目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

15:セカンドインパクト先輩

 クレーマーかぐや姫作戦は、失敗に終わった。銀之介には健康を気遣われた挙句、緑郎のポリコレ・デリカシーガン無視発言に対しても

「栄養の配分バランスが悪いとは思わない。教務課の同僚が、鈴緒ちゃんは学力も優秀だと褒めていた。脳へ栄養が行き届いていないお前こそ、一度配分を見直せ」

と褒め殺しでフォローまでされてしまったのだ。


 これでは銀之介からのヘイトを稼ぐどころか、彼の好感度がただただ上がってしまっただけである。もういっそ、運命を受け入れて彼と恋人関係になるべきなのだろうか――

(違う、それじゃあ駄目なの!)

 背中を丸めて大学へ向かう途中、鈴緒はブンと大きくかぶりを振った。

(初志貫徹だから! 銀之介さんが実は私のこと……す、好きだったとしても、わたしがあの人を嫌いなのも本当なんだから!)


 ミニスカートであるにもかかわらず、ややガニ股気味に大地を踏みしめて苦悩する巫女の姿を、通行人はどこか微笑ましげに眺めていた。

 今日も巫女ちゃんは元気そうで何よりだ、とその目が語っている。元気が有り余っているのはまあ、その通りだ。


 周囲の温かい眼差しに気付く余裕もない鈴緒だったがその直後、市内に設置されたスピーカーから、やや音割れしたチャイムが響いたことには気付いた。

 ピンポンパンポン、とお決まりのチャイムの後に棒読みのアナウンスが流れる。


〈佐久芽市民の皆さんに、お知らせします。住宅街にイノシシが迷い込むという先見が出ました。もしも近くでイノシシを見かけた方は、必ず警察までご連絡ください。繰り返します――〉


 佐久芽市民にとって、イノシシは山に住む隣人でもある。

 曰く、土地神のペットがイノシシらしいのだ。そのため市内では、よほどのことがない限り殺処分も行われない。市街地に迷い込んでも麻酔で眠らせ、山へ返すのがお決まりのコースだ。


 そのため数年に一回は、イノシシの乱入事件が起きている。住民たちもさほど高くないテンションで

「あらあら。気を付けないと」

「畑が荒らされると困るなぁ」

と話し合う程度だった。


 鈴緒のすぐ近くを歩く大学生コンビなど、

「ちょっと捕まえたいよな、イノシシ」

「うちの牧場で飼えないかなー。繁殖させて、牡丹鍋の密売しようよ」

「いやいや、ウリ坊の写真とか動画でバズる方が儲かるって。小さい頃、マジで可愛いから!」

とまで言っていた。おそらく農学部なのだろう。農学部生と美術学部生は、変わり者が多いことで有名だった。


 なんとも変わり者学部らしい会話に、鈴緒もこっそり微笑んだ。神様のペットであるため牡丹鍋は罰当たり感があるものの、ウリ坊人気を後押ししてくれるなら、土地神もこっそり応援しそうだ。


 ほんのりと気分が上向きになった鈴緒だったが、正門をくぐったところで笑顔が強張る。

 なんと串間が待ち構えていたのだ。それもキラキラと夢見る目つきで、大きな花束を抱えている。こんな男に見つめられ、近寄られても嫌な予感しかしない。


 鈴緒は花束に気付かないフリをして、真っすぐ前を向いたまま串間の脇を通り過ぎようとした。しかしあっさり、差し出された花束に道を阻まれる。

「好きです、僕と付き合ってください」

 次いで陶然とした、しかし朗々と響く声で告白までされた。通学中の学生がわんさかいる、正門で。


 突然の愛の告白に周囲はざわめき、鈴緒は無を通り越して虚無の表情になった。内心はドン引きだ。

(フラッシュモブをする人って、たぶん串間さんみたいな人が多いんだろうなぁ)

 そんな詮無いことも考えて、大きくため息。

 だが対銀之介だけで手一杯だというのに、そこに第二の男を参戦させる余裕はない。


 鈴緒は幼い顔立ちを精一杯引き締めて、頬を赤らめる串間と向き合った。

「ごめんなさい。今、誰かを好きになれる余力が本当にないんです。自分のことをこなすだけで、精一杯なんです。誰かとデートする時間があるなら、寝て過ごしたいぐらいなんです」

 串間もこのお断り文句は想定していたらしく、ニコニコと笑顔を崩さぬまま一つ頷く。


「うん。だからね、僕が君を支え――」

「いえ、支えてもらわなくて結構です。好きな人も、頼りたい相手も自分で選びたいから。なのでごめんなさい」

 鈴緒はきっぱりはっきり、目を見て断った。自分の人生において、串間の入る余地はないと。

 途端、串間の顔からごっそりと表情が抜け落ちる。


 彼から誘われてデートをした当初は、彼のことは嫌いではなかった。好きでもなかったが。

 ただ、こんなTPOをわきまえずの告白は――ない。鈴緒にとって絶対にない。

 先見の巫女としてただでさえ目立つ立場にいる彼女は、こんな一世一代の告白なんて求めていないのだ。


 しばし無言で彼とにらみ合った末、鈴緒はペコリと頭を下げた。

「それじゃあわたし、講義があるので。さようなら」

「日向さん待って! どうして!」

「ここで食い下がれるの、すごいね!?」

 手首を取られ、鈴緒は思わず敬語を忘れて叫んだ。叫びつつ、串間の手を振りほどこうとするも、強く握られてたまらず小さな悲鳴をこぼす。


「痛いんで、離して下さい!」

「なら、僕の気持ちを受け取ってよ!」

「一回受け取って吟味して、『あー、無理だね』って思ったからお返ししたの!」

「そんなの嫌だ!」

 愛の告白などという甘酸っぱさは消え失せ、不穏さを帯び始める。周囲もさすがにまずいと考えたのか、職員を呼びに事務局へ走る学生もいた。


 が、それよりも早く二人に近付く人物がいた。

 彼は串間の背後を取り、その首根っこを掴んで吊り上げる。串間はぐえっと、ウシガエルのようなうめき声をこぼした。鈴緒を捕まえていた手も離れる。

「学内での揉め事は、ご遠慮頂きたい」

 串間を宙吊りにしたまま、銀之介は淡々と告げた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?