頭にバサリと上着をかけられた私は、呆然とそんなセルヴィの背中を見送る。
一体何がどうしてこうなったのだ。私はただ、マネージャーの件を断りに来ただけだ。それなのに気がついたらセルヴィと岩崎が何故かテニスで対戦する羽目になっているではないか。
よく分からないが、これがいわゆる男たちの意地というものなのだろうか。
いや、違うな。岩崎はどうだか分からないが、少なくともセルヴィは岩崎をからかっているだけである。
皆の応援を一心に受けながら注目の試合が始まった。
私はもちろん心の中でセルヴィを応援していた。今セルヴィが居なくなって誰が一番困るのかと言われたら、間違いなく私だからである。
何よりも私はセルヴィからの供給を受けなければ死んでしまうのだ。そこが一番困る。
試合が始まって最初にサーブを打ったのは岩崎だ。手加減すると言っていただけあって、さっきの試合よりもボールがよく見える。さっきは正直ボールが早すぎて何が起こっているのかよく分からなかった。
ところがセルヴィはそれをいとも簡単に打ち返し、あっという間に一点を先取する。
「セルヴィ、テニス出来るんだ」
そんな事に感心していた私だが、その一点が試合の流れを変えた。ふと岩崎を見るとその目は明らかに怒っている。
「あんた、経験者なんだ?」
「ええ、もちろん。でなければ勝負を申し込んだりしないと思いませんか?」
薄ら笑いを浮かべたセルヴィはラケットをクルクルと回しながら言った。その言葉に岩崎はキッと顔を上げてラケットを握り直す。
その途端、隣から岩崎のファンだと思われる子たちから心配そうな声が聞こえてきた。
「大丈夫かな、あの人。岩崎くん、県大会優勝者なのに」
「危ないと思うわ。怪我しなきゃ良いけど……」
それを聞いて私は青ざめた。いくらセルヴィがテニスの経験者だと言っても、流石に県大会優勝者にテニスを挑むのは無謀だ。
そう、思っていたのだが——。
私は完全にセルヴィの、というよりも吸血鬼のポテンシャルを舐めていた。
その後、岩崎はまるで豹変したかのようにラケットを振り続けたが、セルヴィはいとも容易くそれを全て打ち返していく。息切れすら起こさずに。
皆が唖然とする中、私は一人吸血鬼という生物について慄いていた。
顔は良い。家事は出来る。テニスも出来る。ヘアメイクも出来る。恐らくは勉強も出来る。むしろ何なら出来ないのだ、と。
神は一つの種族に一体いくつのギフトを詰め込んだというのか!
案の定、試合はあっさりと終わりを告げた。県大会優勝者の岩崎はセルヴィから一点も取る事なく。
試合が終わるなりセルヴィはラケットを唖然とする審判に渡し、岩崎の元へ行きその耳に何かを囁きこちらに向かって歩いてくる。
「……テニス異様に上手くない?」
目の前までやってきたセルヴィに私が問いかけると、セルヴィは口の端だけを上げて笑った。
「長い事生きてるとね、大抵の事は人間よりは出来るようになってるんだよ」
「それにしたって、あなた……」
そう言って私はちらりとコートの中で打ちひしがれている岩崎に目を向ける。そこへ一人の男性が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「あの! 僕はここでコーチをしているんだけど、君テニスサークルに入らない!?」
上ずった声でそんな事を言うコーチにセルヴィはゆっくりと首を振る。
「生憎私はここの生徒ではないので。それに、テニスは私が最も苦手とするスポーツです」
あれで!? 内心そう思いつつセルヴィを見上げると、セルヴィは何か思い出しているのか苦い顔をしている。
その後、私の腕を掴んでセルヴィが歩き出そうとしたので私は慌ててコーチに岩崎に貰ったちらしを返して言った。
「あの、このチラシを岩崎さんに貰ったのですが、お断りさせてくださいとお伝えください」
「あ、ああ、伝えとくよ」
コーチはそのチラシを受け取って何とも言えない顔をする。
「それから、誘ってくださってありがとうございました、とも。うちの世話係が本当に失礼致しました。それではこれで失礼します」
無言のセルヴィに引っ張られながら、私は今日の事がどうか大騒ぎになりませんように、と心の中で祈るばかりだった。
車に到着すると私はセルヴィに車の中に詰め込まれ、シートベルトまで締められる。
「自分で出来るわ」
「どうだか。少し目を離すとすぐにどこかへ行こうとするくせに。やっぱり週末にでもネームプレートと首輪買いに行かないと。ああ、リードもいるかも」
「ちょっと! 私は犬じゃないんだけど!?」
あまりにも不機嫌な声でそんな事を言われて腹が立って言い返すと、セルヴィが真顔でこちらを見つめてくる。