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13:※この後リビングは、犯人が掃除しました※

 階段を上がった先で出くわした鈴緒に悲鳴を上げられ、銀之介は無表情のまま左右を見る。何か体を隠せるものを探しているのかもしれないが、現在の彼の所持品は着用中のスラックスとパンツ、靴下のみである。

 スラックスを脱いで上半身を隠せば、逆に事案度が上がってしまうのだ。


 衣服で隠すのを断念したのか、彼は階段を数段降りて壁に隠れることにしたようだ。器用に顔だけ覗かせ、焦る鈴緒に謝る。

「すまない、君はまだ起きて来ないと思って油断していた」

「……油断してても、他人の家で半裸になるのはどうかと思う」

 鈴緒は渋い顔で正論の指摘をした。半裸が隠れたことで、少し心に余裕が戻って来たのだ。


 銀之介が視線を下げ、かすかにうなだれた。

「君の言う通りだ。申し訳ない」

 声も心なしかしょげている。素直に反省されると、鈴緒もそれ以上文句を言いづらかった。

「それで、なんで服着てないの?」

「実はあの馬鹿のせいで、服がコーラまみれになってしまった。染みにならないよう、シャツを洗って洗濯機に放り込んだ次第だ」

 あの馬鹿が誰を指すのかは、言わずもがなである。ただ、言い訳の大半は全く意味が分からない。

 鈴緒も首を傾げた。


「コーラって、どういうこと? 二人でビールかけみたいなのやったの? 朝っぱらから、それもこんな民家で?」

 疑問符だらけの鈴緒の耳に、ペチョペチョとやや粘ついた足音が聞こえて来た。ついでに呑気な笑い声も。

「いやー、うっかり尻ポケットにコーラのボトル突っ込んだままさ、ラジオ体操しちゃったんだよねー。終わってから飲もうと思ったら、ビャーッてなってさー」

 銀之介の後ろから、緑郎の笑顔がこちらを覗き込んだ。そして彼は鈴緒がいることにも、配慮ゼロで階段を上り切る。


 どこで買ったのか少々気になる、ペヤングのパッケージ柄のボクサーパンツだけを履いた緑郎が、いっそ偉そうに仁王立ちになった。薄い胸もえへんと反らせる。

「おかげで全身、この通りビッチャビチャだとも!」

 鈴緒は起きてまだ数分しか経っていないのに、言いようのない徒労感に見舞われた。


「お兄ちゃん、罪悪感って概念知ってる?」

「そうだなー。聞いたことはあるかなー!」

「うん……もういいから、さっさと服着て――うわぁ、コーラ臭い」

 パンツ一丁のままこちらへ迫って来る緑郎から、ふわんと独特の甘い匂いがした。これは先にシャワーを浴びた方がよさそうだ。


「着替え取って、さっさとシャワー浴びて来て。……ほら、銀之介さんも」

 鈴緒は顔を背けて壁際に寄り、二人が部屋へ戻りやすいよう道を開ける。

「うん、ごめんねー」

「朝からすまない、鈴緒ちゃん」

 ベチョベチョとスキップしながら通り過ぎた緑郎の後ろを、長身を縮こませた銀之介が続いた。色白で細身の兄とは真逆の、日に焼けて筋肉質な引き締まった体が視界の隅に映った。


 先ほどの夢と重なる光景だったため、鈴緒はつい反射的に目で追ってしまった。おかげで、彼の左鎖骨にある古い傷跡も見つけてしまった。鈴緒はつい二度見する。

「あの、その怪我って……」

 まさか鈴緒に話しかけられるなど、考えてもいなかったのだろう。速足で通り過ぎようとしていた銀之介が、わずかに目を見開いて立ち止まる。


 そして顔はそっぽを向いたまま、横目に自分を窺う鈴緒を見下ろし、古傷を指でなぞる。

「ああ、これは――」

 珍しく言い淀む気配がしたが、続く言葉に「これは言いたくないな」と納得してしまう。

「これは……子どもの頃に付いたものだ。木登りをしていて、途中で落ちた時に枝が刺さってしまったらしい」

 理由が馬鹿であった。

「へえ……痛そう、だね」

「当時、号泣しながら枝に怒っていたそうだ」


 この理不尽極まりない怒り方も含め、なんともクソガキじみたエピソードである。クソ真面目な面構えをしているが、幼少期はやんちゃだったのだろうか。

「そっかぁ」

 鈴緒は視線を再度、壁に向けた。壁にはめ込まれた窓から、朝の曇天を見つめて遠い目になる。


 当然ではあるが、鈴緒が銀之介の裸を見たのは今日が初めてだ。

 そしてこの木登り失敗・枝にお怒りエピソードも初めて聞いたはずだ。

 にもかかわらず先ほどの夢には、しっかり彼の古傷も描写されていた。


(つまりあれも、先見ってことだよね……どういう理屈で夢に見たのかは、全然分からないけど……)

 ただ、そう遠くない未来に彼と風呂場でベタベタとイチャついた末におっ始めてしまうことは、現状確定しているらしい。


 ここ数日、部屋に引きこもった挙句に彼を半泣きで罵倒したというのに、何の成果もなかったようだ。

(もうやだ。泣きたい)

 鈴緒は滅入るような灰色の空と、葉っぱの落ち切った庭木を見つめながら、すんと鼻をすすった。


 急に黙りこくって涙ぐむ鈴緒を、銀之介は黙ったまま凝視していたが。

 眉をひそめた表情は、とても険しかった。

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