「え? え? 大学祭は!?」
「もうお終い。それじゃあトンスケ、明日から絃ちゃんの護衛よろしくね」
「びあぁ」
まるで私達をお見送りしてくれるかのようにトンスケが目を細めて鳴いた。そんなトンスケの反応にセルヴィは満足げに頷いて、私を助手席に下ろしてしっかりとシートベルトを締める。
まぁでも仕方ない。流石の私もさっきは怖かった。俯いてギュッと拳を握りしめた私にセルヴィがハンドルを回しながら尋ねてくる。
「いやに大人しいね」
「ちょっとだけ……怖かった」
「ああ。でもセシルはまだ大人しい方だし僕の部下だから良いけど、ああいう事が今後も起きるかもしれないから、身の回りには十分気をつけておいてね」
「うん」
私は素直に頷いて車のシートに凭れた。するとどうだろう。疲れていたのか緊張の糸が切れたのか、すぐさま睡魔が襲ってくる。
夢の中に足を突っ込む瞬間、セルヴィの含み笑いと「お休み、絃ちゃん」という甘い声が聞こえた気がして、私は胸がキュッとなるのを感じていた。
あんな事があった日から私は周りの人物にかなり気をつけるようになった。少しでも顔が良い人に声をかけられたら、すぐさま逃げられるようにしようと。
ところが。
「はぁ……トンスケ、私思うんだけど」
今日も今日とて私は秘密の場所で同じくセルヴィの一味にされてしまったトンスケと共に授業の合間の時間を潰していた。
「びあ?」
「今の私の中の美形の基準はヴィーなんだけどさ、ヴィーよりも顔の良い人なんてそうそう居ないんだよ」
「びぁぁ」
「だから分からないんだよね。ヴィーは吸血鬼は美貌を使って近づいてくるとか言うんだけど、美貌だって認識する基準がヴィーなんだもん。いっそ外国の人全員を疑えば良いと思う?」
そもそも美形の基準など人それぞれだ。だから余計に分からない。誰に警戒すれば良いのかが。
「びぁぁ……」
どうやら私の質問にトンスケも共感してくれるらしく、私のポケットを肉球でつんつんと慰めるように突いてきた。
「トンスケ! 分かってくれるの!?」
やはり同じ主を持つとこうして悩みを共有出来るのが良い。そう思ってトンスケを抱き上げようとしたのだが、トンスケはその見た目に反して軽やかにヒラリと私の手を避けて身を躱すと、またポケットを突いてくる。
「もう、何——あ、これか」
そんなトンスケの反応に気づいてポケットに手を入れると、大学生協で買った個別包装のクッキーが出てくる。それを半分に割ってトンスケに渡すと、トンスケは嬉しそうに食いついた。
「それじゃあトンスケ、またね! この話はセルヴィには内緒だからね!」
「びあ!」
私はトンスケに別れを告げて急いで教室に戻ったのだった。
その夜の事である。お風呂から上がってリビングで髪をガシガシと乾かしていると、そこへセルヴィがやってきた。
セルヴィは私を避けてソファに座ると、おもむろに私を呼びつける。
「また絃ちゃんはそんな乱暴に髪乾かして。ほら、ちょっとここおいで」
そう言ってセルヴィが指さしたのは自分の足の間だ。これはもしかして乾かしてくれるのか!? それに気づいた私は大人しくそれに従う。
「随分素直に従うじゃない」
「うん……もう髪乾かすのが苦行で……」
背中よりもまだ長い私の髪は、本当に乾かすのが面倒なのである。本当はばっさりと切ってしまいたいが、それを昔一度だけ両親に告げると、烈火の如く怒られてからずっとこの長さだ。
「髪を乾かす事すら苦行なの? そこまで行くとそのうちご飯も僕が食べさせてあげないといけないんじゃない?」
おかしそうに笑ってセルヴィは私の髪に何かを揉み込んでいく。その手つきはやっぱり家に居たメイド達よりもはるかに優しい。
「それ何つけてるの?」
これはいつもセルヴィからする匂いだ。すっかり嗅ぎ慣れた匂いに首だけで振り返ると、セルヴィの手には何だか高級そうな瓶が握られている。華やかな甘さと少しだけシトラスの香りが入り混じっていてとても良い匂いだ。
「これ? ヘアオイルだよ」
そう言ってセルヴィは入念にオイルを髪に揉み込むと、ドライヤーで優しく乾かし始めた。
しかしどうして人は誰かに髪を乾かしてもらうとこうも眠くなるのだろうか。
思わず欠伸を噛み殺しつつされるがままになっていると、機嫌が良いのかセルヴィが鼻歌など歌い始める。
「ご機嫌セルヴィだ」
「うん? そりゃね。こうやって嗜好生物のお世話をするのがずっと夢だったからさ」
「そうなの?」
「そうだよ。吸血鬼の中でも僕ほど熱心に嗜好生物について調べた奴は居ないだろうって思うぐらい、僕はずっと嗜好生物の事を考えていたからね」
それを聞いて私は少しだけ青ざめた。セルヴィの嗜好生物への思いはどうやら並々ならぬようだ。果たして本当に逃げられるのだろうか?