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第17話




 清島誠一郎の自宅は、坂峠から真逆の方角である風乃上に居を構えていた。

 一瞥するだけで普通の家屋のそれとは異なり、豪勢かつ何処か瀟洒な雰囲気を漂わせる洋風の建物。そんな清島家のインターホンを鳴らすと、家主である清島自身が玄関から顔を見せる。

 清島は一瞬面食らったような態度を見せるが無理もない。引き連れた刑事の規模は一般的な捜査のそれとは比較にならない。


「清島誠一郎さんですね? 先日は不躾にご連絡させていただき申し訳ございませんでした。私、警視庁捜査一課、宮川と申します。こんな大所帯で訪問させていただき申し訳ございませんが、今、お話よろしいですか?」


 宮川の穏やかな笑みに対して、清島はすべてを察するような表情を浮かべる。

 しかしその態度はすぐに翻り、平静の表情を貼り付けたように首を縦に振る。


「もちろんです、どうぞ、中にお入りください」


 宮川が引き連れてきた人員は八人。保護司とは言え萎縮してしまう規模感であるが、清島はほとんど動揺を見せることなく対応していた。

 一瞬宮川は、その清島の反応から「自分が検挙されることはない」という確信があるのではないかと感じた。

 その時点から、この男からは底しれぬ不気味さがあったが、宮川は男の態度から「自分は何も悪いことをしていない」という感情を読み取る。

 後ろ暗い感情がないからこその余裕ある態度。妙に合点がいく感覚を解しながら、清島の自宅で家宅捜索の令状と、本人の了承を得たうえで、自宅の中が調べられ始める。


「清島さん、少しお話をよろしいですか?」


 他の面々一斉に清島宅を引っ掻き回すのと同時に、宮川は清島へ会話を要望する。

 すると清島は、穏やかな態度で「もちろんですよ」と微笑みかける。同時に背後から、大きなものが動かされるような音が数度響き渡り、明らかに穏やかな雰囲気ではない。

 そんな状態であっても、清島は落ち着いた雰囲気は崩すことなく、「何からお話しましょうか?」と逆に質問を投げかけてくる。

 清島の態度は、あらかじめここに警察が来ることを察知していたような雰囲気すらある。

 一体何が彼にこのような態度を取らせるのか。宮川は無意識のうちに、その腹の底を探っているが、清島はというとただ静かだった。


 宮川は清島に対して敵意を向けることなく、静かに思案を巡らせる。

 普通、この状況に陥った犯人がこんな態度をすることは少ない。言葉や表情だけではない。身体的な態度にすらもその緊張や動揺の色は現れるはずだ。

 にも関わらず、清島にはそれが一切見られない。そればかりか彼は、宮川からの話に対して「何を話そうか?」と逆に質問をしてきている。

 犯人からすれば、刑事からの質問は一挙手一投足が致命傷になりうる、まさに忌避されることである。

 にも関わらず、清島は自らそれを促そうとしていた。


 そのような犯人がいないわけではないが、宮川がこれまで対峙してきた犯人像とはやや乖離する。この男は自分の犯行に対して絶対的な自信があり、犯行を行ってもバレることはないということを確信しているタイプだ。

