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14:クロスチョップアタック

 夢での先見という衝撃が尾を引き、実際の先見が描く衝撃映像に鈴緒は眉一つすら動かすことがなかった。

 突如住宅街に現れたイノシシが、あちこちで人にぶつかったりバイクや自転車を跳ね、大勢が負傷するというなかなかのインパクトであったものの、それどころでないため淡々と事故現場をメモする余裕も生まれた。怪我の功名であろう。


 そうして鈴緒は事故現場と、背景に描かれた日の傾きから大体の時刻も書き記しつつ、はたと考える。

(そういえば夢で出て来たお風呂って、どこのお風呂なんだろう? 妙に広かったような……)

 ノートを閉じ、御神体の前に置いた新しいお供え――パウンドケーキを見下ろしつつ、小首をかしげる。


 前回の先見でのデートスポットは、隣駅のショッピングモールだった。

 しかしあの円形の大きな風呂は、全く見覚えがない。鈴緒の家の風呂はもっと小ぢんまりとしている。銀之介の新居にお泊りという可能性もあるが――あんな大きな風呂に見合ったマンションを、一介の大学職員が借りるだろうか。たぶんない。


 となると旅行先で、ちょっと奮発していいホテルに泊まったとも考えられるのだが。

 ここで一つの問題が浮上する。

 鈴緒は巫女である以上、街を離れられないのだ。

 だがこの佐久芽市は取り立てて観光客も誘致していない、十把一絡じっぱひとからげの地方都市だ。ビジネスホテル程度はあるけれど、ラグジュアリーなホテルなど存在しないはずだ。


 近場でそれ以外に考えられる、豪華な風呂のある空間といえば――

(ひょっとして……ラブホテルとか? 嘘、やだ、絶対ラブホテルだよね!?)

もはやそれしか考えられなかった。鈴緒はガッデム、と叫ぶ。

 来年辺りに、急に緑郎が思い立って自宅の浴室をリゾート仕様にする可能性もゼロではないが、恐らく鈴緒の金銭感覚がそれを許さないだろう。異国の地にいる両親も、さすがに止めるはずだ。


 よって現実的な推測を積み上げれば、先ほどのバカップル模様はラブホテル内で繰り広げられたものだと考えるのが妥当となる。


 そしてここで更に問題となって来るのは、場所ではない。先見の状況だ。

 プライベートもプライベートの、他人様には絶対に見せない光景まで、今回お見せされちゃったのだ。

 次は更に踏み込んだ、真っ最中の光景をお届けされる可能性が……こちらもゼロではない。


 そして緑郎が浴室をリフォームする可能性よりも、劇的に高いのだ。

 鈴緒はここまで考え、額と背中に冷や汗をにじませた。べたつく額を手の甲で押さえ、震える声でうめいた。

「人のも嫌なのに……自分がシちゃってるところなんて、絶対に無理! 視てられない!」

 おまけにまた、未来の自分と感覚を共有しようものなら。羞恥心で今度こそ死んでしまうかもしれない。


(本番を視ちゃうまでに……何が何でも、銀之介さんに嫌われよう)

 ぐっと歯を食いしばり、鈴緒は再度決意した。距離を取って時間稼ぎをした末のフェードアウト大作戦ではなく、積極的に嫌われにかかろう、と。

(無理難題言ったり難癖付けたり、可愛げゼロのかぐや姫になってやろうじゃない!)

 鈴緒はそう奮起して、椅子から立ち上がった。そして土地神の宿る鏡をキリリと見据える。


「いつもわたしたちを助けて下さって、本当にありがとうございます。でも銀之介さんとは、絶対に縁を切りますので! あとエっ……エッチな映像は、結構ですから! フリじゃなくって本当に! わたし、芸人じゃないので!」

 土地神本人がこの訴えを聞いてくれるのかは定かではないが、宣言するに越したことはない。精一杯力強く言い切り、鈴緒はオレンジ色を基調としたチェックのミニスカートを翻して自宅へと戻った。


 カスのかぐや姫もしくは、現代日本に潜む病巣ことクレーマーになりきることを目指す鈴緒であったが――すぐさま巨大な壁にぶち当たった。

 銀之介に、イチャモンを擦り付ける隙がないのだ。


 なにせ朝食に、味噌汁と主菜、そして小鉢まで用意する男だ。また自分が休みの日には家の掃除も行い、洗濯でも自分と緑郎の分は積極的に請け負ってくれるのだ。感謝こそすれ、文句を言う要素がまるでない。

 ついでに色々と先回りで動いてくれるので、無理難題を吹っ掛ける余地もない。出来る家政夫もとい居候である。


(お兄ちゃんぐらいチャランポランなら、分刻みで文句言えるのになぁ……もぉぉぉーっ!)

 鈴緒は内心でうなりながら、スマートフォン片手に朝食を食べ、ご飯をこぼしては銀之介にたしなめられている緑郎へ、恨みつらみのこもった目を向けていた。完全なる八つ当たりである。


 しかし据わった目を自分の食事に落とした時、一つの天啓を得た。鈴緒は一瞬ニヤリと笑ってから、わざとらしく顎を突き出して銀之介をねめつける。


「ご飯、いっつも量が多過ぎ。こんなに食べれないんだけど。女の子の食事量、もうちょっと考えてくれない? ってかわたしのこと、太らせる気なの? これって嫌がらせだよね?」

(よし、すっごい嫌な女になれたー!)

 内心では拍手喝さいを上げ、銀之介の反応を待った。彼は無表情に鈴緒の視線を受け止めた後、眼鏡を一つ押し上げて答える。


「そういった意図は全くなかったのだが」

「あっそ」

「ただ君は、もう少し太ってもいいと思う」

「はぁっ?」

 これは完全なる素での威嚇だ。しかし鈴緒の威嚇を保護猫のそれ程度に考えている銀之介は、一切動じない。凪いだ目のまま、淡々と続ける。


「鈴緒ちゃんは線が細く、とても華奢だ。にもかかわらず毎日忙しそうにしているから、いつか倒れるのではと常々不安になる」

 まさか真顔で健康を案じられるとは、夢にも思わなかった。おまけに惚れられている、という事実を知っているだけに、絶妙にむず痒い。

「うぐっ……別に、倒れはしない、と思うんだけど……」

 鈴緒は途端に嫌な女オーラを霧散させ、目を泳がせてへどもどと口ごもる。


 二人の応酬を眺めていた緑郎が、ここでマグカップ片手にヘラリと笑った。視線は焦げ茶のタートルネックセーターを着た、鈴緒の胸元だ。

「鈴緒は背も低いもんなー。おっぱいはメロンみたいにデカいのに。栄養の配分バランスがバカ過ぎて――ギャッ!」

 ノンデリの極みのようなこのコメントは、鈴緒と銀之介双方からの手刀により封じられた。

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