目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第19話



 宮川は再び取調室に舞い戻ってくる。今度はこの事件の発端とも呼ぶべき、犯人である清島誠一郎を目の前に据えたうえで、手順通りに氏名や生年月日、現在時刻、黙秘権などの説明を終える。

 一方の清島はそんなことさらさら興味もなさそうで、適当な相槌でやり過ごしている。

 もはや、裁判において必要な情報など、ガサ入れの段階である程度出揃っている。もちろん、取り調べにおいて必要な情報を整理し、起訴及び立憲のための手はずが整えることは周知の事実だ。

 恐らくは、清島もそのことを十二分に理解しているのだろう。


 しかし、宮川はどうしてもこの取り調べではっきりさせなければいけないことがあった。

 具体的に、あの犯行現場で何が行われていたのか、ということである。

 悔しい話、彼の言う「完全な更生」というものは、森嶋という単体の例を見れば十分成功していると言える。本当に、それが再現性に富むものであれば、やり方はどうあれ、その一端を学ぶ必要がある。

 少なくとも、清島の言うように、法治国家における更生システムは完全ではない。そもそも更生や再犯率というものは単純な話のみで語ることではない。

 何を持って完全な更生と呼ぶのかと問われれば、警察や司法、それこそ保護司などで全く違う答えが挙げられるだろう。

 宮川はそこで、「完全な更生」という言葉に惑わされている自分がいることに気づく。完全に相手のペースに巻き込まれているのは明白。

 必要なのは、状況の確認と何が行われていたのか。相手にペースを乱される理由などはない。


「清島誠一郎、アンタはあの自宅で、推定二十二人の人間への拷問行為を行った……これは事実だな?」

「……正確には、二十三人だ。あそこからなくなっていた空っぽの瓶は、森嶋悠人の手首だよ。それを含めて、二十三人」

「丁寧な訂正に感謝する。それで、どうしてこんなことを起こした?」

「言っただろう? 相手を完全に、更生させることだ」

「完全に更生させるとは、具体的にどういうことだ?」


 宮川の言葉に対して、清島はぎょろりと視線を向ける。その眼球の動きは人のそれとは思えないほど不気味であり、爬虫類のような冷たい温度を纏っているようだった。

 この男から迸る独特な気味の悪さは、宮川だけではなく、恐らく対峙したすべての人間が感じることであろう。

 その感覚を裏付けるように清島は自分の思う「完全な更生」を語りだす。


「自分のしたことの重さを、誰よりも理解することだ。自分がしてしまったこと、自分が奪ってしまった者の重さを、理解すること。償うことだ」

「ならば聞くが、アンタはどうやって、それを推し量る? 自分がしたこと、奪った者の重さ、償い、どうやってそれを十分だと理解する?」

「簡単なことだよ。罪を犯して、法的な刑罰を終えた後、精魂を込めて被害者遺族に謝り続けることができるかどうか、だ」


 宮川はそこで、森嶋や木内が、被害者遺族の元へ謝罪をしていたことを思い出す。

 確かに、両者どちらも、量刑を終えた後に謝罪をしている。どれだけの罵声や怒りをぶつけられようとも、床に頭を擦り付けて必死に土下座していたというのは宮川にとっても記憶に新しい。

 それは、宮川自身が「ありえない」ということを理解していた。

 既に量刑を終えた人間は、「自分は罪を償った」と理解するからであり、それ以上の謝罪など考えていない人間も多い。

 だからこそ、宮川は森嶋と木内の行動に驚いたのだ。重大な犯罪になればなるほど、直感的に遺族に対する謝罪の傾向は下がっていく。

 それが一つの指標であることについては納得させられる。しかしながら、問題になるのはそこまでに至らしめたやり方のほうだ。


「……被害者遺族への謝罪か。木内と森嶋は、それぞれの被害者遺族に対して、床に頭を打ち付けて謝ったそうだ。それは、お前が命じたんだな?」

「あぁ。解放した人間の場所はちゃんと把握していた。今は便利な時代だからね。スマホさえ持っていれば簡単に動向が把握できる」

「ずいぶんハイテクだな。自宅の押収品を調べれば、アンタが何をやっていたのかはすぐに分かるだろう」

「それならば、こんなところで話し合いをしている暇があれば、とっとと別の証拠を調べればどうだ?」

「生憎私は、証拠について調べるプロじゃないんでね。そういう専門的なことは他の面々がやっている。それにこちらが本当に聞きたいことは、あの現場で何が行われたのか、だ。アンタが前科者に何をして、量刑を終えた人間が被害者遺族に謝罪するまでに至ったのかについて、説明してもらう。あの部屋で、何をやった?」


