目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第69話『お嬢様の限界』

 約束の一週間が過ぎてもサシャ達は出ていこうとはしなかった。


「いつになったら出て行くんだろう」


 大学までの道のりの間、もう何度セルヴィのこのセリフを聞いただろうか。


 セルヴィはサシャや深雪の前では波風を立てたくないのかお世話係仕様でいる事が多く、自分の聖域を荒らしてくる深雪にそれはもう腹を立てていたが、いつもの薄ら怖い笑顔で乗り切っていた。


 けれどそれもどうやらそろそろ限界らしい。


 ちなみにそれは私も思っている。彼女たちが居る事で私は家でもお嬢様を演じなければならない事にそろそろ疲れてきていたのだ。


「セルヴィ」

「んー?」


 ハンドルを握ってこちらを見もせずにセルヴィが返事をする。


「デートしよう」

「えっ!?」


 こんな事を私から提案したのは初めての事だけれど、私もまたセルヴィへの思いを自覚し始めた頃から様子がおかしい。自分で言うのも何だが。


 セルヴィにとって私がペットでしか無い事は分かっているのだけれど、それでも少しだけ期待してしまう。


 もしかしたら、セルヴィも私の事をペット以上に思ってくれているのではないか、なんて。


 それに私だってまだ自分の気持ちに自信が持てないでいた。何しろ誰かにこんな事を思うのは初めてだったのだから。


 私の言葉にセルヴィが急ブレーキを踏んでこちらを向いた。その目は何故か紅く輝いている。


「セ、セルヴィ、変身が……」

「ああ、ごめん。ちょっとあまりにも驚いて。どうしたの、急に」

「何となくだよ。そう言えば私、最近吸血めっちゃされてるのにご褒美貰ってないなって!」


 本当の事が言えなくて取ってつけたような言い訳をした私を見てセルヴィが眉根を寄せた。


「毎日おやつ一個買ってるよね?」

「そうだけど! そろそろ大きなご褒美がドンってあっても良いんじゃない!?」


 嘘だ。ただ単にセルヴィと二人きりになりたいだけだ。


 けれどそんな事はとてもじゃないが恥ずかしくて言えない。


「ああ、また期間限定のジュース出たもんね」

「うっ……」


 セルヴィは私の好みを本当に良く把握している。


「まぁそれは置いておいて。それじゃあ夏休みに行きそびれた旅行にでも行こうか。そろそろ寒くなってきたし温泉はどう? あの旅行券使おう」

「温泉? 私、行ったこと無い」

「そう言えば香澄家はあの事故から水とつく場所には絃ちゃんを絶対に連れて行かなかったもんね」

「うん。海も川もプールも行ったことない。温泉も……あれ!? そう言えば私、修学旅行とかも駄目だって言われて行ってない!」


 今更そんな事に気づいて愕然としていると、セルヴィが可哀想な子を見るような目をして私の頭を撫でてくれた。


「香澄家は両極端だからなぁ。全部一緒に行こうね。美味しいものきっと一杯あるよ。御当地スナック菓子とか」

「行く。いつ行く? 明日?」


 御当地スナック菓子と聞いて身を乗り出した私を見てセルヴィが苦笑いを浮かべてお世話係仕様で言う。


「お嬢様、嬉しいのは分かりますが流石に明日は無理ですよ。せめて冬休みに入ってからです。それからあくまでもメインは温泉ですよ。スナック菓子ではありません」

「わ、分かってるよ!」


 まるで全てを見透かしたかのようなセルヴィに言い返しつつ、スマホを開いてメモに旅行の事を書き込んでいく。これでまたセルヴィとの思い出が一つ増えそうだ。



 大学の講義を終えて昼休み。私がトンスケにお弁当を渡していると、そこへセシルとサシャがやってきた。


 最近知ったのだが、どうやらサシャは留学生という名目でこの大学に一時的に編入してきたらしい。


 そんな訳でサシャが来てから私はトンスケと二人きりでお弁当を食べなくて済んでいるのだ。席だって最近はいつもサシャが隣に居てくれる。


 サシャは私のお弁当箱を覗き込んで感嘆の声を上げた。


「兄貴の弁当って超貴重! 写真撮っとこ! でも何か茶色くない?」

「そうなの。トンスケのはこんなにもカラフルなのに」


 トンスケの今日のメニューは鶏肉の香草蒸しだ。色とりどりのハーブが添えてあって何だかお洒落である。それに比べて私のお弁当は筑前煮。なんだ、この差。


「セルヴィ様はあなたの健康を第一に考えていますからね。全く、ここまで何も出来ない嗜好生物の何がそんなにお気に召したのやら」


 ため息混じりにそんな事を言うセシルのお弁当は老舗有名店のお弁当だ。この人は毎日こんなお弁当を私の前で広げては自慢してくるのである。本当に腹立たしい!


「サシャはお昼を食べないの?」

「私? 私は元々あまり物を食べる習慣が無いの。でもあなた達が食べているのを見ると何だかお腹が減ってくるわね」


 そう言ってサシャはトンスケのお弁当箱から鶏肉を一切れ取ろうとして猫パンチを食らっている。流石トンスケ。吸血鬼にすら忖度などしないという強い意思を感じる。


「おにぎり食べる? はい、どうぞ」


 そう言っておにぎりを一つ差し出すと、サシャは驚いたようにそれを受け取った。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?