「何だか最近、私も絃を見ていると感じた事の無い感情を抱くのよ。餌のはずなのに餌とは思えないって言うか……不思議ね」
「どういう事?」
吸血鬼にとって私達はあくまでも餌でしか無いと思っていたが、案外そうでも無いのだろうか?
思わず首を傾げた私を見てサシャが肩を竦める。
「自分でもよく分からないの」
そう言って微笑んだサシャはそれはもう美しかった。
サシャがこのまま出ていくのは寂しいなと思い始めた頃、とうとうそれは起こった。
全ての授業が終わってサシャと共に駐車場へ行くと、セルヴィの隣に何故か今日は深雪がちょこんと座って楽しげにお喋りしている。
「ただいま」
私がいつものように窓の外から声をかけると、セルヴィがこちらを向いて何か言いたげにホッとした顔をする。
「さて深雪さま、お嬢様が戻ってきましたので後部座席に移ってください」
「でも乗り換える時間が勿体なくないですか? 絃さんは荷物も多そうだし」
その一言にセルヴィのハンドルを持つ手が一瞬ピクリと反応する。それを見て私はすぐさま口を開いた。
「私、前の席でなければ酔ってしまうの」
「そうなんですか? それは大変ですね。ちょっと待ってくださいね」
そう言って深雪は前の席から降りようとするが、何やらモタモタしている。どうやらシートベルトが外れないらしい。
そんな深雪にセルヴィがイライラしているのが空気で伝わってくる。ちらりと隣を見ると、サシャはその光景を楽しむように微笑んでいて、助ける気など一切無さそうだ。
とうとう業を煮やしたのかセルヴィが深雪のシートベルトを無言でカチリと外す。
「あ、ありがとうございます! お手数をおかけしてしまいました……」
「ええ」
ようやく前の席から下りてきた深雪はそのまま後部座席に乗り込んでいく。
「絃ちゃん」
「なに?」
私はいつものようにセルヴィの隣に乗り込むと、セルヴィの方を向いた。そんな私の顔を見てセルヴィが呟く。
「今日はお菓子二つ買ってあげる」
「えっ!?」
一体何が起こった!? そう思いつつセルヴィを見ると、セルヴィが小さな誰にも気付かれないようなため息を落として視線だけで深雪を指し示す。
多分これは助けてくれてありがとうの意味だと解釈した私は、そんな事でお礼なんて良いのにという思いと、ラッキーだったなという思いで思わず笑みを浮かべてしまう。
いつものスーパーへ向かう途中、ふとセルヴィが口を開いた。
「そう言えばこの間言ってた旅行なんだけど、ここどう? 好きそう?」
信号待ちをしている時にセルヴィはそう言って私にスマホを渡してきたのだが、私に温泉の良し悪しなど分かるはずもない。
「兄貴たち、温泉行くの? いつ? いいなぁ~」
「どちらへ行かれるんですか? 今の季節なら東北とかでしょうか?」
後部座席で話を聞いていたサシャが身を乗り出してくると、そこに深雪も混じってきた。
そんな二人にセルヴィは冷たい口調で言う。
「言っておくけど連れて行かないからな。そもそもそれまでには出ていけ」
「だってなかなか家見つからないんだも~ん。絃だって私が居なくなったら寂しいよね~?」
「え、う~ん、えっと~……」
そろそろお嬢様で居るのが辛い私が目を泳がせると、セルヴィが勝ち誇ったようにサシャに言う。
「ほら、絃ちゃんも困ってる! あと三日の猶予をやるよ。その間にホテルでも何でも取るんだな」
「えー! 深雪だっているのにー! 深雪も今の暮らし楽しいよね?」
何が何でも出て行きたくないのかサシャが深雪に問いかけると、深雪は少しだけ考えて眉尻を下げる。
「そう……ですね。私は基本的に家事が好きなので、ホテルとかだとそれが出来ないのが辛いです。今は家事が出来るのが楽しくて。料理だけはセルヴィ様は手伝わせてくれないけど」
そう言って少しだけ拗ねたように微笑む深雪に私は心の中で手を合わせていた。家事が楽しいだなんて、若いのに本当に素晴らしい。
そう思って何気なく隣を見ると、セルヴィの眉間のシワが物凄い事になっている。怒っている。これは相当怒っている!
「か、家事が出来るのは本当に尊敬するわ。でもそれなら余計に早くお家を見つけた方が良いんじゃないかしら? ほら、家事をする人たちにとってキッチンや水場は聖域にも近いのでしょう?」
どちらにも波風立てずにフォローしようとするも、バックミラーで見るとサシャと深雪はキョトンとしている。
「そうなの? 私は家事しないから分かんないわ」
「そんな尊敬されるような事じゃないですよ。私は両親が早くに居なくなってしまったので、気がつけば出来るようになっていただけですから。それに家事なんて誰でも出来ますし」
悲しげに視線を伏せる深雪に、私はそれ以上何も言えなくなってしまう。家事が誰でも出来るなんて嘘だ。何にも出来ない奴も居る! ここに!