「冴子と一緒に吸血鬼の館に入って、音楽室で吸血鬼に襲われて、ここに運び込まれて、あなたの血を輸血されたところ」
「そっか」
セルヴィは短くそう言って俯くと、今度は私の手の甲を撫でる。
「よく聞いてね。絃ちゃんはもう僕の思考生物では無い」
「……え?」
セルヴィが一体何を言っているのか分からなくて思わず首を傾げると、セルヴィが言葉を慎重に選ぶように話し出す。
「あの日、君の契約が書き換えられた。僕ではない、別の奴に」
「……」
もしかしてあの時、手の甲が熱くなったのは契約の書き換えをされたから? ハッとして顔を上げると、セルヴィが何かを察したかのように頷く。
それを聞いて私のパンを持つ手が震えた。知らぬ間に涙が勝手に溢れだす。
「泣いてくれるの?」
「だ、だって……それじゃあ私、これからどうなるの? その知らない人とキ、キスしないといけないの? そんなの嫌だよ! ヴィーじゃないと嫌っ!」
思わず叫んだ私をセルヴィが一瞬驚いたように目を丸くして抱きかかえてくれる。
「そんな風に絃ちゃんが言ってくれるとは思ってもいなかったな。でも安心して。キスはしなくて良いよ。会う必要もない。ていうかもう会えないしね」
「……どういう事?」
「それは秘密。君にはこのタブレットを渡しておくね。このタブレットの効き目は一つで約一ヶ月だ。全部無くなる前に君の契約を僕に戻す方法を探すよ」
そう言ってセルヴィが取り出したのは紅い玉が大量に詰まった透明のケースだ。それは全て何かに包まれていて、つやつやと輝いている。
「これは凝縮タブレットって言って僕達の、吸血鬼の血液で出来ているんだ。これはそいつの血液で作ったタブレットだよ。中はゼリー状になってる。ただ血液だから空気に触れるとすぐに酸化して灰になってしまうんだ。だからオブラートで包んであるんだけど、飲む時はそれを破かないようにこのまま飲むんだ。いいね?」
「……うん」
こんな物があるなんて知らなかった私は少しだけ複雑な気持ちになった。最初からセルヴィもこれを作っておいてくれれば、私は毎日セルヴィとキスをしなくても済んだのでは?
「なに? その顔」
そんな私の心に気づいたのか、セルヴィが少しだけ眉根を寄せたので私は心を悟られないように首を振った。
「な、なんでもない」
「そう?」
「うん」
そう言って私はようやくパンを齧って目を輝かせる。
心配事はまだ沢山あるし聞きたい事も山程あるが、私と同じようにセルヴィも傷ついているのだ。そう思うと何だかやるせなくなって、私はどうにか必死になっていつもの私を取り繕おうとした。
パンを食べ終えて次に念願のカップ麺に手を伸ばすと、そんな私の行動を見てセルヴィが苦笑いを浮かべる。
「またお腹痛くなるよ」
「大丈夫だもん。ここ病院だから」
出来るだけ軽い口調で言うと、セルヴィがそんな私の頭を撫でてくれた。その手がやけに優しくて泣きそうになってしまう。
「そりゃそうなんだけどさ。お湯入れてきてあげる」
「ありがとう!」
微笑んでセルヴィを見送った私は、目元を手の甲で何度も擦った。
未だに指先が震えている。きっと自分で思うよりもずっと恐怖を感じたのだろう。何よりも思っていたよりもずっと、セルヴィの嗜好生物で無くなったという事実が重く心に伸し掛かっていた。
これから私は一体どうなってしまうのだろう。ずっとお嬢様の仮面を被っていたからか、自分の心を誰にも見せないようにするのは得意だ。
おまけに今までどうにかしてセルヴィから逃れる方法を探してきたけれど、やっぱり失血死寸前以外に方法はないようだ。
けれどそれよりも問題なのは、私がセルヴィに抱き始めている感情だ。
意識が完全に無くなる前に見せたセルヴィの涙とあの言葉は、一体どういう意味だったのだろう。
もう一度ちゃんとセルヴィの口から聞きたいが、どう切り出せば良いのか分からない。
私はもう一度涙を拭いお手洗いに行く為に病室を出て廊下を歩いていると、やっぱりここでも誰とも会わない。
「ここにも吸血鬼専用の階があるのか……」
こうなってくると、もしかしたら世界は実は既に吸血鬼に乗っ取られているのではないだろうかとさえ思えてくる。
お手洗いに向かう途中、給湯室らしき場所からこんな声が聞こえてきた。
「そうだ。これも話しておかなければ。お前たちの関係はとうとう郷に大々的に流れ始めたようだぞ」
「どういう意味だ?」
「そのまんまだ。あのセルヴィ・ハミルトンが嗜好生物を溺愛しているってな。サシャからの連絡だ。気をつけた方が良い」
「サシャから?」
「そうだ。まぁあいつもハミルトン家では異色だからな。問題無いとは思うが、気をつけろ。絃はまた狙われかねないぞ」
「分かってるよ。ただでさえ契約を書き換えられてイライラしてるんだ。これ以上手出しはさせない。誰にも」
唸るようなセルヴィの声には怒りや憎しみと言った感情がこもっている。