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38:出来ればペット可なトコで

 銀之介は近い将来、家を出て行く。

 以前は「早く引っ越してくれ」と毎日祈っていたのに、鈴緒はそのことをすっかり忘れていた。

 盛大に落ち込みそうになるのを精神力でねじ込み、銀之介に笑顔を向ける。

「そうなんだ。いい新居、見つかりそう?」


 傍から見ればぎこちなさ満点の作り笑いだったが、銀之介もそこには触れずに答える。

「なかなか、条件に合う物件が無いのが現状だな」

「条件って、室内で素振り可……とか?」

「素振り不可でも無断でするから、そこは一切気にしない」

「えええぇ……」

 最低の入居者である。束の間、鈴緒がしょっぱい表情になった。


 銀之介は視線を自分の手に落とし、指折り数えながら条件を上げる。

「エレベーター付きで四階以上の部屋かつ、オートロックと防犯カメラ完備の角部屋だな。南向きであれば尚良し」

「それは、難易度というか防犯意識も高いね。やっぱり火事で焼け出されちゃったから?」

 意外な条件だったため、鈴緒も大きな目を更に丸くした。


 だが彼の答えは、かなり違った。

「いや、これは緑郎からの条件だ」

「お兄ちゃんから? どうして? 二人でルームシェアでもするの?」

 鈴緒はキッチンシンクまで皿を運びながら、小首を傾げる。


「いや、違う。君が泊まったり同棲する可能性もあるなら、出来るだけ安全な家を探せとの事だ」

「はいッ?」

 鈴緒の白い肌が、音を立てる勢いで赤くなった。うっかり味噌汁椀を、洗い桶の中に落とした。平皿とぶつかってガチャンと耳障りな音がするものの、幸い割れてはいないようだ。


「どっ、同棲なんて……!」

 羞恥で半ギレの鈴緒とは対照的に、銀之介は至って静かに彼女を見つめ返していた。

「そうだな。毎朝、ここの祠まで通うのは億劫だな。出来るだけ近場の家で探そう」

 斜め上の配慮に鈴緒は再度がなる。

「そこじゃないから! わたし、そんなバカップルみたいなこと、絶対しない!」

「ちなみに鈴緒ちゃんの考える、バカップルとは?」


 抑揚のない声で繰り出される、突然の問答。鈴緒はスポンジを泡立て、皿を洗いながらしばし考える。目だけが宙を泳いでいた。

「えっと……公衆の面前、ううん他人様の目があるところで、構わずイチャイチャするカップル……のような?」

 考え抜いた末に行きついた、バカップルの概念はこれだった。正直なところ、周りから冷ややかな目で見られるような痛々しい存在になりたくない、というのが鈴緒の願望かもしれない。


 ただでさえ彼女は先見の巫女として、周囲から注目されているのだ。そこで初めての恋に浮かれ、鈴緒が馬鹿なふるまいをしようものなら――

「だってわたし……わたしのせいで銀之介さんが、『巫女をたぶらかした』とか悪く言われたら、嫌だもん」

 シンクの流れる水に視線を落とし、鬱々とした声で本音をこぼした。


 異国の男性を夫に選んだ母も、親戚連中からあれこれ言われていた。いや、今もたまに言われているのだ。父はいつだって朗らかで優しい、正に理想のお父さんなのに。

 あんな針のむしろを、銀之介にも負わせるなんてごめんである。


 だが長年緑郎の友人をしていた銀之介は、言外にある彼女の不安に薄々勘づいているのかもしれない。わずかに口角を持ち上げ、鈴緒の隣に立った。洗い終わった皿を受け取り、シンク横の水切りかごに並べる。

「誰に何を言われても気にしないが、鈴緒ちゃんの恋人として胸を張れるような生き方をするつもりだ」

 恋人という単語に、鈴緒の心臓がバックンと跳ねた。密かに彼女が動揺している内に、銀之介は鈴緒の濡れた手を取り、指を絡める。


 鈴緒もそれに抵抗せず、おずおずとだが握り返した。

「うん……その、ごめんね? 色々面倒な女というか、家柄で……大してお金持ちでもないくせにさ」

 ついでに幼少期から抱えていた、大いなる不満もうっかりポロリ。こんな厄介なお役目を負わされているのだから、月々手取りで百万円ぐらい寄越せという、巫女にあるまじき不満である。


 しかし何かがツボにはまったらしく、銀之介は肩を揺らして笑う。

「君のそういう、案外冷めているところも好きだよ」

「ぐぅっ……」

「それに口出ししてくる外野は、実力行使で全員黙らせる。安心しなさい」

「イノシシじゃないんだから、話し合いで解決してね!?」


 口うるさい親戚連中の死屍累々と、木刀片手に彼らを踏みつける銀之介――ちょっと見てみたい光景であるけれど、残念ながらここは法治国家である。


 鈴緒ににらまれ、銀之介は片方の眉を持ち上げてニヤリ。

「口喧嘩もそれなりに得意だ」

「でしょうね! 屁理屈お上手だもんねー!」

「鈴緒ちゃんは圧倒的に弱いな、口喧嘩も」

「今“も”って言った? 言ったよね!? っきぃぃぃーッ!」


 鈴緒が負け犬ならぬ、負けザルじみた奇声を上げる。

 しかし悲しいかな、この男を言いくるめられる未来が見えないのは事実だ。ただ同時に、彼が鈴緒の親戚連中に責められ、落ち込む未来も見えないけれど。

 おそらく責められる前に、先手必勝で相手の心を粉砕していそうだ。


 鈴緒は、銀之介の得意そうな薄い笑みを横目に睨み、あることを考える。

 彼も気に揉んでいたが、どうして土地神は二人が結婚している未来を見せたのだろうか、と。

 心配性の銀之介は、二人の関係性が直近の厄災に紐づいているためだと推測していた。


 だが鈴緒は、厄災云々なんて全く関係ないのでは、と考えている。なにせ彼女を殺すはずだった真犯人も、人語の通じないイノシシである。

 おまけにそのイノシシも、鈴緒や銀之介が全く関与しないところで勝手に飼われていたものだ。


(きっと、彼氏よりもママや家政婦が欲しいって言ってたわたしのことを、土地神様が哀れに思って後押ししてくれようとしたんじゃないかな)

 それが鈴緒の仮説だった。頼めばモザイク処理済みの先見をお届けしてくれる、我らが土地神である。きっと愛情深いはずである。


 もちろん鈴緒の初めてできた、心配性で怒ると――いや、怒っていなくても常に顔が怖い恋人の愛情深さには劣るだろうが。

 現に今も、口喧嘩をしながらも二人の手はつながったままである。

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