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第18話



 清島の確保が行われた直後、宮川は「最後に確かめなければならない事がある」と、清島邸を後にした。

 それに対して当然、難色を示すものもいたが、すっかりベテランの風格を取り戻した宮川の意見は容易く通り、車のアクセルを押し込ませるに至る。


 最後に確認しなくてはいけないことは明白だった。

 森嶋悠人の行先が途絶えた時、まるでこの機を待っていたように現れた男。霧島克己の存在である。

 未だ謎の多いこの男の正体と目的について、宮川は一連の捜査のなかで引っかかりとなっていた。

 恐らくは名前も、連絡先もすべてが虚実であるこの男の正体と目的など、なんとなくその正体は想像がついている。


 あの男、ほとんどの動作を右腕だけで動作していた。

 メモを取らせる時、左腕にメモ帳を乗せるような変わった動きは、よく考えれば違和感である。その理由は今となってはシンプルだ。左手首、もしくは左手の指先の何本かが欠損していたのだ。

 つまり霧島は、清島によって「更生の施術」を受けた被害者の一人、ということ。


 そう考えれば、不自然なタイミングで現れた点や、不自然に森嶋悠人の隣で居を構えていたことも合点がいく。

 霧島は森嶋との関係性を否定していたが、あれも全くの嘘であり、犯人の情報を掴むために積極的に交流していた可能性もある。当然その時には、「霧島克己」という人物名以外を名乗ってのことだ。

 思えば、あの住宅には表札すらもなかった。明らかに計画性を持って、霧島はあのアパートに住んでいたことは明白である。

 霧島は明確に、犯人を探しいた。そしてあわよくば、報復まで考えていた可能性もある。

 しかし、ただタレコミをするだけでは意味がない。自分の手は下さずに、もっと清島が苦しむような事を考えた。


 そこで考え出したのが、「清島が被害者を自殺に見せかけて殺害した」と警察に思わせること。


 木内の自殺現場には、不可解にも革靴の痕跡が見られた。

 宮川は「清島が犯人である」と言う確信を持った時、革靴の痕跡を清島のものかと思案するが、冷静に考えればこれは無理がある。

 確かに、清島は嘱託医と保護司の職業柄、革靴を日常的に使っていてもおかしくはない。だがそんな状態で、坂峠のハイキングエリアを大きく外れた、木内の自殺現場に向かうのはどう考えてもおかしい。

 そもそもあの現場において、革靴で来ること自体が危険である上、あえて革靴で来る必要などはない。

 靴を履き替えるくらい何ら手間ではないし、むしろ履き替えたほうが良いのだ。靴底にはそこの土が残り、土壌の成分から場所を特定することは簡単だからだ。

 あえて革靴で来るのだとすれば、「靴を履き替える時間もなくその場に来る必要があった」という必然性がある場合に限られる。

 そうなれば、逆算をして「日常的に革靴を履いている」という致命的な情報を与えることになるだろう。


 つまり最初から、あの革靴の痕跡はミスリード。

 同時にミスリードとしての靴の痕跡を相手、宮川自身に見せるためには、人が来ることに対してある程度当たりをつけなくてはいけない。

 それができたのは、意図的に情報を提供した、霧島しかいない。



「と、考えたのだが、どうだろうか?」


 宮川は意外にもいまだ、引っ越しもせずにその場に留まっていた霧島に対して、そう言葉を投げる。

 一連の考えを淡々と語られたその考えに、霧島は答え合わせでもするかのよにそれを黙って聞いていた。その様子を見て、自分の仮説が間違っていなかったことを宮川は理解する。

 しかし霧島は、「どうしてあえてそんなことを?」という当然の疑問符を、そのまま宮川へ返す。

 その言葉に宮川は、「決まっているだろう」と会話を切らなかった。


「犯人へ警察の目を向けさせるためだ。アンタも、腕を切り取って説法を説いた犯人の素性は知っていた。当然、前科者であるアンタがそれをタレコミしても、信頼度に差がありすぎる。大方信用されないと踏んで、別の手段を考えた、そんなところだろう?」

「……こいつは言い逃れできないな。流石、ベテランのデカってところか」

「全く、捜査の撹乱や木内の自殺を見過ごした可能性でしょっぴかれることだってあっただろう。偽名を使うくらいの頭があったんなら、リスク承知の上ってことか? それにそろそろ、本名を教えてくれないか? 霧島さんよ」


 民間人であったとしても、死体を発見した場合は通報義務が発生する。

 かつ、今回は現場保全を妨害しかねない行動までしているため、甚だ悪質であると認められた場合に関しては実刑すら考えられるだろう。

 霧島が偽名を用いたのは、そのようなリスクのことについても理解していたからだ。

 だがそれこそが、宮川の引っ掛かりとなる。冷静な頭で考えれば、その行動がどれだけのリスクになるのかは容易に想像ができるはずだ。

 一方、訪ねられた霧島はというと数刻の沈黙の後に、自らの名前を「倉敷」と改めて、その腹の中を語りだす。


「倉敷恒人、デカだったら同級生を殺ったクズだってことくらい知ってるか?」

「……倉敷、思い出した。高校生いじめ殺人事件の犯人か。生憎、俺は関わってないが……まさかこんなところでご対面とは」

「あぁ、保護観察付きで社会復帰したんだが……それで、あのいかれた野郎に手足を持っていかれたよ。散々痛めつけられた挙げ句、あの野郎、遺族に謝れなんて言いやがって、結局土下座まですることになった。おかしいよな? 俺は、しっかりお国の言う事に従ったっていうのによ」