 確かに、一連の犯行そのもので確認できた犯人像と、この男は矛盾しない。だが、そのような自信満々な態度は、本当の窮地に対しては極端に脆い性質がある。

 今の清島にはそのような態度は見られない。

 この状況は清島にとっては取るに足らない状態であるとでも言うのだろうか。

 どちらにしても、それも家宅捜索が終わるまでの間であると、宮川は確信しながら言葉を投げる。


「森嶋悠人さんの一件ではありがとうございます。実は彼、発見された上で保護されました。詳細については伏せさせていただきますが……」

「あぁ、そうだったんですね。彼は元気で?」

「難しい状態、とだけ言っておきましょうか。そのこと、お聞きしたいことがあるんです。あぁ、ここからは記録のために録音を失礼しますよ?」


 清島は、宮川の取り出したレコーダーに対しても、森嶋の話を出しことにも態度を崩すことはなかった。

 まるで他人事。そんな振る舞いに、宮川もまた態度で表出することはなかった。

 そんなところで、間髪を入れずに疑問符をぶつけていく。


「最初にご連絡した時、貴方は出所以降は連絡を取っていないと話していましたが、森嶋さんは、貴方と話す機会があったと話していましたが?」

「私は、あまり連絡を取っていないと言ったはずですが?」

「出所後の彼の動向について、知らなかったというのは、保護司であっても少々不自然であると感じるのですが、その点はどうです?」

「どうやら……宮川さんは保護司のことについてあまり良くご存じないらしい。たしかに保護司は、保護観察の一環として処遇活動も行うものですが、彼は保護観察がつけられていませんでした。よって、私が詳しい動向について把握していなくとも、別に不思議ではないでしょう?」

「保護司には地域の更生保護の役割もあるはずです。横の繋がりもあるでしょう。完全にわからないというのは、何処か作為的なものを感じます」

「……なるほど。つまり、私が彼の動向を意図的に隠匿した、とお考えで?」


 宮川のあくまで相手の状況を確認し、優位に取ろうとする会話口に、清島はそこに込められた意味についていとも容易く看破する。

 それほどまでに早く、かつ円滑に反撃に転じた時点で、宮川はこの男の本質を見誤っていたことに気付かされる。


 なるほど、この男は、「自分が犯罪を犯した」など、微塵も思っていいないのだ。

 だから一切の動揺もなければ、それを隠そうともしない。ただただ、自身が正しいと思う指標に従って動いているのだろう。

 思えばこれまでもこの男はそうだった。自分の犯行に対して絶対的な自信を持っており、それに寸分の迷いもなく淡々とした振る舞いをしている。だからこそ、この男はこれほどに余裕を持ってこの状況に臨んでいるようだ。


 全く持って狡猾な男。本来であればそんなことを思うところだが、清島が自分の行ったことを善であると確信しているのであれば、この反応は至極当然のものであると理解できる。

 なんなら、自分が下そうとしている私刑行為のほうが、法律が下すどんなものよりも優秀であると確信しているのかもしれない。確かに、全犯罪者が森嶋のように、擬似的な改心をしたのであれば、このように間違った自信を持ったことも頷ける。


「……どうでしょうね。私はただ、なんとなくの違和感、だけをお話しているだけです」

「左様ですか」

「まぁ、森嶋のことについてはその程度にして……そうそう、森嶋さんのことを探している途中で、霧島という男に会いましてね。彼は木内正久という、前科者と友人同士らしくてですね。彼のことについては知っていますか?」


 清島に対して宮川は、同時に複数の人間の話を出して動向を探る。

 「木内」と「霧島」の関係性は不明であり、清島との関わりもまた不明瞭。それでもその名前を出すことで見られる反応もあったはずだ。

 宮川は真剣な眼差しで清島の一挙手一投足を観察する。

 一方、宮川の言葉を聞き取った清島は、「霧島」という名前にはなんの反応を示すこともなく、木内と言う名前が出た時に表情を釣り上げる。

 間違いなく、この男は木内正久のことを知っている。

 これは確信だった。同時に、宮川は「霧島」という身元不明の男についても一つの推測が浮かび上がるが、それとほぼ同時に、それまで清島宅を捜索していた刑事の一人が「宮川警部補」と声をかけてくる。

 宮川と刑事は、清島の前で耳打ちで会話をする。


「物置から、犯行に使用されたと思われる薬品が大量に出てきました」

「薬品はすぐに調べさせろ。ついでに周りの血液反応も忘れるな」

 当然ながら、眼の前では耳打ちとあっても清島に会話は聞かれてしまうだろう。だが、それもまた宮川の作戦通りであり、視線の先には常に清島が映し出されていた。

 宮川は更に追い詰めていくように、清島に声を掛ける。


「いやぁ、申し訳ございませんね。なんでも、物置から、見慣れない薬品が出てきたというものですから、若いものが焦っちゃって。そういえば、清島さんは嘱託医でしたものね。差し支えなければ、なんの薬品であるか教えていただいても?」

