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第16話『お嬢様はいつも必死』

 私は思わず窓を開けて世界に向けて叫びそうになるのを堪え、セルヴィを震えながら見上げた。


「もちろんよ! 我慢だなんて! あなたは働きすぎだもの。こうやって手を抜くのも悪いことではないわ」

「そうですか? お嬢様震えていません? しかも何だか涙目だし……やはり駄目でしたか。仕方ありません。それは私が食べましょう」


 そう言ってセルヴィは手を伸ばして私の手からおにぎりをひょいと奪った。


 ノーーーーーーーーーーーッ!


 取られてなるものか。絶対に取られてなるものか! 


 その一心で私は今しがたおにぎりを奪った腕をがっちり掴むと、セルヴィを真顔で見つめる。


「いいえ。私が食べます。絶対に」

「……ふはっ……ええ、どうぞ。金輪際こんな手抜きは作りませんから安心してくださいね、お嬢様」


 セルヴィはあまりにも真剣な私の眼差しを見て何故か吹き出し、おにぎりを返してくれた。


「ええ——いえ、さっきも言ったけれどあなたは働きすぎよ。たまには手を抜いて頂戴」

「お優しいですね、お嬢様は。では吸血をした日は手抜きをするようにしましょう。実は吸血行為は案外疲れるのですよ」

「そうなの!?」


 それを聞いて私は目を輝かせた。吸血されるのは嫌だが、それさえ我慢すればあれほど夢にまで見たジャンクフードやファストフードが食べられるかもしれない!


「ええ。とても。ああ、でもお嬢様は吸血されるのは本当は嫌ですよね?」

「とんでもないわ! あれは献血のようなものよ! 人助けよ! セルヴィは青白いし、きっと血が足りないんだわ。だから遠慮なく私の血を飲んでちょうだい! そしてしっかり手を抜くのよ!」

「……っっ……はい」


 何故かハンドルに突っ伏して体を震わせているセルヴィの隣で、私はご機嫌でおにぎりを食べた。


 生まれて初めてのコンビニのホットスナック。この日を、私はきっと一生忘れない。


 大学に到着してお目当てだった講義を受けた私は、セルヴィが居ないのを良い事にカフェで今日の変わり種メニューを見ていた。


「はぁ~今日はリゾットか~」


 普通だ。どこも変わり種ではない。


 けれどこの大学にはリゾットを普段から食べるような学生は居ない。だからこれでも目新しいのだろう。ちなみに少し前の私であれば喜んで食べていたに違いない。


 セルヴィの料理に畏まったような料理は一切なく、本当に一般的な食事だ。おまけにあんな顔をして和洋折衷何でも作ってくれる。昨日など、私は初めてエビチリを食べた。美味しかった。


「弾けるようなプリプリのエビに、蕩けるようなあんかけ……ピリ辛だけど甘くて……ああ、美味しかった……」


 うっとりとカフェの前で昨夜の夕飯を思い出していると、隣で誰かのお腹が鳴った。


 驚いてそちらを見ると、そこには爽やかな青年が頭に手を当てて照れている。


「えっと……」

「ご、ごめん。あまりにも君の表現が美味しそうで、つい」


 表現だけでお腹を鳴らしたのか! それに驚きつつもお嬢様仕様で微笑むと、青年もまた照れたように笑う。


「香住絃さんだよね?」

「え、ええ。えっと、あなたは——」

「あ、俺は岩崎純一。ほとんど同じ講義取ってるんだよ、俺達」


 岩崎はそう言って鞄の中からぐちゃぐちゃの時間割を取り出して見せてくれた。確かにほとんど私と同じ講義を取っている。


「凄いマイナーな授業まで一緒だったから何か気になっちゃって。ごめんね、突然話しかけて」

「いえ、それは別に構わないわ。でも私は大学からの編入だからあまり話していると、あなたまで何を言われるか分からないわよ?」


 別に虐められている訳でもないが、いつまで経っても友人は出来ない。


 それは多分、私のニセお嬢様っぷりを皆が見抜いているからなのだろう。偽りの仮面をつけたままで誰が友人になどなってくれるものか。


 それは重々承知しているのに、どうしてもその仮面は外せない。あと、仮面を外すと本当に気が抜けたように私はダメ人間になってしまうだろうという謎の自信もある。


 私はそれだけ言ってその場を立ち去ろうとしたが、岩崎は私の腕を掴んで人好きのする笑顔を浮かべて言った。


「大丈夫。俺、こう見えてそこそこ人気者だから。香住さんと口利いたぐらいでどうにもならないよ。なんちゃって」


 その笑顔はまるで雑誌の表紙を飾れそうなほど爽やかで、思わず私は岩崎を凝視してしまった。普段は爽やかとは無縁のセルヴィという美しすぎる男を見ているので、何だか逆に新鮮だ。


「面白い人。それなら安心ね」


 それにユーモラスまであるのか。凄いな、都会の男子は。


「知らないかもしれないけど、香住さんと話したがってる奴、結構居るんだよ」

「それは無いわ、きっと」


 だって教室でも私の周りには一定の空間がいつも出来上がるのだから。そんな私に岩崎は何故か声を荒らげる。


「嘘じゃないって! だって香住さん、凄く可愛い——」


 そこまで言って岩崎は何かに気づいたかのように慌てて口を閉ざした。今度は耳まで真っ赤にしていて本当に新鮮だ。


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