 説明を求めた宮川に対して、清島は一切の拒否感もなく静かに語り始める。

 むしろ、清島は自分がしたことについて語りたくてうずうずしているようだった。最初送られてきた手首の時点で察していたが、やはりこの男は「自分のやり方」について絶対的な自信を持っているのだろう。

 愚かしい警察に対して、自分が編み出した人間を更生する方法について教示したい、そんな傲慢さも滲ませているのだ。

 そんな事を考えていると、虫酸が走る感覚に襲われるものの、気前よく話そうとしている人間に対して、水を指すような真似をするほど子どもじゃない。

 宮川は黙り込んで調書とペンを構えた。


「人を更生させる方法ってのはね、やり方を選ばなければ意外に簡単だ。やることは唯一つ。考える時間を、たっぷりと取ってもらうことだ。もちろん、命が奪われるかもしれないっていう極限状態でね」

「対象を誘拐して、あの椅子に縛り付けて、手足を欠損させるような拷問を行ったということか?」

「無粋な言い方だが、事象を説明するならそういうことだ。しかし、当然だが痛みだけでは人間は変わらない。痛みと死に対しての恐怖感、それと同時にもう一つ、人間には必要なものがあるんだ。宮川警部補、何だと思う?」

「もったいぶってないで、早く言え。あくまでもこれは調書、私から話すことではない」

「まぁ、警察風情がそんなことわかるはずもない、か。最後の必要なことは、振り返り、だ。考えてもらうんです。自分が生きてきた過去の出来事や、これから先の意味、自分にとって何が大切であるか、ということをね」


 彼は満足げにそう話し始める。堰を切ったようなその言い方が始まれば、もはや宮川の言葉の促しの言葉を続けるしかない。まるでからくり人形のように延々と話を聞くに徹する。


「素敵なシチュエーションだっただろう? 真っ白で見渡せる程度の部屋。情報一つない部屋は、マインドフルネスに最適な環境なんだよ。そんな部屋の真ん中に縛り付けられている状況に陥れば、大抵の人間はパニックになる。しかし、パニックっていうのは良いことじゃない。冷静な考え方をすることができなくなるからね。だから、そこから丸一日放置するんだ。時計の音だけが響く中でね」

「……時計は、見えない状態に?」

「この段階ではそうだ。時計の音だけ。外の景色もなく、蛍光灯を消せば真っ暗になるあの部屋で、二十四時間、ただひとりで取り残す。そこがスタートラインだ。それを過ぎれば人間ようやく冷静になって、あろうことか怒りを感じる人間すらも出てくる」

「それからは、何をする?」

「相手が生きがいにしていたことを、一つずつ折っていくんだよ。あぁいう前科者には、色々な奴がいる。ドラッグが好きなやつ、酒が好きなやつ、タバコが好きなやつ。どれもこれも、思い出に最後の一発をやらせてやるんだよ。そこから、それに必要なものを、落としてやる。指、足、鼻、丁寧に削いでやるんだ。でも死なれちゃ意味がない。死んでしまえばもう苦しむことができないだろう? だからちゃんと輸血もしてやるし、血液が止まりやすいように凝固薬も投与してやった」

「どうして止血しない? 感染病のリスクだってあるのに」

「やっぱり分かってないな。自分の体から血が流れる感覚ってのがどんなものか、わからないだろう? 目に見えるだけで、やばい、自分は死ぬかもしれないって感覚を何度も、何度だって味わえる……。だから最低限死なないように、自然と止血できるようにするんだよ。真っ白な空間に自分の血液が流れる……それだけで、人間は意外に、おかしくなるものなんだよ」


 ここまでの話は、宮川も三島や森嶋からの話しから推測できる内容だった。と同時に、三島が話していた内容の概ねが的中していたことに対して若干恐ろしさを感じさせられるも、一方で問題はここから先である。

