しかしそうか。ご両親がもう居ないのか。それはさぞかし苦労したのだろう。
「そうだったのね……それなら——もごっ!」
もう少し居る? そう言おうとした矢先、セルヴィが私の口を塞いでくる。
「お嬢様の言う通り家事をするものにとってキッチンや水場は聖域です。ですから私も早くご自分だけの場所を見つけるべきだと思います。という訳だ、サシャ。期限は明日だ。明日には荷物をまとめて出ていけ。いいな?」
「あと三日って言ったじゃん!」
「気が変わった。殺されたくなかったらさっさと出ていけ。大学で絃ちゃんと一緒に行動するのは目を瞑るが、それ以外の場所ではこれ以上干渉するな」
低く冷たい声でセルヴィが言うと、サシャが黙り込んだ。
「セ、セルヴィ、そんな言い方しなくても」
「絃ちゃんは黙ってて。これはうちの問題だ」
そう言われると私にはもう口出し出来ない。
それぞれの家庭に事情があり、そこに他人が口を出すのは良くない。ましてや私はセルヴィとサシャが今までどんな関係で居たのかをほとんど知らないのだから。唯一知っているのは、セルヴィとサシャは最近までずっと音信不通だった事ぐらいだ。
口を噤んだ私を見てセルヴィもまた頷いて見せたが、何を思ったか口を挟んだのは深雪だった。
「あの……サシャ様はセルヴィ様にずっと会いたがっていました。きっと仲直りがしたかったんだと思います。私は家族がある日突然居なくなってしまったから分かるのですが、いくら喧嘩をしていても、口では何を言っていても家族は家族じゃないですか。居なくなってしまってから後悔しても遅いんです! こうして何かの導きでせっかくまた巡り合うことが出来たのですから……」
瞳を潤ませて家族とは何かを力説する深雪に私は感動しそうになったのだが、ふと見るとセルヴィとサシャは同じような顔をしていた。そう、完全にドン引いていたのだ。
そこでふと思い出す。そう言えばセルヴィは身内こそが一番の敵だと言っていたな、と。
吸血鬼と人間では倫理観がまるで違う。私はセルヴィと居る事でそれを理解した。私達の思う情はセルヴィ達にとっては枷でしかないのだと言う事も。
その後はもう車の中は地獄だった。セルヴィとサシャの沈黙が怖いし、深雪はまだ嗚咽を漏らしている。そんな中、私は必死になって今日買ってもらうお菓子の事を考えていた。
やがてスーパーに到着して私はまるで逃げるように息苦しい助手席から飛び降りる。
それに続いて皆もゾロゾロと下りてきたが、いつもならすぐさま私の元へやってくるセルヴィが、今日はそのまま後部座席をじっと見つめていた。
恐らくこれからお兄ちゃんのお説教が始まるのだろう。
「あの、セルヴィ」
思わず声をかけると、セルヴィはちらりとこちらを見て視線をスーパーに向けた。それを見て私は深雪の元へ行くと深雪の手を取る。
「何か話があるみたいだから先に行きましょう」
「え? でも話なら別に買い物しながらでも」
「きっと兄妹だけで話したい事があるんじゃないかしら」
確実にお説教だけど。そんな言葉を飲み込むと、深雪はハッとして頷いて何故か目を輝かせる。
「そうよね。仲直りに私達はお邪魔よね。行きましょう、絃さん」
「ええ」
こうして私達はその場を離れた。一度だけ振り返ってみると、セルヴィが車から降りようとするサシャの腕を掴み乱暴に車の中に押し返しているのが見える。やはりお説教だ。
心の中で私はサシャの無事を祈っていた。
スーパーへ行くと私はいつもセルヴィがするみたいにカートにカゴを乗せて店内に入る。実を言うとこのカートを押すのはこれが初めてなのだ。こういうのを見るとついつい子どものようにカートに乗って暴走したくなるが、そんな思いをグッと堪えて私はそのままお菓子コーナーに向かった。
「どこへ行くの?」
「お菓子売り場よ」
深雪に尋ねられて私は意気揚々と答えると、深雪は苦笑いを浮かべる。
「お店に入ってすぐにお菓子コーナーに向かうだなんて、まるで子どもみたい。大学生なのよね?」
「ええ」
「やっぱり小さい頃から何でも恵まれてる人って少し変わってるのかも。あ! これは褒めてるんだよ?」
「それはどうもありがとう」
一応返事をしたものの、どう考えても褒められている気がしないし、全く持って深雪の言う通りである。
家事どころかその他の事も全てセルヴィに任せっぱなしの私だ。いくらセルヴィがそれで良いと言っても、何事にも限度というものがある。
「気を悪くしちゃった?」
こちらを伺うような深雪に私は首を振った。
「いいえ。むしろ深雪さんの言う通りだわ。セルヴィはいつもメモ代わりに私に今日買うものリストを送ってくるの。それを先にカゴに入れておいて驚かせてやりましょう!」
そうだ。たまには私だって役に立つんだって所をセルヴィに見せたい!
それだけ言ってニコニコでカートの向きをクルリと変えた私の後を深雪が無言でついてくる。