「いやはや、それも調べればわかることでしょう? 宮川さん、まどろっこしい駆け引きは、少なくとも私には必要ありませんよ」

「それはどういうことです?」

「すぐに分かることです。少しばかり、自分語りをしても?」

「えぇ。構いませんよ」


 宮川は次々と定石から外れる清島の行動に内心でやきもきされながらも、対応は丁寧さを崩さず、かつ冷静な対応を心がけていた。

 そんな中で清島はというと、日に焼かれた家族写真を手にとって、「私の家族です」と穏やかなほほ笑みを浮かべる。しかしそこには、何処か複雑な色彩も滲ませているようだった。


「私は昔、大学で司法解剖をしていたことがありましたね。直接、被害者遺族と話すことはあまりありませんでしたが、犯罪被害の凄惨さは身に沁みて理解しているつもりです。でもね、家族が事故にあった時には、正直、冷静じゃなかったと思います」

「……奥様と、お子さんは、もしや事故で?」

「えぇ。他界しました。昔話になりますが、妻は幼少の頃からの仲でしてね。中学校で私が友人関係で上手くいかなかった時、引きこもりの私なんかを必死に家から連れ出そうとしてくれたことがありました。今でも、家族が生きる意味なんです」


 清島は穏やかながら、それ以上の語りをすることはなく、そこで押し黙る。

 その中に凝縮された清島の感情を掘り起こすことはできず、宮川は「胸中お察しします」と相手の言葉を待った。

 すると、静かに清島は、最愛の人たちを奪い去った「家族の事故」について語り始める。


「あの事故が、犯罪被害と言えるかは、私は専門家でないのでわからないんですがね。でも、大切な人が急にいなくなるっていう経験は、重々理解している。飲酒運転でした。妻と息子は即死、相手の車を運転していた若者も、心肺停止状態で反応され、半年の延命を持って死にました」

「犯人も死亡、ですか?」

「はい。この、奴の生き続けた半年間というのは、私にとっては本当に苦しい日々でした。妻と息子は死んだのに、どうしてそれを起こした犯人は、チューブで繋がれた状態とはいえ生きているんだ、と。人の生死の仕事をしていると、脳死や植物状態とか、死んでいる状態に近い人も時折見ます。でも、それでも、生きているんです。愛する人たちには、そうであっても、生きていてほしい。だからこそ、犯人に対して医者としてあるまじき感覚が浮かびました。どうしてこいつが、生きているのか? と。」


 清島はその語りで一つ区切りをつけるように、写真立てを机において宮川に視線を向けるために振り返る。


「半年間。私は、あの男が死ぬことを毎日願い続けました。あんな男が延命されていることが内心許せませんでした。医者ですから、あの男になされている延命にかかるコストも、労力も、十分知っていましたから余計だったんでしょう」

「確かに、その間の時間は酷く苦しいものでしょう」

「……きっと、自分の家族を殺した人間の死刑判決を待つ時間って、あんな時間なんでしょうね。そしてやっと、奴は死にました。そうなってもね、ただ、虚しいだけでした。だって、奴が死のうが生きようが、家族は帰ってこないんですから」


 その台詞が、これまでの被害者遺族のそれと重なる。

 状況は違えど、清島もまた事件に巻き込まれた一人の孤独な人間。

 加害者にどんな罰を与えようが、例えそれが限界に達して死刑になろうが、被害者遺族は決して満たされることはない。

 彼らにとっての救いはただ一つ。これまでの平穏で、なんてこともない日常が帰ってくることのみ。当然、そんなものは訪れないからこそ、遺された者たちは別の日常を求め彷徨うことになる。

 宮川はズキズキと心が痛む音が聞こえたが、それでも冷静さと矜持は崩れない。


「だから思うんですよ。死刑制度よりも、もっと有効的に、あのクズどもを使ったほうがいい。いわば完全な更生ですよ。彼らが本当に自らの過ちを悔い、新しい生活へと還っていく。最初は許せないかもしれないけれど、それで犯罪による被害者遺族が減るのであれば、全体の幸福は増すはず……そう思いませんか?」

