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第68話『お世話係は癒やされる』

「絃ちゃん、リボン曲がってる」

「え? あら、本当ね。どれ……ん? あれ?」


 胸元のリボンが見えなくて悪戦苦闘していると、セルヴィが呆れたように笑った。


「ああ待って。サシャ、ちょっとこれ持ってて」


 そう言ってセルヴィはお皿をサシャに渡して私の胸元に手を伸ばし、あっという間にリボンを結んでくれる。そのリボンの美しい事と言ったら!


「お嬢様はご自分でリボンも結べませんもんね?」

「む、結べるわよ! 目から遠い所であれば!」


 思わず言い返すと、その答えを聞いてセルヴィがとうとう吹き出した。


「ふはっ! 目から遠い所って!」


 相変わらずセルヴィの笑いのツボはよく分からないが、私はいつものように目の前に配膳されていく朝食に目を輝かせる。


「お味噌汁です。どうぞ」

「ありがとう、深雪さん」


 こんな偉そうな態度でごめんなさい! 本当は自分で運びたいが、こんな物を運ぼうものなら、絶対に盛大に零す自信がある。


 それからセルヴィのピリピリした雰囲気に怯えながら食事を終えると、いち早く深雪が食器を片付けるべく動き出した。


 私は内心そんな深雪にヒヤヒヤしている訳だが、ちらりとセルヴィを見るとその笑顔が怖い。怖すぎる。だって指がめちゃくちゃ震えているのだ!


「片付けどうも。さて、それじゃあ絃ちゃん準備しようか」


 それでもセルヴィは何かを飲み込むように深雪にお礼を言い。私の手を取って自室へと向かったのだが、部屋に入るなりぐるりとこちらを向いて私の肩を両手で掴んできた。


「いい? 絃ちゃんはあんな風になっちゃ駄目だからね!?」

「な、なりたくてもなれないよ」


 何せ秒でマグカップを割ってさらに秒で怪我する女なのだ。私の言葉にセルヴィは納得したように頷いて私を鏡台の前に座らせる。


「はぁ……ストレス溜まる。絃ちゃんで発散しよ」


 それだけ言ったセルヴィはいつものように私の顔に化粧水を塗りたくってメイクを始めた。クルクルと器用に動く指先を感心しながら見ていると、部屋がノックされる。


「はい?」


 私の髪を弄りながら答えたセルヴィに返ってきたのは、深雪の「洗濯物しておきますね」という声だ。それを聞いてセルヴィは慌てて部屋を飛び出して行く。


「あ! セルヴィ様、お洗濯物があれば——」

「結構です。うちのはうちでしますので、あなたはサシャと自分の分だけしてください」

「でも何度も洗濯機回すのもったいなくないですか?」

「そういう気遣いは無用です。あなたはサシャの面倒だけを見ていてください」

「えっと……分かりました」


 そう言って深雪はチラリと私を見て大人しく出ていく。


 念入りに深雪に対する態度に一線を引くセルヴィに慄きつつ、私は愕然としていた。何という甲斐甲斐しさだ。それに比べて私ときたら!


 思わず恥ずかしくなって両手で顔を覆うと、そんな私の元へセルヴィがやってくる。


「どうしたの?」

「いや、なんか……自分が恥ずかしくて……」

「どうして?」

「何も出来ないから」


 しないのではなく、出来ない。セルヴィの言う通り、私は何をするにも不器用が過ぎる。


「何度も言うけど、そこが良いんだよ。それに絃ちゃんの良さはそこじゃない。あの子にそれは無い」


 セルヴィの言葉に私は首を傾げた。そもそもセルヴィは私のどこをそんなに気に入っているのだろうか。そこだけは未だに謎だった。


             ◇


『絃ちゃん観察日誌・7


 僕が思うに、絃ちゃんってやっぱり特別だ。ガチガチの純粋培養で育ってきたからか、立ち振舞は綺麗だし空気も読む。ここから一歩でも外に出たら本当に非の打ち所の無いお嬢様だ。


 でもそれに反してびっくりするぐらい不器用で、これだけは純粋培養されてきた弊害なのかもしれない。


 皆から愛されて育ってきた絃ちゃんには嫌味が全く無い。吸血鬼なんてやっていると裏切りや派閥争いが日常茶飯事過ぎて忘れそうになるが、絃ちゃんを見ているとその純粋さに、素直さにハッとさせられる。それは人間の中でもだ。


 たとえばサシャが連れてきたあの餌など最たる例で、一見人当たりの良い顔をしているけれど、下心がある事は態度や言葉の端々に現れているし、血にも現れている。サシャが嗜好生物にしようとしていない時点でお察しだ。


 その点絃ちゃんは良い。相変わらず安定の可愛さだ。ブチを巡ってセシルとたまに喧嘩をしているが、そんな所も可愛い。まぁセシルも吸血鬼の中では少し浮いた存在なので、案外絃ちゃんとは気が合うのかもしれない』


 そこまで書いてふと振り返ると、絃は小さな寝息を立ててすっかり夢の中だ。


 僕は日誌を閉じて鍵をかけ、机の引き出しに仕舞い込んでそっと絃に近づいた。


 するとそれに気づいたかのように絃が何かを探すような仕草をするので何気なく手を差し出すと、まるで抱き枕でも探していたかのように手を掴まれて引っ張られた。


「ちょ! まだ用事終わってない——まぁいっか。明日でも」


 僕は絃に引っ張られるがままベッドに転がり、僕の手を掴んだまま巻き込んで寝返りを打とうとする絃を背後から抱きしめる。


 まだ明日の絃の服を選んでなかったのでサシャ達がリビングに居る間に服を選びに行こうと思っていたが、朝にしよう。


「はぁ……癒やしだ。可愛い……」


 不意に絃の髪から僕と同じ匂いがする。そりゃそうだ。シャンプーだってトリートメントだってヘアオイルだって僕と同じ物を使っているのだから。


 僕の夢が一つまた一つと叶っていく。絃ちゃんは何も出来ないから良いんだ。何も出来ないからこそ、全てを僕の好みに変えていく事が出来る。


「ん~……? もうおやつ……?」


 背後からギュッと抱きしめると、絃は相変わらずな寝言を言う。そんな絃に吹き出しそうになるのを堪えながら僕は目を閉じた。


            ◇

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