深夜の鉱山地域の小道を走り抜けて街道に出たところで、空が白くなってきた。
途中で相棒とはぐれてしまった。
思いがけず執拗に追ってきた一般人を撒くためとはいえ、襲撃後の打ち合わせぐらいはするべきだった。
どうしたものかと息をついて、占い師を道端に降ろす。
濃霧の中、山中の悪路を走破した事自体は大したことではない。
すぐに気絶させたが、抱えてきた占い師は”世界を支配する魔女”だ。その事実に緊張しっぱなしだった。
地面におろした占い師の茶色い髪を掬って、そっと顔を確認する。
ひどく白い顔色だと思ったが、冷静に考えれば夜明け前の薄暗さのせいだ。
自分は息を切らしているのに、まるで何事もなかったかのように呑気に眠っているのが気に食わない。
大きく息をついて、疲れた身体をどっと彼の隣に投げ出す。
手強い魔物との戦いには慣れている。
しかしいざ魔女を扱うとなると……相手は「人」だ。
モノではないし、魔物ではないし、どう接するのが正解なのか、分からない。
拘束してしまえば簡単な話だが、自ら同行に納得したものを、下手に刺激して逃げられては堪らない。
畏れすぎか。いや、相手が相手だ。慎重を期するに越したことはない。
早急に帝国に帰ってこの重責から解放されたいものだと、大きく息を吐いた。
緊張し過ぎていたのか、その一瞬で、寝入ってしまった。
遠く、馬車の車輪が小石を踏む低い音が響いてくる。
セトが目を開くと、うっすらと霧がかった街道のど真ん中で寝転がっている自分の状況をみつけた。
目を擦って昨夜の出来事を思い出そうとする。
旅装の男に縄で引き上げられてから、記憶が無い。
この状況は……。一体、何があったのだろう?
隣で堅苦しそうな男が疲れきった顔色で眠っている。
道の真ん中で寝転がっているなんて、なかなか不思議な状況だ。
あちこち軋んだ身体をゆっくり起こして、簡単に身だしなみを整える。外見は商売道具のひとつだ。
それからそっと男の顔を覗き込んだ。
酒場で襲ってきた時は目がよく見えなかったし、昨夜は暗くて短時間だったから、顔をしっかり見るのは初めてだ。
厳格な顔。年齢は20代の後半か、30代前半頃だろう。
旅装の外套の下に軍服のような厚手の動き易そうな服を着込んでいる。
夏が終わったばかりだというのに、その着古された装いは、いかにもリーオレイス帝国の人間だ。
彼を観察しているうちに、遠くから聞こえていた馬車が近くに迫ってきた。
この男が寝転がった状態では、馬車の通過の邪魔になるだろう。
向かってくる馬車に向かって、大きく手を振る。
馭者が気付いて、馬の速度を落とした。
荷車に大量の野菜を積んでいるのを見ると、行先は外野ではなく街のほうだろう。
「なんだアンタ達、こんな所で何してるんだ?」
若い声が、車上の馭者から降ってきた。どう返事をしたら良いのか分からないが、適当な笑顔を作ってみる。
「まったく、邪魔だよ。馬車通れないんだけど。早く避けてくれない?」
馭者はいらいらした様子で降りてきて、寝転がっている旅装の男を蹴り飛ばしそうな勢いで睨みつけた。
その目が、はっとする。
「……あんた、コイツとどういう関係?」
ぐっと肩を掴まれ、緑色の瞳が真っ直ぐみつめてくる。
鋭さを含んだ綺麗な顔立ちを目の前にして、この馭者が女の子だという事に気付いた。肩を掴んだ手も、細い。
彼女の声に、リーオレイスの男が目を醒まして渋面をつくりながら起き上がった。
掴んだ肩を放さない馭者への対処の仕方がわからず、セトはただ黙って首を傾げてみせる。
「……シェナか。なんでここにいる」
「それはボクの台詞だよ。相棒は? どうしてこんな場所で寝てた? ……まさか、こんな優男が、例の奴じゃないよな」
「そのまさかだ。まだ勝手に言いふらすなよ」
リーオレイス人は小さく舌打ちして、セトの肩を掴んでいた馭者の手に懐から出したルデスを握らせた。
「おっ気が利くじゃん。わかった黙っとくよ。教会に行くならついでに送っていくよ。荷台に乗りな」
シェナと呼ばれた馭者はそれ以上の追及をやめてニッと笑顔をみせた。
リーオレイス人に背中を押されて荷台に乗り込む。
野菜を積んだ籠の下に、木箱がぎっしり敷き詰められている。
採りたて新鮮な土付きの野菜と一緒の馬車の旅。室内で過ごすことを想定した服装は、あっというまに砂だらけになった。
土埃を吸い込みながら得た情報は、リーオレイス人の名前が、ジノヴィ=リガチョフだという事と、シェナと呼ばれた馭者が、報酬に忠実な腕利きの遺跡発掘家だという程度のことだった。
