「誰かにおにぎりを貰うのは初めてだわ! ありがとう、絃」
「どういたしまして。明日から深雪さんにお願いしてみたらどうかしら?」
あれだけ献身的な深雪だ。言ったらいくらでも弁当の一つや二つは作ってくれそうなものだが。そう思ったのだが。
「深雪に? ああ、だめだめ。あの子にはそこまで期待させられないわ」
「期待させられない?」
一体どういう意味だ? 思わず私が首を傾げると、サシャが答えるよりも先にセシルが口を開く。
「あなたと違って、一生面倒を見る気など無いと言っているのですよ」
「そうなの!?」
「そうよ。私達にとって餌か嗜好生物かはかなり大きな違いなの。餌というのはあくまでも一時的なもので、言わば嗜好生物にするかどうかのお試し期間のようなものでもあるの。餌達はそのお試し期間をパスして初めて嗜好生物になれるのよ。だって嗜好生物にすると言う事はその餌の面倒を一生見るって言う吸血鬼にとってはとても重い制約なんだもの」
それを聞いて私は愕然とした。という事は何か。セルヴィは餌というお試し期間的なものをすっ飛ばして私を嗜好生物に作り変えたという事か。
「だからあなたは珍しいのですよ。あの慎重なセルヴィ様が問答無用で、まるで騙し討ち紛いの手を使って誰かを嗜好生物になるなど、考えられない!」
苦虫を潰したような顔をしてそんな事を言うセシルに思わず黙り込むと、まるで助け舟でも出してくれるかのようにサシャが言う。
「それぐらい兄貴は絃に運命を感じたって事よ。おまけにこんな完璧な嗜好生物を作り上げるなんて、流石の強運よね」
サシャは手を伸ばしてうっとりと私の頬を撫であげる。
「え、えっと、それじゃあ深雪さんはまだお試し期間という事?」
同性なのに変にドキドキしてしまいそうになるのを堪えてお嬢様の仮面を被り直すと、サシャはあっさりと首を横に振った。
「いいえ。深雪にお試し期間なんて無いわ。あの子の一生は別にいらないもの。私はいつも世界の各地を転々としてるんだけど、今までに嗜好生物にしたのはたった一人、一番最初の男だけ。あれ以上のを探してるんだけどなかなかねー」
自由奔放なのかと思っていたサシャだが、案外一途な人なのかもしれない。そんな事を考えていると、セシルがメガネを押し上げて考え込むように言う。
「私は未だに一人も作ってはいませんが、皆さんよく飽きませんよね」
それを聞いて私は思わず半眼になった。こいつが一番最低だ。
「飽きる飽きないではないわ。ずっと一緒に居たいと思うの。これはもう本能ね。兄貴はだからそれを見つけただけ。あ~あ。良いなぁ~可愛い嗜好生物」
「可愛いですかねぇ? 何にも自分で出来ないんですよ?」
「くっ……」
相変わらず塩対応なセシルに私が言葉を詰まらせていると、サシャがそれを聞いて眉根を寄せる。
「馬鹿ね。何も出来ないから自分の好みの嗜好生物に育てられるんでしょ? 言わば絃はまだ赤ちゃんの状態なの。ここからどう育てるかが飼い主の腕の見せどころじゃない。ね? 絃!」
「う、うん……」
一応返事をしたものの、釈然としない。やはり吸血鬼にとって人間とはどこまで行っても餌やペットでしか無いのだろう。そこに人としての尊厳も人権も無い。
「そんな訳だから深雪にはそんな事させられないわ。変に期待をもたせるのは良くないでしょ?」
「そうだったのね……。それじゃあ明日からサシャに私のお弁当を半分分けてあげるよ」
私の言葉にサシャとセシルが驚いたような顔をした。
「本気で言っているの?」
「え? うん」
だって一緒にお昼を過ごしているのに一人だけ何も食べていないなんて辛いじゃないか。
「はぁ~……どうにかして兄貴、絃の事譲ってくんないかなぁ」
「それは無理ですよ。この間なんて誰かに譲渡しない理由を早口で仰っていたので」
「だよね~……」
どうして二人がこんな事でこんな顔をするのか分からないまま、私は残りのおかずを口に運び、たまにサシャの口にも運んだ。きっとお腹が減っているに違いない。案の定、サシャはそれを喜んで受け入れる。
気がつけばそれから私は大学ではほとんどの時間をサシャと一緒に居るようになった。サシャは吸血鬼だ。言わば私達の上位的な存在なのだが、サシャの気安さとセルヴィのような面倒見の良さに、私はすっかり懐いていた。
たまに吸血されそうになるが、それ以外は本当に良い人である。
結局二週間経ってもサシャはうちに居た。
「私は一人っ子だから、まるで姉が出来たみたいだわ」
ある日、何気なくそんな事を言うとサシャは目を輝かせて抱きついてきて頬に沢山キスをしてくれた。
「聞いた!? セシル、今のセリフを聞いた!?」
「聞きましたとも。何という厚かましさでしょう」
「違うでしょ? 何という可愛らしさでしょう、の間違いでしょ?」
きらりと光ったサシャの目を見てセシルが渋々頷く。