 具体的な犯行について想像していた三島であっても、これから先のことは想像できなかった。

 これから先、何が行われていたのか。それが清島の言う「完全な更生」の足がかりになると確信した宮川は、無意識に調書に込められた指の力が強くなる。


「それから?」

「ある程度痛みを加えて、死を意識させてから、今度は質問をする。連中の人生のことについて、一つ一つ。例えば、人生で楽しかったこととか、幼少期の思い出とか、大切だった人のこととか、できるだけ前向きな内容を質問する。それに対して答えられなかった時、体の一部を切り落とす。適当な答えだったり、社会的に認められていないような回答をしても、しっかりと切り落とすのがコツだ。更に、質問は体を切り落とすごとに行い、かつ、血液が自然に止まるまで待つ。その間、聞こえるのは自分の絶叫と、時計の音だけだ。最高だろう?」

「……その答えが間違っていないことを、どうやって判断する?」

「簡単だ。曲がりなりにも保護司だったんでね。相手の状況や家庭環境、本人の特徴なんてものは、ある程度理解しているつもりなんだよ。十二分に洗いに洗って、計画を実行に移すのがコツだ」

「なるほど……職権乱用も甚だしい」

「確かにその通りだが、警察のような大きな力を持っている人間たちでも、更生なんてできないことを考えれば、私の職権の使い方は、警察よりも優位かもしれないな?」

「アンタのほうが優れているっていう、理由はどこにある?」

「……私の施術を施した人間は、例外なく、被害者遺族に頭を下げたよ。その汚い頭を床につけて、何時間も土下座をするほどに詫びた。被害者遺族に確認をすればわかることだろう。奴らは極限状態で、深く考えたはずだ。自分が何をしてしまったのか、自分にとって大切なものが失われるという感覚を、考えた。だからこそ、自分がしてしまったことの重さについて理解する。そうやって、完全な更生が行われていくんだよ」


 つまり清島は、子どもたちが学校で受けるような独特的な質問を犯人に対して行ってきたのだ。

 しかしそれは、ある程度規範的なものであること、更に清島が調べてきた事実にそぐうものでなければならず、そこから逸脱した答えがあった場合は、体の一部を欠損させるということだった。

 加えて、質問を行い、それに対して十分な回答でなかったときには、切り落とした患部を放置し、自力で血が止まるまでそれを眺めさせる。


 被害者たちはあまりの激痛で失神しかけながらも、流れる血を見つめながら、次の質問のことについて思考する羽目になる。

 考えるだけでも地獄の時間であろう。そんな時間を体験すれば、たしかに人間も変わるかもしれない。

 宮川はふとそんなことを思いながら、この方法について三島が思い浮かばなかった理由も納得できる。

 こんなことを思いつく人間は、既に人間のそれを遥かに逸脱している。三島と清島は、たしかに同じような精神医学のプロかもしれないが、決定的に「人間を人間として見ているか」の違いがあったのだ。


 そしてこの男は既に被害者たちのことを人間だと認識していない。

 そればかりか、罪を犯した人間は家畜未満の扱いであっても構わないとすら思っているのかもしれない。

 それを知らしめるように、清島は更に続けた。


「皆、勘違いしている。人間だから人間的に、それでは更生など至らない。本当に正しいものはなにか、それを十分に理解させるのは、痛みと恐怖。我々だって、嫌な失敗はもうしないように心がけるだろう? それは恐怖があるからだ。恐怖が、我々の知能を発達させるんだよ」

「……なるほど? だから知能も発達しないバカは、死んでも構わない、と?」


 宮川の言葉に清島は初めて表情を崩す。

 憤り、苛立ち、嘲笑。いくつかの感情が複合的に盛り込まれた視線の中、清島は露骨に宮川のことを見下した調子である。


「どうやら貴方は何も分かっていないらしい。殺してはいけない。生きてこそ、家畜は人間に変わることができる。だから私も、施術の際は莫大なコストを支払って、彼らを生かすのさ。死んでしまっては元も子もないからね。更生のためには命がなければ、そうだろう?」

「……あくまでも、更生ができればそれで、ということか?」

「あぁその通り、別に私は命を取る気はない。というより、命を取ってしまえば、彼らと同類に成り下がる。それでは意味がない。だからこそ、完璧な更生のやり方を、君たちに伝えたかった。宮川警部補、貴方が事件の舵を切ることになったのはまさに正鵠だっただろう。君なら、私の考えを理解できるだろう?」


