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第36話 ヴォーパルバニー

「――ほう。先に蘇生役から始末しようと思ったのだが」


 白兎騎士ハレは、感心したように笑みを浮かべ、水晶の剣を構え直す。


 姉であるダムの死を目の当たりにしたディーは、勇ましく前に出た。


「ダムの仇……必ず討つ!」


 怒りが胸を満たし、涙をこらえながら、ディーは槍を白兎騎士に向けて構える。

 激情に身を任せそうになったが、ゆっくり息を吐きだした。それでも手はわずかに震えている。


 ハレは冷ややかにそれを見つめ、剣を肩に担ぐように持ち直した。


「不用意に踏み込まないか、意外と冷静だな。しかし、この私に槍を向けること自体が無謀だ」

「敵意には倍返し、それが茨の流儀。 ……償えっ」


 ディーが間合いを計る。

 しかし、ハレは隙を与えず踏み込む、透き通る剣が一閃。


 咄嗟に翻りかわすも、血が一筋、ディーの頬を伝った。


 無念そうな姉の遺体と目が合う。負けられない、と、ディーは己を奮い立たせた。


 駆け付けたアラクネのマフェットが、ダムに寄り添い、蜘蛛糸を張り巡らせる。ドレスが穴だらけになり、優美さは失われていた。


「あたしも協力する。今は二人でダンスペアね」

「白獣は?」

「リューファスに任せてきた」


 背中に展開する蜘蛛足と、糸で動きを封じようと図るマフェット。それでも状況は依然、不利だ。


 拮抗している間に、聖女リリーは持ち直そうとするが、吐血してせき込む。


 鎮痛成分を術式で己に投与して、応急処置をしようとする。仲間の蘇生を行うには、あまりにもダメージを負い過ぎていた。厳重に狙い撃ちされた、とリリーは理解する。


「ゴフッゴフッ、ふぅ、自己修復に、時間を要する。……此方こなたの恒常防御術式を貫かれた模様」


 身動きが取れない聖女リリー。さらに近づこうとする白兎騎士ハレを、必死にディーは食い止める。が、明らかに時間の問題だった。


 マフェットの蜘蛛足も、次々に斬り飛ばされる。太刀を受けようにも、甲殻の継ぎ目を精確に断たれる。


「やめて、ハレ兄さんっ!」


 マルシャが弓を構える。マルシャ自身も先ほどの攻撃で怪我を負っていて、血が片目を塞いだ。


「大人しく里にいろと言ったはずだがな、マルシャ。……まさか、人間共に寝返るとは」

「この人たちは、わたしの恩人よ! わたしはこの人たちの優しさに救われたのっ!」


 魔力を帯びた矢を放ち、狙いはハレの心臓へと一直線に飛んでいく。


 だが、ハレは微動だにせず、矢の直前で剣をひらりと払い、その一撃を受け流した。

 間髪入れずに、ディーが反撃を狙うが逆に腕を切り裂かれる。


「うあっ、くぅ、ディーの槍が、届かないっ」

「恩人だと。この程度の人間共が? 一族の恥さらしめ、ヴォーパルの名を汚したな」


 ハレは冷淡に告げる。歩を進める。威圧的な存在感に押され、マルシャは足を後ずさった。


 しかし、彼女の背後から声が響く。


「踏みとどまれ、マルシャ!」


 リューファスが白獣を相手にしながら叫ぶ。

 彼の声に勇気を奮い立たされたマルシャは、弓を再び構え直した。


「ヴォーパルの誇りを汚したのは、兄さんよ! レッドキャップなんかと組んで、不意打ちなんて。力だけで何が量れるって言うの!」


 再び放たれる魔力の矢。

 今度は確かな意志が込められ、放たれる瞬間、空気が震えるほどの魔力がその一撃に宿った。



****



 リューファスはなおも燻り狂える白獣バンダースナッチを相手に剣を振るい続けていた。


 硬い毛皮と圧倒的な攻撃力に苦戦はしていたが、勝機を見出していた。


「向こうはきちんと耐えてるな」


 手負いの白獣に背中を見せることは出来ない。

 最も深手を与えたリューファスを、白獣は危険視している。


「どうも、貴様に見覚えがあると思ったが。余は思い出したぞ、白いの。そうか、ヴォーパルだったか」


 白獣は唸りながら、飛び跳ねる。


 硬質化した毛で攻撃を防ごうとはするが、飛び跳ねている間は毛が柔らかくなる。

 まずはそこを狙えるのが1つ。それを為すには、疾さが必要だった。


「こう、だろう?」


 空中を飛び跳ねる、リューファス。名刀タリアエルバに旋風を纏わせて、加速した。


 深手を負った白獣は、速度が低下しつつあった。そして、リューファスが既視感の正体を思い出したことで、動きの読みが冴えわたる。


 とうとう、二太刀目の深い傷を、白獣に刻むことに成功した。


