべきか」と悩みながら、再び言葉をつなぐ。


「要するに、清島は死刑に対して反対だったってことだ。死刑に処してしまえば、恨みの対象がなくなってしまって、天災のような喪失感がつきまとう。清島は、擬似的に恨みと喪失感をどちらも経験した。だからこそ思ったはずだ。こんな喪失感が永遠に続くなら、犯人が生きていて、ずっと恨み続けたほうがマシ、ってな」

「あぁ……なるほど、そう言われると理解できるが……本当にそうなのか?」

「最初に言ったはずだよ。今までの僕の話は、あくまでも、僕の解釈に過ぎない。清島がどう考えて、どう苦しみ、こんなおかしな行動に出たのか、本人のみぞ知るのさ彼が喋らないということは、誰にもその内は分からないのさ」


 三島はそこでパタリとカルテを閉じる。同時に「人の心なんて」と、何処に向けるでもない言葉が病室に木霊する。


「いくら、知識を得て、分析して、経験したって、所詮人間の心はブラックボックス。外野ができることは、それを想像することだけ。ましてや理解して、テミス像の前に突き出すなんてこと、驕り高ぶった人間がすることだと、僕は思う」

「……前半は同意するが、後半はとんでもない話だ。たしかに人間の心は、誰にも見ることができない。だが、その見えない心を言い訳に、法に触れるような奴はろくなやつじゃない。心があっても、その心が人の心を奪うなんてこと、絶対にあっちゃいけないんだよ」

「当然だ。僕はあくまでも、心を推し量ることに対してのみを驕りだと思うだけだよ。人間には、自制し、お互いを尊重する心の機能を育てることができるはずだ。それができない人間を僕は軽蔑する。そんな人間を、事実と歴史で裁くのが、法だろう?」


 つらつらと語られた言葉に追い打つように、三島は「清島という男は」と指の関節を鳴らす。それは、三島が様々な考えの中で、最終的な結論を出す時のクセだった。


「自分の巨大な負の感情に押しつぶされて、沢山の人間に自分のエゴを押し付けた。それだけだよ。忘れていけないのは、法もまた、多くの歴史の賢人たちの共通したエゴであるかもしれない、ということさ」


 その話を聞いた宮川は、言葉を付け加えることなくただ首を縦に振る。まさしく、その解答は宮川のそれと全く同じものだったから。

 そこまでの話が展開された直後、三島は「君がいると診察の時間が長引く」と椅子を回転させて、そそくさと手で払いのける仕草を行った。

 それが明確に「とっとと帰れ」という意思表示だったのは目に見えている。

 聞きたいことを終えた宮川は、そそくさと立ち上がり「それではまた一ヶ月後」と時間の診断日を確認してクリニックを後にする。一区切りをつけるように、深々とした最敬礼を忘れずに行えば、三島の気恥ずかしそうな横顔が浮かび、こちらも笑みがこぼれてしまう。



 車に戻った宮川は、愛車に肘を乗せている意外な人物を目の当たりにする。


 それは捜査一課長である新井だった。「こんなところまでなんです?」と恨み言を呟けば、新井は胸ポケットから缶コーヒーを取り出して、宮川へと投げ渡す。


「今回の事件はご苦労だった」

「どういう風の吹き回しです? わざわざ非番の時に、デートの約束なんてした覚えありませんけど」

「清島誠一郎の裁判の日取りが決まってな。早速、来週からだそうだ。この事件は世間的な注目もある。お前も事後の処理も含めてやってもらわなきゃいけない。せめてもの労いさ」


 迅速な対応は、そのまま火消しの重要さを物語っている。

 警察組織にいるからこそ、本来であれば社会的な責任があり、事件の捜査や加害者支援を行う立ち位置の人間の事件は警戒する。

 それは十二分に理解していたが、新井がこんなことをするために時間を割く理由としてはやや弱い。

 宮川は、次の言葉を部下ではなく、同期として投げた。


「新井、もう一度言う。どういう風の吹き回しだ?」

「……不思議でな。あの事件から、すっかり腑抜けたお前が、どうしてこの事件を解決までに至ったのか、興味があってね」

「人の心はブラックボックス、推し量るなんて、驕りが過ぎるさ」


 宮川は三島の言葉をそっくりそのまま新井に投げつける。その言葉に新井はと言うと、「いい言葉だ」と肯定的な態度を示す。


「存外、人間なんてのは、自分の心すらも正確に把握できていないのかもしれないな。そうだろう? どうせお前自身、事件にのめり込んだ理由を言語化できないだろう」

「なかなかどうして、お前は人の腹の中を正確に表現するのが上手いかね。そうだな……」


 宮川は新井に対抗するように言葉を探した。

 しかしそこから先に続く言葉が出てこず、いくつかの逡巡を重ねて、「そう言えばあの新米のことだ」と思い出すように、この事件の参加の発破をかけた若い刑事のことを思い出す。


「俺に発破をかけた奴だよ。見ない顔だった。あぁいうのが大型新人っていうのか?」

「一体誰のことを話してやがる? 新米刑事がお前に発破をかけたってことか?」

「あぁそうだ。捜一で一番実力があるのに燻ってていいのか、ってな」

「そいつは高峰だろう。今年鳴物入りで入庁した奴だ。まぁ、確かに癖の強い奴だが、俺の知ったこっちゃない話だ。勝手にやってくれ」

「高峰か。それなら今度は俺が、発破をかける番だな」


 その言葉を聞き、新井は「期待しているぞ」と革靴を鳴らしてその場を去っていく。

 それがまさに、残り僅かかもしれない刑事人生を駆け抜ける狼煙になったことを、宮川も自覚する。


 ふと、三度「人間の心はブラックボックス」という言葉が目眩く。同時に宮川の視界には清島の残像が滲んだ。

 この男が考えていた「更生」は、確かに否定されるべきものだ。だが、刑事として改めて、最良の形でそれを実現しなくてはいけないという命題が遺される。


 当然、それは実現し得ない夢想であることかもしれない。だが、足掻き続けることが、清島の命題に対して、彼の行った罪へのせめてもの贖罪である。

 宮川は忘れぬようにと、腹の底にそれを刻み込み、車のイグニッションに鍵を差し込み、アクセルを鳴らした。


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