 清島のその台詞で、宮川はハッキリと理解する。この男が警視庁にあえて手首を置いたこと。刑事である自分に対して、この男がやけに馴れ馴れしい態度であること。ガサ入れに来た大量の刑事に対して、一切の動揺を示さなかったこと。

 この男は、自分がしたことを心の底から正しいと思っていて、これを「完璧な更生方法」だと信じ込んでいる。

 宮川であれば、いやまともな頭のある刑事であればこの崇高さを理解できるだろう。いわば清島はそんなことを思っているのだ。恐らく、被害者たちがその後どうなったのかを知らずに。

 森嶋が彼にとって「最高傑作」として表現されるのは、まさに彼が唯一、完全な更生に近い存在であったからだろう。

 だから森嶋は、犯人である清島に対して警戒心もなく近寄って、こんなことをされてもなお、「あの人」と少し距離のある敬称を選んでいたのだ。


 宮川は、ありありと清島を始めとする周囲の人間関係について、理解し始める。

 この男は都合の良い解釈によって自らのことを神格化しているだけだ。そこまで行き着くと、宮川はようやく清島に対しての反論の言葉が喉元からせり上がってきた。


「なるほど、殺人は罪。これは更生……とんだ偽善者だな、アンタは」

「……なんだと?」


 清島は宮川に言われた言葉に露骨な怒りを滲ませる。まさに、そんなことを言われた清島は心外であると言わんばかりに、彼の瞳は真っ赤に火が灯った。

 攻撃的な色彩を持つ眼球は再び気味悪くぎょろりと上転する。それに対しても宮川は怯むことなく、けらけらと嘲笑的な笑いを浮かべるに至る。


「アンタ、どうやら知らないようだな。鳩羽奏斗、宮本文哉、糸部裕二、そして木内正久、当然覚えているはずだ。アンタの言う、施術がなされた、更生者だ」

「もちろん覚えている。それがどうした?」

「……全員、死んだ。自殺だよ」


 清島は本当に、彼らの自殺を知らなかったようで、露骨な狼狽を見せ始める。

 混乱、疑問。あらゆるマイナスな感情が浮かび上がったと同時に、今度はそれを払拭しようとする激しい拒絶が浮かぶ。


「何を言っている? どうして彼らが……」

「当然だ。アンタ、欠損させる時に、利き手以外を選んでいたな? 利き手さえあれば生活が多少困っても、なんとかできると踏んで」


 清島の表情からそれが図星だったことは明白である。そもそも、スマートフォンによる彼らの動向の把握ができているのであれば、清島が被害者たちの自殺を知らないのは無理がある。

 にも関わらず、清島は彼らの死のことを知らなかった。これはそのまま、「清島が犯行を終えた後の被害者たちの動向を調べていなかった」ことにほかならない。

 それこそが、今まで滲ませることのなかった清島の精神的な脆さに直結している。

 自分がしてきたことが、「犯罪」という枠組みではなかったと思い込んでいる決定的な証拠だ。

 宮川はこの時を待っていたとばかりに、「更生」をさ受けた人間の心理を代弁していく。


「痛み、苦しみ。確かに人として大切なものを、アンタは学ばせたかもしれない。だがそれは同時に、人として生きるうえで必要なものすら、奪うかもしれない。いや、アンタはそれを被害者から奪った。やったことは私刑行為のつもりだったかもしれないが、それはただの悪質な拷問だよ」

