私はその場から逃げ出すために後ろ手に何か武器になりそうな物を探し、机の上に置いてあった大きなハサミを握りしめる。
「こ、来ないでちょうだい!」
そのハサミをセシルの方に向けて怒鳴ると、セシルはそんな私を見下ろして妖艶に微笑んだ。
「そんな物で私に対処出来るとでも?」
ハサミに全く怯む様子もなくセシルがじりじりと近寄ってきて、私はとうとう壁際まで追い詰められてしまう。
どうやって逃げようか思案していると、セシルの指先が私の髪を一房持ち上げた。
「やだ! 来ないで!」
もう駄目かと思って覚悟して目を閉じたその時、窓の方から誰かが飛び込んできた気配がした。
それと同時に今しがた私に近寄って来ていたセシルの体が大きな音と共に吹っ飛んで行く。
ハッとして顔を上げ目を開けると、そこにはトンスケを抱えたセルヴィが長い脚を床に下ろした所だった。
「ヴィー! トンスケ!」
「絃!」
「びぁ!」
私は震える手をセルヴィに伸ばした。その手をセルヴィがしっかりと掴み、グイっと引き寄せられたかと思うと、トンスケと同じようにセルヴィの腕の中に抱え込まれる。
「僕の嗜好生物に手を出すなど、どういう了見だ? セシル・バージル」
ゾッとするような冷たいセルヴィの声に私は思わずトンスケの手を握りしめた。そんな私の手をトンスケが慰めるかのようにペロリと舐めてくれる。
「これはこれは、セルヴィ様のお出ましですか。残念」
「どういう了見だと聞いている。それとも今ここで灰にされたいのか?」
それを聞いてセシルが首元を押さえてヨロリと立ち上がった。どうやらセルヴィの蹴りはセシルの首に入ったらしい。人間であればひとたまりも無かったのだろうが、流石に吸血鬼は頑丈だ。
「まさか! 偉大なセルヴィ様の嗜好生物がどれほど完璧なのかと興味が湧いただけです。味見だけしてすぐにお返しするつもりでしたよ」
「絃の血を飲んで堪え性のないお前がすぐに返せるとは思えないし、僕は僕の物に手を出されるのは我慢ならない。今回は未遂だったので不問にするが、次は無いと思え」
「あなた様の恩情に感謝致します。偉大なるセルヴィ様」
セルヴィの冷たい言葉にセシルは敬々しく腰を折って頭を下げると、医務室から静かに出て行った。そんな光景を見て思わず私はセルヴィを見上げる。
「ヴィーって……」
やっぱり偉い人なの? 私はそんな言葉を飲み込んだ。スイはハミルトン家は吸血鬼の最高峰だと言っていたが、もしかして地位そのものも高いのだろうか? 恐怖よりもそんな疑問が先に立ってしまった私を見下ろし、セルヴィは苦笑いを浮かべてトンスケを下ろした。そしてそのまま私を抱え込むように抱きしめてくる。
「無事で良かった。青のり取りに行っただけなのに全然戻らないからどうしようかと思った」
「ごめんなさい。セシル先生に体調が悪いんだろうって勘違いされちゃったの」
「ああ、ハンカチで口押さえてたもんね、絃ちゃんは」
さっきは私の事を呼び捨てにしていたが、いつも通りのセルヴィにようやく私は胸を撫で下ろす。先ほどのセルヴィは本当に本当に怖かった。
「どうしてここが分かったの? 迷路の時も思ったんだけど、もしかして嗜好生物の居場所は分かるとか?」
「いいや。トンスケに探してもらった。案外役に立つね、こいつ」
そう言ってセルヴィはまだ床でおすわりしているトンスケの頭を撫でた。
「トンスケが!? ていうか、トンスケと話せるの!?」
「話せないよ。だから僕の眷属にした。駄目だった?」
「トンスケを……眷属にした?」
意味が分からない私にセルヴィがコクリと頷き、トンスケが「びあぁ」と鳴く。
「いわゆる使い魔だよ。使い魔になると主の命令には逆らえない。探せと言われればちゃんと探してくれる。まぁ僕の美的センスには反するけど、一刻を争う事態だったから仕方ない」
「使い魔……コウモリとか黒猫とかじゃないんだ」
吸血鬼を調べていた時に挿絵に出てきた吸血鬼は大抵使い魔としてコウモリや黒猫が一緒に描かれていたが、ブチネコは初めてである。
そんな私の疑問にセルヴィは淡々と答えてくれた。
「地元にはいるよ。パンサーとかカラスとか」
「……そこにトンスケが入るの?」
「うん」
使い魔と言われてもいまいちピンと来ないが、とりあえず私はトンスケを撫でておいた。よく見るとトンスケの背中の白い所に、さっきまでは無かったあの花の痣のような模様が浮かび上がっているではないか!
「お……おぉ……トンスケ、お前も嗜好生物に……?」
「違うってば。まぁでも僕が死ぬまで生き続けるからあながち間違いではないけど、流石の僕もトンスケから吸血はしないよ」
苦笑いを浮かべてとてもナチュラルに私を抱き上げたセルヴィは、それだけ言って医務室を後にした。そしてそのまま何故か車まで運ばれてしまう。