『警戒しなかった? たったそんな事で? お前、いくら人間は餌に過ぎないとは言えそんな身勝手な事が許される訳ないだろ』
そんなスイにセルヴィの声がまた一段と低くなる。
『お前にとってはそんな事かもしれないけど、僕にとっては誰かの一生を貰い受けたいと思うほどの事だったんだ』
『はぁ……。お前は本当に傲慢だ』
『褒めてくれてありがとう。あの時あの子が僕を警戒しなかったから……だから僕は最後の一歩を踏み出すことが出来た。この子を嗜好生物にしたいって思ったんだ』
『最後の一歩?』
『そう、最後の一歩。でもどうやって殺してしまおうかって考える間もなく、あの子は僕の目の前で派手に池ポチャして死にかけてくれたんだけど』
さっきまでとは別人かと思うほどセルヴィの声が弾むが、私はそれを聞いて震えていた。どうやらセルヴィは元々私を殺すつもりでいたらしい。何と恐ろしい事を考えるのか!
どうやらそれはスイも思ったようで、呆れたような怒ったような口調でセルヴィを責める。
『その執着心を少しは同胞に向けろ。お前はハミルトン家の者なんだぞ。跡継ぎも必要だと言うのに。今のお前のままでは絃はいつかお前の前から逃げ出すぞ』
『そんな事を僕がさせると思うのか? 絶対に逃さない。それに跡継ぎの問題ならどうにでもなる。適当に誰かと寝れば良いんだから』
『そうだな。お前ならそれも可能だろうが、頼むから瀕死になるまで相手を襲うのは止めてくれ。また身内に命を狙われる羽目になるぞ』
『構わない。その時はいつも通りにするだけだ』
そこまで聞いて私はそーっと待合所に戻った。怖い。セルヴィが怖い。
普段はいくら温厚で世話焼きのセルヴィでも、吸血鬼としてのセルヴィは怖すぎる。
何よりも私は、まさかセルヴィにここまで執着されているとは思ってもいなかったのだ。
◇
『絃ちゃん観察日誌・2
絃ちゃんに里心が芽生えそうだ。こうなりそうだから出来るだけ両親達に連絡を絶たせていたというのに。ただそろそろ頃合いかなとも思っている。両親の口からもあの時の事を語らせるべきだ。
絃ちゃんは自分を責めていたけれど、それは違う。あれは誰にだって起こり得る事故だった。強いて言えば、池の周りにロープなり柵なり立てていなかったホテルの落ち度だ。
そしてたまたまそこに僕が居た。さらには絃ちゃんが僕の理想だったってだけ。
それにしても大学祭か。また前のように絃ちゃんにアプローチしてくる男が居るのだろうか。それを考えると今から頭が痛い。
でもその前にそろそろ絃ちゃんの定期検診を受けさせなければ。どこにも不具合は出ていないけれど、最近の絃ちゃんはとうとう自我を出すようになってきた。 これを成長と取れば良いのかどうなのか分からない。こんなタイプの子は初めてだから。でも僕はとても気に入っている』
日記を閉じてベッドに転がった僕は、天井を見つめてため息を落とした。目を閉じると今でも目の前で叫び声を上げて灰に戻っていく身内の顔を思い出す。それと同時に何故か当時の事を思い出した。
嗜好生物の存在は両親に襲われたあの日からずっと、僕の夢だった。
まだ力の制御も出来なかった頃、僕は両親に寝込みを襲われ本能のままに反撃したら両親は呆気なく灰に戻ってしまった。
灰になった二人を見下ろしても自分の感情が何一つ動かない。家族だと思っていた人達に襲われ、殺してしまったというのに。
「人間はこういう時って悲しむのかな。悲しいって何だろう?」
灰を拾い集めて外にばら撒きながら、習い始めたばかりのまだ見た事の無い人間という生物に思いを馳せる。
吸血鬼の餌として存在するという人間という生き物。次第にその生態に僕は惹かれていった。
その寿命の短さや繁殖能力の強さ、そして決められた規律を守る姿勢。そのどれも吸血鬼には無いものだ。
そんな僕が完璧な嗜好生物という存在に興味を持ったのは人間の生態や性格のレポートを書く為の文献を探していた時だ。
完璧な嗜好生物という存在を知った日から僕は自由時間のほぼ全てを嗜好生物を調べる時間に費やした。
けれど完璧な嗜好生物の存在は今や伝説だ。すぐに壊れる嗜好生物なら郷にもいくらでも居るが、完璧な物となると話は別だ。条件が難しすぎる。
それでもいつか、自分だけの完璧な嗜好生物を作り上げる事が僕の唯一の夢になった。
やがて両親の仇だと言って襲いかかってきた兄弟達が灰になってしまった頃、唯一残ったハミルトン家にさっさと見切りをつけて単身で吸血鬼の郷を出ていた妹のサシャが嬉しそうに嗜好生物を連れて戻ってきた。
サシャが連れ帰った完璧ではない嗜好生物はとにかく目を血走らせ、噛みつくような勢いで罵声をあげ、枷をしなければならないほど暴れては勝手に怪我をしてそこから壊死して、やがて再生する事が出来ずに最終的には死んでしまった。 嗜好生物を失った日、サシャは珍しく落ち込んでいた。
殺伐とした吸血鬼の世界の中で、それほど嗜好生物は癒やしなのだ。
自分でもどうしてここまで完璧な嗜好生物に執着したのか、それは今でもよく分からない。
けれど少なくとも、あの子だけは絶対に手放したくないと強く思った。ただそれだけだ。
スイにも話したが、絃は僕の夢だ。
ハミルトン家で生まれて幼い頃から周りに命を狙われ続けていた僕にとって、誰かの命を握るという事はこんなにも安心するのかと気づいた。僕が居なければ生きていく事が出来ない存在。それが絃だ。
命だけじゃない。今や僕は絃の全てを管理している。そして絃はそこから逃げ出す事は決して出来ない。
何よりも絃は僕が死ぬまでずっと僕の側に居てくれる。決して裏切らない。それが完璧な嗜好生物の本来の姿だ。だからこそ誰もが欲しがるのに違いない。
それが分かっているから僕は無条件で絃を可愛がる事が出来る。
この安心感こそが、ずっと僕が求めていた物だった。
◇