「……それはもちろん、法治国家としての理想であり、最終的に到達しなければならないことです」

「えぇ……一体それは、いつになるんでしょうね。到達できるかもわからない理想に焦がれるだけなんて、そんな馬鹿な話ってありますか?」

「とういうと?」

「大きく何かを変化させるためには、転換期が必要です。やり方を見直す時期、ということですよ」


 清島は「やり方」という言葉を皮切りに、口の端まで裂けるような笑みを浮かんだ。

 歴戦の刑事である宮川も、その表情には思わず怖気が過ぎる。その感覚は、正真正銘の笑顔のまま、殺戮を興じる怪物を見た時のようだった。 

 引きつった表情筋に刻まれたシワに対して、妙に若々しい歪な表情。そんな清島に対して、宮川は表情を険しくさせて見据えた。


「やり方とは? ぜひ、お聞きしたいですな」

「えぇ。もちろんです。それはそうと、貴方の部下は節穴ですか? 犯行の現場が敷地内にあるっていうのに、ここまで報告すらないなんて」

「……貴方、自分が何を言っているのか、ご理解されていますか?」

「当然でしょう。ご招待しますよ、宮川警部補」


 清島は宮川の警戒を横目で通り過ぎて、リビングのシャンデリアのボタンの一つを押した。

 すると、部屋は金切り声を上げるような怒声を響かせ、その一部がぽっかりと口を開く。そこは言うまでもなく、隠し地下室への道だった。

 こんなものが最初から備え付けられているとは思えない。「目的を持って」作られたものだということは明白だった。


「私の今の、仕事場ですよ。さ、お入りください」


 地活室への道はどす黒い闇で覆われていた。そんなことを気にすることもなく、清島はかつかつと踵を鳴らして下へと降りていく。

 そこから迸る生ぬるい風と、薄っすらと香る薬品の臭い。宮川ですらたじろいでしまいそうになるが、そこまでの経験が一切の動揺を見せることなく、宮川を動かしていた。

 当然、現場検証の準備もできるように、自らの痕跡を遺さぬよう、手袋などの最低限の装備を整えたうえで、宮川も清島に続いて地下室へと足を踏み入れた。


 地下室に到着した清島は、まるで自分のコレクションを自慢するように電気を灯す。

 入口から真正面から一望できるそれは、正方形状の真っ白い部屋だった。そこまでは森嶋の話と同じであり、ここが事件現場になったことはまず間違いないだろう。

 だがそれ以上に、宮川は入口側から見えた異様な光景に思わず絶句してしまう。

 恐らく、森嶋は部屋の中央から、入口に向けて座らされていたため、これを見ることはなかったのだろう。森嶋の話に一切出てこなかった「これ」は、文字通り清島のコレクションであると直感する。


 入口から真正面、部屋の最奥の壁は一面が壁面収納のようになっていた。

 そこには、恐らくこれまでの被害者の欠損した部位が丁寧にホルマリン漬けになって飾られていた。

 手足の指や、上下肢のみに留まらない。中には大量の爪や耳、どこのものかわからない肉の塊。恐らく犯行時に切り落とされたものであろうものが、薄い色彩で透明な液体に沈んでいた。


 宮川は直感する。自分が新米刑事の時なら、この場で振り向いて吐瀉物を撒き散らしている頃であろう。喉元に燻る饐えた感覚を押し込めて、かつ冷静な調子を崩さずに、宮川は清島に警告する。


「こんな物を見せて、もう言い訳などさせませんよ? 清島誠一郎……」


 一方の清島はというと、その中で空っぽの瓶を手にとって笑いながら言い放つ。


「宮川警部補。勘違いしているようだが私は最初から、言い逃れも許しも望んじゃいません。だからこそ、私の最高傑作を貴方がたにお届けしたというのに」


 宮川はそこで、手に持ったレコーダーの電源がついていることを確認する。

 これから先は明確に、証拠として利用できるものであり、一連の流れからこの証拠の正当性も確認できる。

 まさに最後の詰め。何ら難しくないことに緊張が絡まって足先をもたつかせるが、宮川は息を吐いて言葉を返す。


「……森嶋悠人の左手首か。ということは、アンタが森嶋の証言の犯人であることを認めたということか?」

「どう解釈してもらったって構わない。だが、彼は最高傑作だろう?」

「詳しい話は取調室で聞こう。清島誠一郎、確保する」


 清島はそのままあっさりと宮川の手錠に結ばれる。その直後、宮川は自らの腕時計に刻まれた時刻を読み上げて、レコーダーの電源を落とした。


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