心の中でツッコミを入れているとどうやら試合が終わったらしく、あちこちから盛大な歓声と拍手が聞こえてくる。
「いいの? 君を誘った野犬はどうやら大人気のようだ」
「野犬とか言わないの! それにあなた、何か勘違いして——」
その時だ。最後まで言い終える前に岩崎がこちらに気づいたようで、コートの中から声をかけてきた。
「香澄さーん! 来てくれたんだ!?」
岩崎がこちらに駆け寄ってくるのと比例して、近くに居た人たちの視線が途端にキツくなる。
「あーあ。空気読まない野良犬だね」
「野犬と変わらないじゃないの!」
どうしても岩崎を犬扱いしたいのか、何だか今日のセルヴィはとても辛辣だ。
岩崎は私の側までやってくると、私のすぐ後ろに居るセルヴィに気づいたようでピタリと足を止めて息を呑んでいる。
「え、えっと、その人は……」
「え? ああ、この人は私の——」
私が言い終えるよりも先にセルヴィが私の前に一歩歩み出た。
「世話係です。はじめまして、岩崎さん。話によるとお嬢様をマネージャーに誘われたのだとか?」
「え? え、ええ、まぁ」
「そうですか。ですが残念ながらお嬢様にはそんな事をしている暇は無いのです。申し訳ないのですが、そのお話は私からお断りさせていただきます」
私に話す時とは違う、絶対零度の声はいつも一緒に居る私でさえゾッとした。セルヴィ・ハミルトンのまた違う一面に私が慄いていると、岩崎はようやく我に返ったように金網に掴みかかってくる。
「いや、それはあんたじゃなくて香澄さんが決める事だろ?」
それはそう。だけど——。
「いいえ、私が決める事です。何せお嬢様の世話係なので。躾も交友も全て私が管理致します」
うん、そうだろうなって思ってた。何せ食べる物まで管理されている私だ。ついでに綺麗なゾンビになってしまったせいで、今のところはセルヴィから離れる事は決して出来ない。
けれどそんなセルヴィの言葉に岩崎が眉を吊り上げて怒鳴り始めた。
「なんだよ、それ! 香澄さんはもう大学生なんだぞ!? 自分の人生ぐらい自分で決める権利があるはずだ!」
その通りである。その通りであるが、私をそっちのけでどんどんヒートアップするのは本気で止めて欲しい。何故なら周りの視線が痛いから。
どんどん縮こまる私とは違い、男二人はまだ睨み合ったままだ。
いや、少し違う。睨んでいるのは岩崎だけである。肝心のセルヴィは涼しい顔をして岩崎を見つめているだけだ。その口元にはどこかこの状況を楽しむような気配さえしている。
最近よく思うことだが、セルヴィは実は性格が悪い。
「彼女が自分の人生を自分で決める? はは! そんな日は来ませんよ」
「……」
その言葉に岩崎はおろか私まで黙り込んでしまった。そんな人生は嫌すぎる。嫌過ぎるが、現状ではセルヴィにおんぶに抱っこの私だ。実際セルヴィが居ないと物凄く困る事は重々承知している。
恥ずかしさのあまり黙り込んで俯いた私を見て岩崎は何を勘違いしたのか、金網越しにセルヴィに掴みかからんばかりの勢いで怒鳴りつけてきた。
「そんな事許される訳ないだろ! 香澄さんにだって自由に生きる権利があるんだよ!」
もう止めてくれ岩崎! 私は心の中でそう叫んでいた。
私が怠惰でどうしようもない駄目人間だと知った上でセルヴィは毎日甲斐甲斐しく世話を焼いてくれているのだ。それには本当に、本当に感謝している。
「そこまで言うのなら勝負をしましょうか。あなたが得意なテニスで。どうですか? もしも私が勝ったら、あなたは金輪際お嬢様には近づかないと約束してください」
「俺が勝ったら?」
「私がお嬢様の前から去りましょう。あなたには良い条件でしょう?」
薄く笑ってそんな事を言うセルヴィだが、私はハッとしてセルヴィの腕を掴んで首を振った。
それは困る! それは非常に困るのだが! そんな思いを込めてセルヴィを見上げたが、そんな私に声をかけてきたのは岩崎だ。
「香澄さん、大丈夫。ちゃんと手加減はするから。怪我はさせないと誓う。何よりも俺は君に自由になってほしいんだ」
いや、私は食意外は割と自由気ままに暮らしているが!?
セルヴィもそう思ったのか、何とも言えない顔をして私を見下ろしてほくそ笑む。これは完全にからかっている顔である。
「では決まりですね。お嬢様、少々お待ちください。ああ、私と過ごす最後の時かもしれないのでハグでもしておきますか?」
「へ?」
返事をするよりも先に、私は何故かセルヴィに抱きしめられていた。そして耳元で囁かれる。
「大丈夫。負けないよ。君に自由なんて与えない。君は僕のだ」
「っ!」
誰にも聞こえないような声で甘く囁かれた私は顔を上げて口をパクパクさせたが、セルヴィは既に上着を脱いで腕まくりなどしている。
「これ、預かっておいてください」
それだけ言ってセルヴィは周りが囃し立てる中、テニスコートに颯爽と入っていってしまった。