とにかくジノヴィは喋らない。もともと寡黙なのか、敢えて喋りたくないのか、他に意図があるのか。
聞きたい事は山ほどあるのだが、ずっと黙っている。
仕方なくシェナに色々聞こうとして前方に身を乗り出したが、ジノヴィに引き戻された。
あまり喋るなと低く言われて、ため息をつく。せめて自分が連れていかれている理由ぐらい知りたいのだが。
太陽が中天に差し掛かる前には、馬車は街の外壁に辿り着いた。
シェナが外壁の門番にルデスを払って街に入ると、にぎやかな朝の喧噪に包まれた。
この荷馬車の新鮮野菜のように、仕入れ業者が調達する類の卸値価格の専門店が軒を連ね、威勢の良い活気に満ちている。
セトはこの街でも占い師をしていた事がある。
村の炭坑から運ばれた資源は、この街で取引されて色々な地域へと渡っていくのだ。
大陸北西部の一大商業都市、サルディス。
リュディア王国の王都をも凌ぐ要所。
かつてはリーオレイス帝国と国境を争っていた場所だが、魔女の圧力によって武力的な争いが出来なくなってから、お互いに現在の300年前に定めた国境から進出することを控えている。
その停戦状態の恩恵を受けて、南に面するシェリース王国やフェルトリア連邦とも交通網が整っているこの都市は、商業の要所として、国際的な交流地点として発達した。
世界共通と定められた通貨も、この都市で古くから使われていた"ルデス"が使用されている。
リュディア王国は商業の国だ。商売人の自由な活気が国風の土台になっている。
半面、自由な気質が相俟って夜の治安が悪いことにセトはうんざりしていた。
たまたま仕入れに来ていた酒場の店主の誘いで、近郊の炭坑の村に拠点を移した経緯がある。
馬車は市場を抜け、ゴトゴトと石畳を踏み大通りを南に進む。
大概どの街でも、教会は街の南側にある。古代信仰の名残だといわれているが、そこは専門外だ。
大都市らしい立派な教会の門前で、門番に馬車を止められた。
ジノヴィが荷台を降りて、門番と小声で会話を始める。ちらちらとこちらに投げかける視線が気になって仕方がない。動くなと言われているので、ぼうっと眺めることにした。
どのみち何らかの方法でリーオレイス帝国に向かうのだろうが、土埃は落としたいし、一寸どこかで休憩したい。
「アンタ、名前は何ていうの?」
一緒に待たされる格好になったシェナが、ぐいっと近付いてきた。
一瞬男の子に見間違える位の精悍な顔立ちに、抜け目無く生き抜いてきた性格が滲んでいる。
「ボクはシェナ。ジノヴィから聞いたと思うけど、遺跡発掘家だよ。苗字なしだけどね」
苗字がないということは、身元不明の孤児だ。
多くの孤児は教会で育てられ、独立する際には教会指定の苗字を使う事が許される。
ただし、まっとうな人生を選んでいればだ。
魔物を退治する退魔士であったり、教会の仕事を任せられる聖使であったり、外部の専門職であったり。社会の役に立つものでなければならない。
彼女が独立していながら苗字を持たないのは、敢えて選んだ生き方だろう。
「僕は、セト=リンクス。ただの占い師なんだけど、こうして連れて来られた理由が全然分からないんだ。君――シェナは知ってるの?」
「占い師?」
彼女は少しだけ驚いてみせて、笑った。
「勿論知ってるよ。ジノヴィ達とは一緒に旅路の難所を越えた事があるからね。でも、アイツの仕事って、全然金にならないんだ。偉い人から貰った資金も出ていく一方でさ、仕事馬鹿だから適当に遊んだりもしないし。ま、セトが本物かどうかはおいといて、アイツに協力してやってよ。この際本物じゃなくても、国に帰って休暇ぐらい貰えると思うしさ」
「……なんか、帝国に連れて行かれるのは分かってるんだけど。肝心な事だけは教えてくれないね。本物って、何の事?」
小金を掴まされたから返答を誤魔化しているのは何となく分かるけれど、聞きたい事はジノヴィの身の上話ではない。
占い師だから人を観察するのは得意だが、だからといって人の事情をいちいち汲みながら自分の安全を推察するなんて、面倒くさい。
「無駄口をたたくな。行くぞ」
ふたりで話をしているのを見て早足で戻ってきたジノヴィに荷台から降ろされた。
シェナに軽く礼を言って教会の門を通過する。彼女もあっさりした態度で手を振り、来た道を戻っていった。
結局何も分からないまま、巨大な石柱が並ぶ教会の奥へと腕を引かれていく。