それに気づいた男は荒々しく私の首筋に吸いついたかと思うと、物凄い勢いで吸血を始める。
「や、だ……気持ち……悪い……」
いつものセルヴィのような優しい吸血じゃない。その感覚はまるで頭の中がぐちゃぐちゃと混ぜ返されるような気味の悪い感覚だ。
どんどん気分が悪くなってきて吐き気を催して咽ても男は吸血を続けた。
次第に体から力が抜けていき、やがて辺りの景色がぼんやりとしてきたかと思うと、いよいよ自分で立てなくなる。
痛みが無いのと意識はあるのは幸いだが、貧血のようなめまいと強い吐き気に私はぐったりとピアノに体を預けるしかなかった。
「ヴィー……」
掠れた声が漏れた。体を動かす事はもう出来ない。これは供給が切れた時の症状によく似ているが、あれよりもずっと酷い。心臓がドクドクと激しく脈打ち、血の気が引ききってしまったかのように自分の体温を感じない。
男はそんな私を見下ろして不敵な笑みを浮かべた。
「はは……ははははは! これで俺の役目は終わりだ。お前たちにはまだ始まりだがな!」
男はそう言って私とセルヴィが契約した手の甲に口付けると、その場所が途端に熱を持ったかのように熱くなった。
一体何が起こったのだろう? 頭の中はまだぐちゃぐちゃしていて気分が悪い。男の声もまるで水中の中から聞いているみたいにボヤけている。
そんな私を見下ろして男は仕上げだと言わんばかりにもう一度吸血をすると、私から体を放して身を翻し、そのまま音楽室を飛び出して行く。
私はと言えば、ほんの少しも言う事を聞かない体と頭に困惑しながら、まるで人形のようにピアノから床にずり落ちた。怖い。こんな感覚は初めてだ。
頬をやけに熱いものが流れ落ちる。そこでようやく自分は泣いているのだと言う事に気づいた。
そこへまた誰かが飛び込んでくる。
「絃っ!」
セルヴィだ。いつもの甘い声じゃない。どこか硬質なセルヴィの声は、聞いた事もないほど切迫している。
セルヴィは目を開けたまま動かない私を見てゴクリと息を呑み、私を抱えあげて脈を取ったかと思うと、みるみる間に変身を解いた。
その顔は青ざめ、怒りが混じっている。
「大丈夫、絶対に大丈夫だからね! 怖くない。怖くないから」
それだけ言ってセルヴィは音楽室を飛び出し、二階の校舎の窓から飛び降りた。この感じを見る限り、きっと私の状態は相当に良くないのだろう。
目を閉じることさえ出来ない私に、セルヴィの悲痛な「大丈夫、絶対に大丈夫。怖くない、怖くないよ」という声が聞こえてくる。
一体私はどこへ連れて行かれるのか。
悲しいとか辛いとか痛いとかそういう感情すら沸き起こらない。何も感じない。
心が、脳が全ての考えるという事をまるで拒んでいるかのようだ。
やがてセルヴィは私を敷地の外に停めてあった高級車に乗せてどこかへ向かう。
その間セルヴィは慌ただしい様子で誰かと電話をしていて、あまりにも早口の英語に私は何一つ聞き取ることが出来なかった。
電話を切ったセルヴィは私の頬を撫で髪を撫で、呪文のように「大丈夫」と繰り返していたが、この時の私はと言えば、ただぼんやりとした意識の中で今にも泣き出しそうなセルヴィを見つめていただけだ。
しばらくして到着したのは隣の市にある大きな総合病院だった。
病院に到着するなり私はセルヴィによって車から降ろされ、既に待機していた担架に乗せられてどこかへ運び込まれようとしていた。
担架を押されている間にセルヴィの専属医であるスイが駆けてきて、脈を測られる。どうやらスイは本当にセルヴィの行く場所について来るらしい。
そんなスイにセルヴィはまるで掴みかかるかのように叫んだ。
「スイ! 絃を助けろ! 壊れる前に早く!」
「俺は医者だぞ。助けるに決まっている。……これは失血死寸前だな。おい、チームAを招集しろ! セルヴィ、輸血はお前の血を使う。ついてこい」
「分かった。全部使って!」
意気込んでそんな事を言うセルヴィに、スイが呆れたようにため息を落とす。
「……全部は別にいらん」
やがて処置室に運び込まれると、私の隣にセルヴィが転がっておもむろに私を抱きしめてきた。それと同時に病室に沢山の機材が運び込まれてくる。
「絃ちゃん、大丈夫。絶対に大丈夫。怖くないよ。怖くないから」
セルヴィは私を抱きかかえたまま、まるで呪文のように同じ言葉を繰り返す。もしかしたらさっきからこのセリフは自分自身に言っているのだろうか。