 宮川は自分の眉根が斜めになっていないか心配になるくらい、表情筋が怒りで痙攣する感覚を覚えた。

 この男はまさしく、宮川は過去大量に対峙してきた、制御の効かない怪物だ。

 何においても、自分の行動が先に来て、本人の中の行動理念が最優先される人間。

 与えられた罰すらも自分勝手に解釈しては、暴虐な振る舞いを行うこの男に、更生を語ることは無意味に思えるほどだった。


 ここで宮川は、薄っすらと傾倒しかけていた清島の「完全な更生」の話に対して、完全にかぶりを振ることになる。

 あの男の主張は倫理的には完全に道を外していたが、それを間違っているとは言えない。だが、人間に「完全な更生」などを行うことは、現状は不可能。

 一瞥しただけで倉敷が、清島の凄まじい更生を受けたことは見て取れる。正直、宮川が同じようなことをされた場合、どれだけ正気を保っていられるかわからない。

 それを受けたとしても、この男は何一つ態度を翻すことない。未だ自らの非を感じることなく、淡々と怒りをぶつけて回っている。そんな姿を見れば、人が人を変えるなど、驕りとすら感じるほど愚かしいことのように思えた。


 人間は、変わらない。


 刑事と言う人生の中で何度も囁かれた言葉が、不意に頭をかすめる。

 時々少しばかり、「人間は変われるかもしれない」という希望が生まれ、またこうして奪われていく。何度繰り返しても慣れることのない感覚だった。

 それでも、宮川は刑事としての責務を全うすることのみで動いていた。

 だが、捜査をしている自らもまた人間。腹の底に沈み込んだ怒りは完全に姿を見せずとも、忠告と言わんばかりに倉敷へと忠告する。


「……一つ言っておく。今回お前は被害者という立場だったが、俺の証言や進め方次第で、お前はまた臭い飯を食うハメになる。それだけは十分、その空っぽの頭に入れておけよ」

「あぁ、流石デカだな。紳士装ってても、脅しやスカシはやるわけだ」

「脅しやスカシだと解釈するのはお前の自由だが、デカはお前の行動について正確に周りへ伝へる必要がある。今回はやむを得ず、非合法的な手段で事件捜査を助長したが、その態度はこれまでの行いへの反省のなさを思わせる……と俺が解釈すれば? その後は当然、分かっているだろう?」


 宮川の言葉に倉敷は睨みつけるような視線を向けながら、明らかに聞こえるように舌を鳴らす。

 その態度そのものが、悪辣な人間性を表現するには十分すぎるものの、それでも宮川は淡々とメモに書き落とす程度に留めた。

 これ以上、この男と会話していれば、頭が沸騰してしまいそうだ。


「……ひとまず、アンタは今回の事件の関係者だ。事件の情報提供はもちろん、証言台に立つ可能性だってあることもわかるはずだ。今度嘘を書き込めば、公務執行妨害でお前に似合う手錠をハメてやる。いいな?」

「わーかりましたよ。デカに喧嘩売るほどバカじゃねぇさ」


 倉敷は差し出されたメモ帳を奪うように手にとって、呆れた面持ちでつらつらと個人情報について書き込んでいく。

 連絡先、住所、最低限の情報が本物であることについて確認したところで、宮川は乱雑に倉敷の元から背を向ける。できればもう、二度と会うことがないようにと願うものの、これから先多くの場面で、この男と顔を合わせることになるだろう。

 明確な怒気の込められたため息を吐きながら車を出した宮川は、ようやく終わりが見え始めた今回の事件に対して嘆くように眉をしかめる。

 忙しなかった数日間が、二度と戻りたくない激務に晒されたような感覚を覚えたと同時に、自らの感情が何度も揺さぶられたことを肌で感じていた。


 久方ぶりに、「人間」と関わった気がする。加害者、被害者、それぞれの遺族。周囲の雑踏のような傍観者。そして従事する刑事たち。

 各々が、自らの中で大切な一つの柱を持って行動していることは、この年齢まで刑事をしているからこそ理解できるものだ。

 だがそれと同時に、飽くこともなく起こり続ける事件に対して、果てしない愚かしさと無情さを感じていたのも事実。だからこそ、清島が謳う「完全な更生」なんて幻想に一瞬でも焦がれてしまう。

 だからこそ、「完全な更生」などという甘言は存在せず、眼の前の人間にただ全力で向かうことしかできないことを悟る。

 それがどれほど無力なことであるかは、自分が一番良く知っている。

 それでも、人間はその無理難題に対して抗い続けることしかできない。それが、「法治国家」という不完全な完璧を標榜する中で、被害者遺族を宥めるせめてもの贖罪である。


 宮川は、刑事として必要な問いかけを再度、腹の底で噛みしめる。

 この感覚、この感性のみは、刑事として生き続ける限り、常に持っておかなくてはいけない大前提なのだから。

 唸るように走り抜ける景色の中で、宮川は暗がりの窓ガラスに映る自分の顔を一瞥した。そこには、苦くも清々しい、自分の顔が映っていた。


 同時に手札はすべて出揃った。

 取調室で笑みを浮かべているであろう、勘違いした正義を切り崩すことができる確証が宮川にはある。

 それはすなわち、自分自身が焦がれた「完璧な更生」なる甘言を、自ら倒壊させることと同義だった。


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