そんなセルヴィにスイが冷たく言い放った。
「おい、針が刺せん。絃に抱きつくな。仰向けでいろ」
「いちいちうるさいな……」
それでも大人しくスイに従ったセルヴィは、私の手を握り指先を絡める。
しばらくしてセルヴィは自分の血が少しずつ管を伝って私に流れ込んでくるのを見て少し落ち着いたのか、突然輸血をしていない方の腕で自分の顔を覆い、鼻を鳴らし始めたではないか。
まさか泣いているのか?
何となく気になって視線を動かそうとしたがそれは無理だった。その代わりにスイの呆れ果てた声が聞こえてくる。
「泣くなよ、鬱陶しいな」
冷たいスイの言葉にセルヴィが顔を覆ったまま怒鳴った。
「夢だったんだ! ずっと夢だった嗜好生物なんだ!」
「それは前にも聞いた。それにしてもお前がまさかこんな事で泣くなんてな。その気持ちを少し同胞に向けてやれば結婚も跡継ぎもすぐに出来るだろうに」
「それは無理だ。同胞は美味しくないし可愛くない。どいつもこいつも傲慢で、流石吸血鬼だよ」
「それをお前が言うのか」
呆れたようなスイを無視してそれでもセルヴィは話し続ける。
「恋人や家族はいつか僕を裏切るかもしれない。でも嗜好生物は違う。僕だけに愛情を向けてくれる。おまけに美味しくて可愛い。一生一緒に居てくれる。だから僕も安心して世話を焼ける。愛する事が出来る」
「お前、その為に絃を側に置いてるのか?」
「そうだよ。でも誰でも良い訳じゃない。絃ちゃんでないと駄目だ。この子でないと駄目だったんだよ! だってこの子は僕の心を——」
セルヴィがそこまで言った時、スイが顔を面倒そうに歪ませた。
「おい、まさか今からお前の自己開示でも始まるのか? 勘弁してくれ。それよりもういいぞ。安定してきた。流石ハミルトンの血だな」
「……こんな形で僕の血が役に立つとは思わなかったよ」
そう言ってセルヴィはまた私を抱きしめるようとするが、そんなセルヴィをベッドから引きずり下ろしたのはスイだ。
「鬱陶しい。邪魔だ。さっさと離れろ」
「お前に何の権限があって——」
言い返そうとしたセルヴィをスイが間髪入れずに叱りつける。
「絃を助けたのは俺だ! 取り上げないだけ感謝しろ。出ていけとは言わないからせめて隅に居てくれ」
流石のセルヴィもその通りだと思ったのか、スイを睨みつけながらも渋々椅子を持ってやってくると、まるで倒れ込むかのように椅子に座り込み、私の手を両手で握りしめて小さな声でつぶやき始めた。
「絃ちゃん……絃……置いて行かないで……一人にしないで……怖くない。もう怖くない。大丈夫、大丈夫だから……」
『ヴィー……』
私が壊れてしまうと泣いたセルヴィを見て、胸に小さな雫が落ちて波紋のように全身に広がっていく。
項垂れたまま独り言を言い続けるセルヴィの声を聞き、何も感じる事の出来なかった私の心にようやく思考が戻る。
ずっと私はただのセルヴィの嗜好生物でペットでしか無いのだと思っていた。
けれどセルヴィにとって嗜好生物とは、ペットとは、決して自分を裏切ったりしないかけがえのない心の拠り所だったのだという事を、私はこの時に初めて知ったのだ。
◇
『絃ちゃん観察日誌・4
心配していた絃ちゃんの里帰りだったが、久しぶりに離れて暮らすことになった事で、僕も少しだけ冷静になれた。やっぱり側にずっといると客観的に見ることが出来なくなってしまっていけない。
絃ちゃんはあくまでも嗜好生物で僕はその飼主なのだから、きちんと優位性を示さないと。最近はなし崩し的に絃ちゃんに操られてしまうような事もあった気がするけれど、それではいけない。僕が居なくなって困るのは絃ちゃんなんだと、ちゃんと教え込まないと!』
今日の日記に書く内容をスマホに打ち込んでいると、絃に渡した結晶が割れた。それは絃が誰かに吸血されたという事を表している。
この地についた時、知らない吸血鬼の気配がしたから絃にネックレスを渡したが、恐れていた事が起こってしまったようだ。
僕はさっきまで絃がやたらと美味しそうに食べていたクレープをその場に投げ捨て、絃が冴子と入って行った校舎に駆け込んだ。その瞬間、懐かしい気配が肌に纏わりつく。
「おい、絃はどこだ」
入口付近に居た女に声をかけると、女は僕を見るなり一歩下がって戦闘態勢に入る。どうやら教える気はないらしい。
女はつけていた真紅の指輪を投げ捨てると、変身を解いて何の前触れもなく襲いかかってきた。飛んできた拳を軽くいなして女の後ろに回り込むと、その体を締め上げて耳元でもう一度囁く。
「絃はどこだ?」
「お、音楽室よ。こ、殺さないで」
女は今度は素直に従った。吸血鬼は皆こんなだ。従うのなら最初から素直に従えば良いのに、どうして無駄な行為を挟むのだ。これだけで僕の中の選択肢が一つ消えるというのに。