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第14話 情ではなく賭けなら良い

 ――――陛下はお変わりになった。


 ウクセン候が臣従したあたりからだと、諸侯が盛んに噂しているらしい。


「きっかけになれたなどとは、おそれおおいことですね」


 ウクセン候ハインツは、ここ最近毎日のように執務室にやってくる。

 いささか不遜なくらいの笑いを浮かべて、噂を話題にした後でしゃあしゃあと言ってのけた。


「風見鶏は風をよむのが仕事です。くるくるとよく回りますが、その動きを気にする者がおりましょうか」


 風とは、国王ウルマスと宰相である叔父ミスカの関係のことだ。

 これまでどんなことでも宰相の意見を聴き、決断した後は宰相から諸侯に下ろさせていた。

 それが宰相の力を示すことになっていたのだが、今は違う。

 宰相の関わらない案件が徐々に増えてきている。

 ウルマスがそう決めたからだ。

 ゆくゆくはウルマスの親政体制を敷く。今はその準備期間だ。

 それを周りの者は、敏感に感じ取っているのだろう。


「おまえが宰相の座を狙っているとの噂もあるが?」


 つい先ごろまで敵だった男が、毎日のように国王執務室へおしかければ、そんな噂も立とうというものだ。

 おそらくこの男は、そのあたりも計算済みなんだろうが。


「風見鶏がどれほどよく回っても、ただそれだけのことです」


 噂があるからどうした。

 全く気にもとめていないようだ。


「陛下が本当に噂をお気になさるのなら、私がこうして御前に在ることはかないませんでしょう」


 ウルマスも噂を都合よく利用しているではないか。

 そう言いたいのだ。


(まあ間違ってはいないか)


 叔父ミスカに対する信頼が揺らいだとはいえ、月白の王子を完全に遠ざけることはできない。

 少なくともリハイム領を制圧するまでは、叔父を敵に回すわけにはゆかない。

 できればリハイム制圧後も、叔父とは争いたくない。

 争えば、必ず激しい戦になる。

 十五年かけて取り戻しつつある平穏を再び崩せば、後の世でウルマスにおくられる名は愚王に確定だ。


 けれどもう、完全に信じて任せることはできない。

 それならば叔父を牽制できるだけの後釜が必要だった。

 ウクセン候ハインツは、その後釜役にぴたりとはまる。

 本当に宰相を挿げ替えるかは、また別の話だが。


(今は叔父上を牽制できれば、それで十分だ)


 苦い思いが、こぼれた黒インクのようにウルマスの胸に拡がった。

 ウルマスに無関心だった両親や、少年だと軽んじてくる臣下から、守ってくれたのは叔父だけだった。

 叔父自身が少年と青年のはざまの危うい年齢だったというのに、彼はウルマスの代わりに敵を倒し、王の威信を守り続けてくれた。

 その恩を忘れてはならないと、今でも思う。


 だが叔父ミスカは、ウルマスのつがいの存在を知りながら黙っていた。

 獣人の国王にとって、なによりも大切な存在だと知らないはずはないのにだ。

 国王の神定の番は、その存在が国の安定につながると言われている。

 国王の精神を安定させ、国に平穏をもたらすのだと。

 その番を隠すのでは、思うところありと疑われても仕方ない。


(ご自身は神定の番を得られているのだから。なおさらだな)


 ミヨネとか言う、あの金髪の女の顔をウルマスは思い浮かべる。

 いまだにウルライネンの言葉が不自由らしい、わがままな子供のような話しぶりを思い出すと、イラっと神経がささくれだった。

 平気な顔で嘘をつく女だ。

 けれどあれが叔父ミスカの神定の番で、あの女が側にいれば叔父は幸せなのだろう。


(いずれ宰相を退いていただくが、生涯ご不自由のないように穏やかにお暮しいただこう)


 胸にわだかまる罪悪感を、ウルマスはせめてそう思うことで振り払う。

 これまでどおりの権威を与えられないのは確定で、けして譲れないことなのだから。


「ウクセン候、期待しているのなら今すぐあきらめよ。余は宰相をおかぬ」


 宰相に相応しいのは、叔父ミスカだけだ。かつての。

 叔父ミスカをおろした後は、全幅の信頼をおく人物などいない。

 それならば置かない。


 ウクセン候ハインツは、いかつい角張った顔に穏やかな笑みを浮かべた。


「リハイムを見切ったあの時、私は陛下と共にあることを選んだのです。領主にとって、これは賭けでございます。勝つために、私は骨惜しみなくお尽くししましょう。どうかご安心ください」


 ウルマスは一瞬だけ虚をつかれた。


(賭けだと? こうもあからさまに)


 けれどいっそすっきりして爽快だった。

 叔父ミスカに求め、ウルマスが叔父に与えた情などと、そんな不確かで曖昧なもので臣下の忠誠を期待することはできない。

 忠誠心を期待するなら、相応の利を与えるべきだ。

 利を与えるためには、国王は強くなくてはならない。


(俺が勝っている間は裏切らない。そういうことだ)


 実利をとると、はっきり口にするウクセン候ハインツを、ウルマスは好ましく思った。


「期待させてもらおう」

「おまかせを」


 君臣の新たな契約が結ばれた。




 数日後のこと。

 いつもどおり周りからは図々しいとさえ思える強引さで、ウクセン候がウルマスの執務室に押しかけて来た。


「陛下、お人払いを」


 唇を小さく動かして緊張した表情を向ける。


「さがれ」


 ウルマスの命に近侍がすべて退出するのを待って、ウクセン候はウルマスの側に近づく。

 耳元に口を寄せて、用心深くひそめた声で告げた。


「例の御方が亡くなったと。先ほど知らせが入りました」


 その瞬間、心臓が凍りつく。

 ぴしり……。

 氷の亀裂音を、ウルマスは確かに聞いた。

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