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茶色の魔女


 おもわずジノヴィの口許が緩んだ。

 先に行かせたセトの居るべき場所に立つ、女の声の主。

 セトの面影を残した女性。その茶髪の奥から、緑色の瞳がつめたくきらめく。


 だがすぐに、彼女の前で力無く膝をついたアルヴァの背に矢が刺さっているのをみて、眉を顰めた。


「魔女…………!!」

 一気に、魔女探し達が、殺到した。


 突然の動きに、ジノヴィはばっと横に転がって突進を避けた。彼らの目にジノヴィはもう映っていない。手負いのアルヴァを助けることができない事態に唇を噛む。流石にリュディア王国が公認した人間を、こんな事で死なせる訳にはいかない。


 だが、ザアッという轟音とともに、空気が赤くなった。


 巨大な羽根蛇の歯牙がアルヴァの背後に迫っていた剣士の胴体を捕らえ、噛み千切ったのだ。

 そのまま後続の人間にも高速で牙をむく。黒い蛇の胴に、新鮮な赤い模様が描かれていく。

 闘志の声は、ほとんど一瞬のうちに食い千切られた。


 土埃の中に鮮血の臭いが充満する。


 流石にジノヴィも呆然と眺めているしかなかったが、羽根蛇と目が合って、はっと我に返る。

 持てる最速で後方に逃れる。次の瞬間もといた場所が大きく削れ、その石礫が肩を打った。



「ティユ。お終いで良いわ」

 茶髪の女の声に、ティユと呼ばれた羽蛇はシューと喉を鳴らして主の足元へ向かう。それから主人に懐くようにくるくる廻り、普通の蛇の大きさまで小さくなる。


 しんと静かになった山頂には、無残な死体が散乱している状況が残った。

 強大な魔物が好きなだけ暴れた景色は幾度も見てきたが、それでもこれは、ひどい。


「酷い? 自分の想いが自分に降り掛かった結果。他人をこうしたいと思う事は、全部自分にかえってくる。そうやって自分で身体を滅ぼしただけのこと。酷くない」


 思った事を見透かすような静かな声が、風の中でも、際立って耳に届いた。


 荒縄の痕をつけた右手が、アルヴァの背の矢尻に触れて白く輝く。

 軽く引く動作で食い込んだ矢が抜けて、アルヴァはそのまま崩れるように彼女の膝元に倒れこんだ。


 駆け寄り助けてやりたいが、その手前の累々たる死体を越えて行くには、脚が竦む。


 死体が恐ろしいのではない。体が動かない。

 …………彼女に斬りかかる事なら、できそうなのだが。


 躊躇っていられる時間はない。

 もときた山道から聞こえる音。レギナの魔法が第二陣の敵と交戦しながら近付いている。

 追ってきている魔女探しの規模はわからないが、いちいち相手をしている訳にはいかない。

 魔女もその物音に気付いて、右手を上げた。

 小さな大きさの羽蛇が頭上をすり抜けてその戦地へと飛び去る。


 ジノヴィは思い切ってアルヴァのもとへ駆け寄り、気絶している小さな身体の無事を確認して肩に担いだ。


 ふわりと、茶色の髪が視界の横で風になびく。

 ここ数日見慣れたセトの髪であることに変わりは無いが、その女性らしい容姿に、体が強張る。


「逃げようか? それとも、追いかけてきた邪魔者を、片付けてあげようか?」


 セトのように軽く首を傾げる仕草に、ぞっとする。

 馬車の中でも少し言葉遊びをするようなところがあった。ここで、下手な回答を出す訳にはいかない。


「前へ進む。目的地へ行く。それだけだ!」

 思い切り断言した自らの声に励まされて、その細い腕を引いた。

 彼女は特に抵抗する様子もなく、薄い笑みのまま急勾配の下り道を一緒に駆ける。


 セトと違って旅慣れた速度に難なく付いてくるその息遣いが、必要以上に、胸中のくすぶった感情をかき乱す。

 降り道は急勾配の階段のようになっていた。

 追ってくる魔女探しの視界から消えるには、もう少し先にある山林の中に入るのが良いだろう。だが、そこまでにはまだ少し距離がある。


「アルヴァの、外傷は治したけど」

 息を整えながら、傍らの女性が口を開く。

「お姉さんの安否とか国での立場とか、今までと変わった環境の不安は魔法じゃ治せないわ」


「今心配する事ではないだろう」

「今現在の事を後回しにすると、手遅れになるかもよ」

「その話は追われながらすることか」

「死ぬ気が無いのなら、考える事じゃない?」

「…………ふん、もっともだ」


 言葉遊びは煩わしいが、狭まっていた視野が拓けたような気がした。

 今の会話はリーオレイス帝国軍人としても認める合理性がある。


 軽口を叩きながらも、かなり速い速度で駆け降りてきた。

 枯草色の林の中に突入してしばらく走ったところで、ようやく道が枝分かれしはじめた。

 ジノヴィにとっては帝国からはじめて南下してきた時に通った道だ。一切の迷いなく分岐を選んで進む。

 吹き上げる冷たい風が、俄かに霧のような雨に変わった。


「おい、雨を止ませることは出来ないか」

 ジノヴィは魔女が洪水を起こす話を思い出して、口をひらいた。黙って走っていると緊張する。

「え? ……ああ、そうね。アルヴァが冷えちゃうわね」


 彼女はジノヴィの背中で目を閉じたままのアルヴァをちらりとみた。

 ジノヴィはそこまで考えた訳では無かったが、そういわれれば、その通りだ。

 セトは運動が苦手のようだったが、この女性は軍人と遜色無い野外行動の慣れがあるようだ。


「ちょっと時間を貰うわ。すぐ合流するから構わずに先に進んでいて」

 涼しい声でそう言うと、彼女は風魔法を使ってあっというまに木々の向こうに飛び去ってしまった。


 ジノヴィはしまったと唇を噛んだ。

 あの女性はどうみても間違いなく、魔女だ。

 その気になれば、いつでも簡単にこの状況から姿を眩ますことができるということを見せつけられた。


 余計な口を叩いたなと後悔しても仕方ないが、アルヴァを担いだまま彼女を追うのは不可能だ。

 言葉通り、みずから合流してくれることを祈るしかない。



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