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第15話 知りながら知らないこと

(俺はいま、何を聞いた?)


 動揺するウルマスの身体が、ぐらりと傾く。

 執務机の縁を掴んで、その瞬間、なにかがおかしいと気づいた。


「護衛をつけていたはずだな?」

「はい、陛下。陛下の騎士とは別に、わがウクセンの騎士もついておりました。この知らせは我が騎士からのものです」


 内戦の続くウルライネンへ迎えるのは不安だからと、ウルマスはつがいを保護所へそのまま置くことにした。

 そのままとは言っても、ウルマスが彼女の存在に気づいたと知れば、「敵」が動き出すはずだ。保護所の警備にだけ任せてはおけないから、腕利きの騎士を数名配置した。

 こっそり陰ながら彼女を護るようにと命じて。

 そしてその命は、ウクセン候ハインツからも配下の騎士に出されていたということだ。


(俺の騎士からの情報は、上がってきていない)


 違和感の正体は、これだ。

 国王の騎士からの報告が、ウクセン候のそれより遅れている。


(止められているのか)


 誰に?

 心当たりはひとりしかない。


「どうしてそうなった?」


 できるだけの冷静さを意識して、ウルマスは尋ねた。


「ご病気ということですが……。実はこの点、にわかには信じられません」

「そうだな」


 ウルマスの番の様子は、毎夕刻詳細に報告されている。

 それによれば、たしかにここ数日彼女の姿を見ていないとあったが、だからといっていきなり病死とは不自然過ぎる。

 俗な言い方をすれば、王族の番は人の国の者にとって貴重な宝石だ。彼女たちと引き換えに、獣人王族がどれだけの金額を落としてきたことか。

 番保護所の関係者が、それを知らないはずはない。

 番の健康管理は、それは慎重に大切になされていた。数日で容態が変わるほどの重病であれば、保護所の空気がいつもどおりであるはずはない。


「番保護所、神殿の様子に、大きな変化は見られませんでした」


 ウクセン候の言葉に、ウルマスは頷いた。

 自分の手元に視線を落として数秒考えた後、ウルマスは右手を上げてウクセン候を止める。


 できるだけ早く、自ら確かめに行こうと思った。

 だが軽々に動くわけにはゆかない。

 ウルマスは国王だ。

 たとえ単独で戦ったとして、個としての能力でそこらの暗殺者に負けない能力があるとしても、身の安全を何より優先しなければならない。


「僭越ながら陛下。私に同行をお許しいただければと」


 最初からそのつもりだったのだろう。

 ウクセン候の灰色の瞳が、ひたりとウルマスに向けられている。


「少なくとも陛下の騎士より、現在のところ信頼できる存在であると自負しております」


 ウルマスの騎士、つまり王家の騎士のことだ。

 宰相ミスカの息のかかる騎士より、ウクセン候ハインツは確かにマシだろう。あくまでもマシというレベルだが。


「同行を許す」


 賭けに勝つために、ウクセン候にはウルマスが必要だ。

 それなら勝つまで、少なくとも勝てる見込みがあるうちは、ウルマスを裏切らない。


 その夜遅く、黒と灰色の狼がウルライネンを発った。




「随分遅いおいでですね」


 冷たい灰色の目をした貴婦人は、ライタ・ティア・パヌラ男爵、番保護所長であると名乗った。

 深夜、火急の用だと所長の執務室におしかけたウルマスの非礼に驚きながらも、私的な応接室に通してくれた。その後のことだ。


「深夜の非礼、幾重にもお詫びする。私はウルライネンの臣下、ウクセン候ハインツ。こちらは国王ウルマス陛下だ」


 丁寧に頭を下げてから、ウクセン候は事の次第を簡潔に説明する。

 内戦が続いた国は乱れていて、国王といえど簡単に動けないでいること。

 番の身の安全のため、国へ迎える時期を見計らっていたこと等。


「配下の騎士から、ウルライネンの番の君が亡くなったと。そう知らせがあった。それは事実か?」


 幾多の戦場を駆け抜けてきたウクセン候の瞳が、目の前のパヌラ所長を射抜く。

 この濃い灰色の瞳に見据えられて、すくまぬ男はいない。

 けれどパヌラ所長は、冷たい微笑を崩さなかった。


「事実でございます。閣下」

「ほう……。こちらでは番の君の体調が、数日で変わり死に至る程度の管理しかしていないと? そうおっしゃるのか」


 パヌラ所長の微笑の濃さが増す。


「ハカネン子爵令嬢は今年二十八歳でした。十三の歳にこちらへ入ってから、それはもう真面目に励んでいましたよ。わたくしもたくさんの番を見てまいりましたが、あれほど優秀な方は初めてでした。その彼女を失くされたのです。心からお悔やみを申し上げます」


 頭を下げてこそいたが、パヌラ所長の口調は冷ややかだった。


 ――――十五年待たせておいて、他人のせいにするのか。


 彼女の心の声を、ウルマスははっきりと聞いた。


「トゥルトラ大公夫人、ミヨネ様と同じ年にこちらへおいででした。早々にお迎えがあると思っておりましたが……。残念です」


 パヌラ所長の言は、もっともだ。

 叔父ミスカが黙っていたから知らなかったとは、ウルマスにはとても口にできない。

 あくまでそれは、ウルライネンの事情だ。

 黙したままのウルマスに、パヌラ所長はとどめを刺した。


「おそれながら事情はお話しいたしました。夜も遅うございます。お引き取りいただけますでしょうか」


 従うしかない。


「夜分の非礼、詫びはまたあらためて送らせてもらおう」


 ウクセン候ハインツと共に、保護所を後にした。



「陛下、あのご婦人、なにか隠しておいでですね」


 保護所を見下ろす丘の上で、狼に姿を変えたウクセン候が言った。


「なにか……というより、ハカネン嬢を隠しておいでかと」


 番の生死を偽ることは大罪だ。まして保護所長がとなると、一族郎党すべてに累が及ぶ。

 見るからに聡明なパヌラ所長が、それを知らないとは思えない。

 わかっていて隠した。

 彼女はウルライネンに、それほど腹を立てているのだ。


「探せるか?」


 こちらの事情を説明したところで、すべては言い訳にしかならない。

 けれど好んで放置したわけではないことだけは、ハカネン嬢、ウルマスの番に伝えたかった。

 疎んで遠ざけていたわけではない。

 むしろ好ましく思っていたから、だからこそ身の危険のある場所へ招けなかったのだと。


「おまかせください」



 ヴィーチェ・ティア・パヌラ男爵令嬢。

 それがウルマスの番の、今の名だとわかったのは数日後のことだ。

 本当の名は、マタレーナ・ティア・ハカネン。

 ハカネン領の墓石に刻まれていたと、報告書にあった。

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