「やはり、な。貴様とは一度、戦ったぞ。恐るべき首狩り兎ヘイヤ・ヴォーパル。兎人族のゲリラ戦術、よく学ばせてもらったな」


 呼びかけるが、白獣から反応はない。異形と化したライバルに呼び掛けるが、答えを期待していたわけではなかった。


 空中で剣を振るう技の一部は、兎人族との戦いで学んだ。そのことには礼を言いたかった。


「二つ目の弱点。一度、傷を負った場所は、毛を硬化させても補いきれまいな」


 動きを止めれば、傷を狙って再度、斬撃を放つ。動けば、新たな傷を付ける。

 白獣の美しかった白い毛皮が、ズタズタに血染めにされていく。


「悲しい限りだ。あの時の技の冴はもはや影も形もないとはな」


 もしも、以前と変わらぬ姿と剣才であれば、今の自分では太刀打ちできなかったもしれない。


 魔獣としての能力を有した異形よりも、よほどあの時の兎剣士は恐ろしかった。


「いいのか? そろそろ、こいつに止めを刺してしまうぞ。ハレ・ヴォーパル。当代のヴォーパルの騎士よ」


 リューファスは、遠巻きに戦う白兎騎士ハレに語り掛ける。

 声を張りあげる必要はない。兎人族の耳にならば、届くはずだ。


「余の名は、ライ・ユーファス・セレスティアヌス。600年前の一騎打ちにて、ヘイヤを打ち負かした王だぞ。現代に蘇ってやったと言うのに、ヴォーパルの英雄も知れたものだな」


 その一言は、間違いなく。

 誇り高い、白兎騎士ハレの耳に届いた。


「再び、ヴォーパルに敗北を刻ませるか、それもよかろう。今度こそ、討ち取るぞ。貴様の先祖ヘイヤ・ヴォーパルを。今から、余がこいつの首を掲げてやろう」


 心理戦。戦場においては、容易く行われる言葉の弾丸による攻撃。

 これが有効かどうかは、どうでもよかった。物は試し。無料で行える策ならば、支払うものがない賭けと同じ。


「ライ・ユーファスゥゥッ!! 我が、一族の名誉をまた穢すかぁぁあっ!」


 しかし、リューファスにとって児戯に等しい策であっても。

 それはもはや、白兎騎士ハレの目的。蘇生役である聖女リリーを殺すという意志を、挫かせるにはあまりにも十分な挑発だった。



****



 一方、狂帽師は観客席の高台から状況を楽しむように観察していた。

 その指先がまた踊り出し、さらなる歯車とネジの嵐を呼び寄せる。


「さあ、踊れ。軋め。歓声を上げろ! それが吾輩の芸術を彩る! ギチギチギチ、ああっ素晴らしい。命の火花が舞い散るぞ」


 その指先がもう一度踊れば、さらに多くの歯車とネジが闘技場に降り注ぐだろう。

 それは無差別に攻撃を仕掛け、今度こそ、殺戮を繰り広げることになる。


 このままいけば、終わりが訪れた。だが、そうはならなかった。


「――お前の相手は、この僕だ」


 立ちはだかったのは、メッツァだった。


「んン? ああ、ぽっと出の赤子マペットか。動けるとは驚きだ。でも、お呼びではないよ。たくさん本を読んでいるからと、現実を変えられると思ったのかな」


 メッツァは解析眼鏡で、狂帽師の能力を調べながら、虚数演算宝珠によって術式を構成していく。


「お前を止められるのは、僕だけだ。お前さえ、止めればまだなんとかなる」

「おやおや? もしかして、目を開けたまま眠っているのか。 それとも、眠っているのは吾輩か。 今、小さい小さい小指のペティちゃんが、全てを止められる、と。そう言っているように聞こえたが」

「ああ、その通りだ。 お前さえ、今止めれば全部、片付く」


 エメラルド色の煌めきが、メッツァの手元から溢れ出し、空間に複雑な陣を描き始める。


 虚数演算宝珠が輝きを増すほど、陣の端々で小さな星がはじけるような音が響く。


 その光景に、狂帽師は愉快そうに目を細めた。


「ほほう、そんな紛いものでよくやるじゃないか。だがねえ、吾輩は舞台の幕引きをするつもりなどないよ。むしろ――」


 狂帽師が手を振ると、闘技場全体に歯車が広がり、砂埃を巻き上げて回転を加速させる。


 その中心で、彼の姿がゆらりと歪んで見えた。


「この劇場を最後まで楽しみ尽くすつもりさ! 君ごときが脚本を書き変えるなど、おこがましい。大人しく吾輩が従うと思ったかね?」


 メッツァの額に汗が浮かぶ。狂帽師の歯車群の中に潜む魔力は、解析不能なほど錯綜していた。

 虚数演算宝珠が震え、警告の符号を示す。


「僕は……この現象を効率よく、相殺する。ただ、それだけのことだ」


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