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第13話 あれが俺の番

「ウルライネンの王族のつがいなんですって」

「え~! そこまでわかってて、なんでまだここにいるの?」

「それはさ~。むこうだって若い方がいいんじゃない? わざわざオバサンを迎えないでしょ」


 縦にも横にも小柄な人のメスが三匹、姦しくさえずっていた。

 キャハキャハと甲高い声で楽し気なのが、卑しさをさらに酷くしている。

 その卑しいメスが、「ウルライネンの王族の番」と口にする。


(いますぐかみ殺してくれようか)


 反射的に湧き上がる怒りが、ウルマスの背筋を走る。


「陛下、飛び出してはなりませんよ」


 すぐ側で、ウクセン候ハインツが小さく釘をさす。

 現在、ウルマスと二人、姿を変えて番保護所に潜入しているところだ。


「この姿です。見つかっても正体がバレることはないでしょうが、こちらから何かすれば別です。くれぐれもご自重を」


 ウルマスとハインツは、狼の姿に変化している。

 正確に言えば、ごく小さな狼だ。ぱっと見には、犬にしか見えないだろう。


 獣人王族貴族の番を預かる保護所だ。

 当然ながら警備はとても厳しい。

 男子禁制はもちろんのこと、女子であっても面会には面倒な手続きが必要だった。

 だがそれはあくまでも人の感覚での厳しさで、犬や猫、小鳥といった愛玩動物の出入りには無警戒だ。


「こうして潜り込むのは、実は初めてではありません」


 灰色の犬が得意気に尻尾をぶんと振った。


「裏はとってある。そう申し上げましたが、これでご納得いただけますか」

「見たのか? おまえ自身が」

「はい。番紋は確認できませんでしたが、相手は王の番です。ウルライネンの貴族なら、主君の番は一目でわかります」


 その先を、ウクセン候は口にしなかった。

 主君の番は一目でわかる。誰でも。


(ならば叔父上も……だ)


 ぼんやりとした疑いが、次第に形になってゆく。

 もやもやとした気の塊が集まり凝ってゆくのを、ウルマスは嫌でも認めざるをえない。

 突然、身体中のセンサーが反応する。

 なにか、身体中から声がするようだ。


 ――――いる。あそこだ。よく見ろ。おまえの番だ。



「あれ……か」


 女性にしては長身の、すっきりとした背が見えた。

 長い栗色の髪は少し癖があるようで、ゆるくうねって背中を覆っている。

 何か少し重いものを持っているのか。両腕で抱えていた。


「はい、陛下」


 ウクセン候ハインツの返事は、聞くまでもないことだ。答えた本人も、確認のための相槌としか思っていないらしい。

 食い入るように見つめるウルマスの前で、卑しい人のメスどもはさらにさえずった。



「ウルライネンの言葉、まだやってるんだってさ。未練たらしー。もう諦めたらいいのに」

「王族になりたいわ~って、オバサンがんばってるんじゃない?」

「オバサンががんばってるの、イタイよね」

「要らないって言われてるのに、ほんとイタイわ~」


 貶められているのは、間違いなくウルマスの番だ。

 聞けばウルライネンの言葉を学んでいるらしい。


(自分にできることをしているのか)


 かつてウルマスも幼くして王位についた。

 自分の無力が情けなくて焦ってばかりいたが、「今できることをする」の境地に至り地道に努力を重ねてきた。

 周りから「幼い王」「頼りない王」「お飾りの王」とバカにされながら。


 今、目の前で繰り広げられる光景に、かつての自分が重なって見える。


(卑しいクズメスが!)


 ウルライネンの名を口の端にのぼせただけでも、十分許しがたい。ましてウルマスの番に無礼を働くなどと。

 喉を食い破るか。

 それともあの舌を引きずり出して、食いちぎってくれようか。


「陛下、お気持ちはお察しいたしますが、どうかご辛抱ください」


 ウクセン候ハインツの声に、「わかっている」と忌々し気に応えたものの、本当のところわかってはいない。

 あの卑しいメスどもが、あと一言でも言おうものなら、飛び出して喉元を食い破ってやる。

 殺気が身体中に満ち満ちた瞬間のこと。


「うるさい」


 低く凄みのある声が響いた。

 ゆっくりと長身の女、栗色の髪をしたウルマスの番が動いて、卑しいメスどもを見下ろしている。


「あ……あたしたちになにかしたら! 番が許さないんだからっ」


 ひきつった声に似合いの醜い顔が歪んでいる。


(声も顔も、醜い性根に相応しいことだ)


 この卑しいメスどもを迎えねばならない獣人に、ウルマスは心から同情した。

 もしここであのメスに制裁を加えたとして、あのメスの番はウルマスになにも言えない。それどころか自分の番の無礼を、謝罪せねばならない立場だ。

 そんなこともわからず、ウルマスの番を貶めるとは。


(愚かなメスだ)


 けれどウルマスの番は、ただの人の身だ。あのメスの口にした「番」の一言に、怯むかもしれない。

 その時はすぐに飛び出して、あのメスの喉を食いちぎってくれよう。

 身構えるウルマスの耳に、低い声が届く。


「そうなったらその時だ。おまえが心配することではない」


 だからどうしたと、まったく気にもとめていないらしい。

 それどころか、彼女自らすぐにあのメスどもの息の根を止めかねない。

 そんな威圧感があった。


(ほう……。これはなかなか……)


 ウルマスの番は、獣人の番を怖れぬようだ。

 あてにならない番に守ってもらわなくとも、自分の身は自分で守れる女であるらしい。

 本意ではなかったとはいえ、ここまで放っておいたウルマスが言えたことではないが。


「なんと頼もしい。魅力的な女性ではありませんか」


 ウクセン候ハインツも、ウルマスと同じように感じたようだ。

 首を振って、ぐぅぅと小さく唸る。


「陛下の番には、あのくらいの気概は必要でしょう」


 ウルマスは乱れた国に立つ王だ。その王妃であれば、先の王妃、ウルマスの母のようにおとなしいだけの女では役者不足だ。

 言葉にしないハインツの心を、ウルマスは正確に読み取った。


「正式なお迎えを、急ぎ手配いたしましょう」


 ハインツの言葉は当然だ。

 国王ウルマスの番がみつかっただけでも幸いであるのに、その女は王妃に相応しい素質をあわせもっているのだから。

 ウルマスも否定はしない。

 だが同時にひっかかる。

 卑しいメスどもの言い様から、ウルマスの番は長い間ここで不遇な日々を過ごしてきたことがわかる。

 ウルマスが迎えに来なかったからだ。

 どんな理由があろうとも、彼が動かなかったから彼女はここを動けなかった。

 それなのに今、番だからすぐにウルライネンに来いと言えるのか。


(それに我が国は内戦で落ち着かないままだ。そこに彼女を連れて帰るのか? ここよりはるかに危険だというのに)


 ウルライネンが穏やかで、彼女に幸せな毎日を保証してやれるなら、来てくれと頼むこともできる。

 けれど今は違う。

 随分マシになったとは言え、まだ一番の大物リハイム領の制圧が残っている。

 そしてこれまで誰よりも信頼してきた叔父ミスカへの、疑惑の濃度はさらに増した。

 大きな不安要素があふれかえる国へ、ついてきてほしいとはとても言えない。


「今は良い」


 絞り出すように短く吐き出した後、ウルマスは「戻る」と続けた。

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