そんな事を考えながらセルヴィを見上げると、セルヴィが珍しく困ったような顔をしている。
「絃ちゃんが完璧な嗜好生物だって事が吸血鬼の郷で噂になってるみたいなんだ」
「吸血鬼の郷? なにそれ」
「吸血鬼ばかりが住んでる所だよ」
そんな所があるのか! 思わず感心した私を見てセルヴィは苦虫を潰したような顔をした。
「そんな顔してるけど君にとっては怖い場所なんだからね。絃ちゃんみたいなのが郷をウロウロしてたら、一瞬でカサカサに干上がっちゃうから」
「ど、どういう意味?」
「襲われて吸血されるって事だよ。それよりも完璧な嗜好生物が完成したって噂の方が問題なんだってば」
「問題? どうして? 嗜好生物なんて別に珍しくも無いでしょ?」
確かに条件は厳しそうだが、そんなに珍しい存在という訳ではなさそうなのに、何故かセルヴィは深い溜息を落とした。
「そっか、絃ちゃんにはまだ説明してなかったっけ。完璧な嗜好生物はね、今や伝説とまで言われるぐらい珍しいんだよ」
「へ?」
私は相当訝しげな顔をしていたのだろう。セルヴィが肩を竦めて話し出す。
「まぁ、そんな顔するよね。嗜好生物を作る事自体はさほど難しくはないし結構居るんだけど、綺麗で新鮮な死体を探すって言うのがなかなか難しくてさ。嗜好生物は桃みたいに繊細なんだよ」
「桃……」
「そう、桃。どこかに傷が出来てたらそこから痛むの。その時は綺麗なゾンビにする事が出来ても、じわじわとそこから痛み始める。だから完璧な嗜好生物は本当に難しい。絃ちゃんはたまたま僕の目の前で綺麗に池ポチャしたでしょ? 冷たい水の中に落ちて心臓が止まったよね? それが功を奏してどこにも怪我なく組織も急激に冷やされた事で少しも傷まなかったし、何よりもすぐに処置する事が出来た」
「それって鮮度が大事って事?」
ゾンビに鮮度もくそも無いと思うが、どうやら私の存在はもはや奇跡に近いらしい。これはもっと調子に乗っても大丈夫かもしれない。
そんな事を考えていると、セルヴィは意地悪に口の端を吊り上げて続きを話し始めた。
「そういう事。絃ちゃんはだから超新鮮だったんだよ。僕はかれこれ三百年は生きてるけど、流石に目の前で真冬に池ポチャしたのなんて君ぐらいだからね。それぐらいそんな場面に遭遇するのは難しいんだよ」
「そ、それは私が鈍臭いという事?」
「うん、そう」
引きつった私を見てセルヴィが笑顔で頷いた。その笑顔の憎たらしい事と言ったら!
「私の存在が珍しい事は分かったけど、それと噂とどう関係があるの?」
「つまり、誰でも欲しがるって事だよ。金で買える物じゃないし、吸血鬼なら誰でも自分だけの完璧な嗜好生物が欲しい。だから僕は君の存在がバレないように今まで細心の注意を払ってたんだけど、それがどっかから漏れたみたい」
「バ、バレたらどうなるの?」
何だか嫌な予感がして思わず身を乗り出すと、セルヴィが視線を伏せた。
「最悪、襲われる」
「ええ!?」
それは困る! とても困るのだが!?
困惑している私を見てセルヴィが上目遣いで私を見上げた。
「ただ吸血されるだけなら良いけど足の引っ張り合いっていうか、どうせなら全ての血を吸ってしまって殺してしまおうとする奴とか出てくるかも。嗜好生物とは言え限界まで血を吸血されたら再生が追いつかないからね。もしくは痣の書き換えとか……。そうなったら絃ちゃんの飼い主は僕じゃなくなる」
それを聞いて私は思わず立ち上がってテーブルにドンと両手を置いた。
「い、嫌だよそんなの! セルヴィが良い!」
「絃ちゃん……僕だって嫌だよ。何度も言うけど、君は一生僕のものだ」
何故かセルヴィは感動したかのように喜んでいるが、例えば契約者がセルヴィじゃなくなったとして、他の吸血鬼が今みたいに甲斐甲斐しく私の世話を焼いてくれるとは限らない。
目玉焼きすら作れない私だ。セルヴィ無しでは今や生きていく事が出来ないだろうという謎の自負がある。色んな意味で。
「だから気をつけてね。そう簡単に僕の物に手を出してくる奴らは居ないと思うけど、万が一という事もありえるから」
「気をつけろって言われても、どうやって気をつけるのよ……」
「大抵の奴は色仕掛けでくると思うんだ。僕達の武器と言ったらこの美貌だから。そしてどこかへ誘い込んで吸血する。大体この流れだよ。だから誰かに二人きりになりたいみたいな事を言われたら、すぐに断って逃げるんだよ? 相手が男でも女でも」
「分かった」
私はすぐさま頷いて椅子に座り直す。
しかし流石吸血鬼である。はっきりと今、美貌が武器だと言い切ったではないか。
何とも言えない気持ちで夕食を食べ始めた私は、ぼんやりしていたのだろう。手がテーブルの上に置いてあったカップに当たり落としてしまった。