「……自殺など、それを選んだのは彼らの判断だ」


 清島の言っていることは確かにその通りかもしれない。だが、清島は激しく動揺していた。

 自分がしてしまったことに対して、初めての後ろめたさを感じ始めているのだろう。無理もない。崇高な更生者から、ただの殺人鬼にまで成り下がってしまったのだ。

 それに対して必死に自分を保とうとしている。相手に問題がある、自分のやったことが原因じゃない。必死の自己弁護は虚しく、そして痛々しい。

 そんな清島に対して宮川は、頭の中で霧島と嘯いた倉敷恒人の顔を浮かべながら、核心的な言葉を投げる。


「そもそも、アンタの更生で、本当に更生した人間なんているのか?」

「……一体どういうことだ?」

「アンタがどう思っていたのかは知らないが、思ったよりも警察が、アンタにたどり着くまで早かったと、思わないか?」


 宮川の言葉に清島が咀嚼し切ると、顔を顰めている。

 その態度が図星であることを理解させ、混迷の態度が浮かび上がる。やはり、清島は倉敷のことを知らない様子だった。

 この態度はすなわち、宮川がこれまで感じられなかった「清島の犯罪への認識」だった。

 自分がしたことが、更生であると信じて疑わず、ある意味で盲目的な妄執に囚われている。だからこそ、清島にはこれまで「犯罪に対する後ろめたさ」が感じられなかった。

 倉敷が悪意を抱いたまま社会で生きていることを知らない。

 ましてや倉敷が、清島自身の犯行を示唆するような手がかりを警察に渡したなど、想像もついていないのだ。


「倉敷恒人。自分が更生させた人間のことだ。忘れるはずがないだろう?」

「……彼が、何を……」

「一連の事件がアンタの犯行だって証言してくれた。そればかりか、あの犯罪者を早く逮捕しろって情報提供までしてくれたさ」

「どうして……あの男、更生ができてなかったということか……?」

「アンタが思っている以上に、人間の心は複雑怪奇だったってことさ。完全な更生なんてありえない。少なくとも、今の人間には、な」


 清島の表情が音を立てて崩れていくように、色彩を失っていく。

 自分の信じてきたものが倒壊していく感覚。信念はゆらぎ、今まで自分を凶行に駆らせていた感情の土台がバラバラと歪んでいくようだった。

 それに加えて、「自分が殺人をしてしまった」という罪悪感が彼の理性を食い潰している。だが未だ、清島は被害者たちの自殺を、自分のせいではないと反芻しているようだった。


「そんな……自殺は、私のせいじゃ……」

「いや、彼らは間違いなくアンタに殺された。被害者遺族に謝罪をすると言う善行のために、彼らは自らの命を差し出した。そうなんだろう? 完全な更生を目指した、清島誠一郎!」


 宮川はその時、破裂するほど机を叩いた。

 激しい衝撃に清島は初めて怯えを見せる。大きな音に怯んだ清島へ、宮川は顔を近づけてその腹の中を探った。

 同時に、清島の視線は腹の底を弄られることに対して明確な不快感が生じる。その微かな機微を、宮川は見逃さなかった。


「嫌だろう? 不快だろう? アンタがしてきたのはそういうことだ。相手に腹の中を探られるっていうのは誰であっても不快なんだ。警察は、それをしなくてはいけない。相手の人生を踏み荒らすことも、被害者の無念を晴らすことも、踏みにじることだってできる」

「なにが、言いたい?」

「アンタのいう更生、正義。それを考えるのはご立派だ。多くの人間がそうならなければいけない。これは俺も同意するしアンタは正しい。だがな、警察や司法は、個人の人生を、容易くメチャクチャにできる。刑事っていうのは、その大き過ぎる力を御しながら、お前らのような人間を見つけ出すんだよ。だから、百年もねぇ人の寿命で、完璧な答えを見つけるなんて傲慢さ、絶対に持っちゃいけねぇんだ。お前には、謙虚さも、人の心もなかった。それが、こうなった原因だ」


 宮川は思わず、うなだれる清島の頭を掴んでしまいそうになったが、寸前のところで理性が働く。

 同時に清島の打ちひしがれた眼差しと、マジックミラーの向こう側からの視線が突き刺さり、宮川自身が冷静さを取り戻す。

 それにこれ以上宮川から説教が必要なほど、清島はバカではない。それを体現するように、彼は糸の切れた人形のように、これまでの態度を翻し、頭を机に突っ伏していた。


「アンタの信じた正義を判断するのは、この世で大部分の時間を法の研鑽に使った番人だ。審判の日まで、アンタの正義を信じていろ。そこから先は、保障しないがな」


 宮川はそのまま調書を持って取調室を扉を閉め切った。

 まるでそれが、清島から自由を締め出す鉄の扉のようだった。それを閉め切った宮川は、二度と彼と対峙することはないと、何処かで直感させられる。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?