それからセルヴィといつものように他愛無い話をしながらお昼休みを過ごし、午後からの講義に出たが、相変わらず私の周りの席には誰も座ってはくれない。
講義が終わり帰る準備をしていると、ふと前の方の席からこんな声が聞こえてくる。
「えっ! それじゃあセシル先生の屋台に空きが出来たの!?」
「そうらしいわ。誰か一人抜けたみたいよ」
そう言ってちらりと一人の女生徒がこちらを見た。それに釣られるように何人かがこちらを見るので、私は慌てて視線を伏せて鞄に荷物を詰め込む。
「そうだったんだ。まぁでも良いと思うわ。流石にこれでセシル先生にも近づいたりしたら、それこそ顰蹙ものだわ」
「岩崎くんの件もあるものね。彼、ほとんどの講義を変えちゃったんでしょ?」
「そうらしいわよ。でも最近は違う方と仲が良いみたい」
「そうなの。それは良かったわね。田舎の家と繋がりなんて持ったら大変だって言うし」
わざわざこちらに聞こえるようにそんな事を言ってくる子達に腹は立つが、ここで迂闊に反論する訳にもいかない。下手に波風は立てない。穏やかに生きる為にはこれが鉄則だ。
とはいえ、私の人生はもう既に穏やかからは大分遠ざかっているが。
「それで募集はいつからなの?」
「今日には掲示板に張り出されるそうよ」
それだけ言って彼女たちは笑いながら教室を出て行った。私はホッと胸を撫で下ろして鞄を抱えると、足早にセルヴィが待つ駐車場へと向かう。
「お待たせ、セルヴィ」
「うん、待った。何してたの?」
面白くなさげにちらりとこちらに視線を投げかけてくるセルヴィに、私は鼻を鳴らす。
「野犬の話を聞いてただけ」
それを聞いてセルヴィが苦笑いを浮かべる。
「ああ、そういう事か。君は昔から本当に友達を作るのが下手くそなんだから。冴子ぐらいでしょ? 仲良いの」
「冴子まで知ってるの!?」
「そりゃ知ってるよ。僕が何年間君をずっと見守ってたと思ってるの」
「見守る?」
見張るの間違いでは? そう思うけれど、何だかそんなにも小さい頃からセルヴィがずっと私の知らない所で私を見てくれていたのかと思うと、胸がギュッとなる。
「そうだよ。君は僕の大切なお姫さまだ。だから絶対に誰にも渡さないし、捨てたりなんてしない」
「……うん」
それは喜んで良いのか悪いのか、私は今だにセルヴィから逃れる方法を探しているという事を決してセルヴィにはバレないようにしなければならないな、と心の中で誓っていた。
それと同時に最近では以前よりもずっとセルヴィの前でだけ素の自分で居る事が増えている気がして、自分で自分がよく分からなくなってきている。
「それじゃあ帰るよ。ところで帰りにちょっとだけスーパー寄っていい?」
「もちろん!」
スーパーと聞いて私は笑顔を浮かべてすぐさまシートベルトを締めた。買い物は大好きだ。幼い頃からずっと憧れだった場所、スーパーマーケット。その響きだけで心が踊る。
こんな風に私達が清く正しい主従関係を築きつつも楽しい毎日を送っていた水面下で、完璧な嗜好生物を狙っている者達が暗躍し始めていた事など、この時の私達には知る由もなかった。
大学祭がもう間近に迫っていたある日の事、ふとセルヴィが思い出したかのように口を開いた。
「ところでさ、絃ちゃん」
「何かしら?」
「そろそろ絃ちゃんの定期メンテナンスをしようと思うんだけど」
「定期メンテナンス?」
「うん。えっと、人間で言うところの健康診断?」
「それなら大学祭が終わったら申し込みがあるけれど?」
人間ドックというものに少しだけ行ってみたい私が言うと、セルヴィが慌てた様子で首を振った。
「だめだめ! 人間の検診に絃ちゃんは行けないよ!」
「えっ!? ど、どうして?」
「だってもう絃ちゃん人間じゃないもん。お嬢様、お忘れかもしれませんが、お嬢様の体は今や綺麗なゾンビなのですよ?」
「そうだった! でもそれって普通のゾンビとどう違うの? そもそもゾンビって腐ってるからゾンビなんだよね?」
「そうだね。だからゾンビって言うのはただの比喩だって。中の臓器なんかは人間と一緒だよ。何も変わらない。でも血がね、違うんだよ」
「血?」
「うん。だから血液検査で大問題になっちゃう。だって絃ちゃんの中に流れているのは人間の血ではなくて、吸血鬼と人間の血が混ざったものだから」
「それってそんなに違うの?」
私の質問にセルヴィがコクリと頷いた。
「全然違う。人間と猿ぐらい違う」
「見た目は似てるけどっていう事?」
「そういう事。絃ちゃんの体は長い年月をかけて僕の痣を通してそういう仕様に作り変えられたの。だから君の中の人間の血はほとんど飾りなんだよ」
「だから人間では無いと、そういう事?」
「そういう事」
それを聞いて私は項垂れた。体内を巡る血液が綺麗なゾンビの正体だったのか。だとしたら、人間に戻るにはそれこそ失血死するぐらい大量に血を失い、そこに誰か他の人間の血を入れるしかないのではないか。