目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第4話 遍歴の騎士キホーテ

 自称、遍歴の老騎士キホーテの高らかな宣言に、堪えきれず、あちこちからクスクスという笑い声が漏れ始めた。


「遍歴の騎士、だと? こんなところで何を言ってんだ」

「あら、甲冑なんて着て、暑苦しくないのかしら。まさか博物館から抜け出してきたとか?」

「おい、マスター、あんな道化をどこで雇ったんだよ」


 やがて、客の笑いが爆発して店内を包んだ。すると、軟弱そうな若者が、顔を真っ赤にしてキョロキョロと周囲を見渡し、老騎士に話しかけた。


「うっわ、キホーテの爺さん。おれら、すげえ見られてるって……」

「狼狽えるでない、従者サンチョよ。堂々とするのじゃ。儂らは間違ってないのだから」


 対して、老騎士キホーテは、そんな周囲の嘲笑に耳を貸さず、仁王立ちで腕を組んでいる。


 女給は困惑して、恰幅の良い店主に助けを求める視線を送ったが、店主は苦笑いしながら首を振った。この程度のセクハラ騒ぎは、自分で片付けろ、とでも言いたげだ。多少のもめごとは日常茶飯事なのだろう。


 メッツァは冷静に状況を伺い、適当なテーブルに腰を下ろした。まずは見物する構えだ。


(なるほど、彼女がセクハラをいなせなかったのは事実か。で、これくらいは騒ぎに入らない文化圏なんだね)


 軽い分析を内心で進めながら、自らトラブルに首を突っ込む気はないと態度で示す。相棒のリューファスは、ふんと鼻を鳴らして素直にそれに倣った。


 思わず、メッツァは形の良い眉をピクリと動かす。


(へえ、意外。てっきり、リューファスはこの騒ぎに乗じて暴れると思ってたのに)


 次第に、場から笑いの波が和らぐと、下品な怒声がチンピラ風の男たちの席から上がる。


「おいおい、騎士様よぉ。この可愛いお嬢ちゃんを助けるってんなら、まずはその錆び付いた鎧を脱いでからにしたらどうだ?」


 気持ちよく酒を飲んでいたのに、滑稽な老人に邪魔をされたのは、面白くないと言わんばかりの態度だ。自分たちまで見世物になったこの状況では、居心地が悪そうですらある。

 だが、こうも注目されては引っ込みもつかない。


「そうだそうだ。お嬢ちゃんだって、ジジイなんかの相手より、俺達の方がいいだろう。な?」


 別の男もニヤつきながら女給に声をかける。女給はますます困った表情を浮かべ、所在なさげに手を揉んだ。


「なあ、ジジイ空気読めよ。今なら、酒の席での戯言だって見逃してやるからよ」


 比較的、落ち着いた態度をとったチンピラが、忠告を投げかける。

 キホーテの腰にある剣も、着ている鎧もどこか古めかしい。動きも緩慢で、とても威圧感があるとは言えなかった。


 サンチョと呼ばれた男は、軽薄な声で同意する。


「なぁなぁ、キホーテじーさん。あちらさんもそう言ってんだし、ここはスマートに穏便に済ませちゃおーよ。せっかく新しい町に着いたばっかなんだし、面倒なこととかマジ勘弁!」


 しかし、老騎士キホーテは、重々しくうなづいた。


女子おなごを辱める態度を改めぬなら、儂とて引けぬ。男共よ、わずかでも矜持があるなら手を放し、娘に無礼を詫びるのじゃ」


 チンピラたちは全員立ち上がる。ここまで虚仮にされては、笑って済ませることも出来ない。

 女給は、今にも泣き出しそうな顔で、キホーテとチンピラたちを交互に見ている。


「チッ、ジジイ。忠告はしたぞ」


 言いながらも、その目は獲物を定めるように鋭い。別のチンピラが、拳をゴキゴキと鳴らした。


「加減はしてやるが、ぽっくり逝っちまうなよ」


 三人のチンピラは、ゆっくりとキホーテを取り囲むように動き出した。店内の客たちは、半ば面白がりながら、固唾を呑んで見守った。

 見世物の内容が変わるのは、まさに望むところだった。


 ぼそりとメッツァは相棒に尋ねた。


「助けに行かないの? 正直、気に入ったんでしょ?」

「今は手を出さぬ。あれは、あの御仁が始めた喧嘩だろう」


 よくわからない理屈だ。どうやら、リューファスなりの道理があるらしい。


 老騎士キホーテは、三人のチンピラに囲まれながらも、臆することなくまっすぐ背筋を伸ばし胸を張る。古びた甲冑が、薄暗い店内で鈍く光を反射していた。


「さあ、かかって来い。儂がまとめて相手になってくれるわっ!」

「ハッ、ジジイ、口だけは達者だな。骨董品着てたら、殴られずに済むとでも思ってんのかよ」


 一番手前のチンピラがこぶしを振り上げると、躊躇なくキホーテの顔面へと迫る。


 誰もが、老人が殴り倒されると思っただろう。女給は悲鳴を上げそうになる。

 しかし、従者サンチョはため息を吐いた。


「はあ……あーあ、またかよ」


 鈍い金属音と共に、チンピラの悲鳴が店内に響き渡った。冗談のように、他の客のテーブルをなぎ倒し、料理をぶちまけながら壁に激突。そのままズルズルと床に崩れ落ちた。

 老騎士キホーテは、振り上げた拳を構え直す。


「丸腰の相手に、儂も剣は振るわぬ。次はこちらの番じゃな?」


 甲冑の表面に刻まれた回路が、微かにエメラルド色の輝きを発した。

 床に叩きつけられた仲間を見て、残りのチンピラ二人は目を剥いた。まさか、あのヨボヨボの老人が、一撃で屈強な男を戦闘不能にするとは予想していなかった。


「こ、このジジイ。生身の性能じゃねえぞっ」

「鎧だ、鎧の方に仕掛けがありやがるっ。まさか、魔導甲冑か!? 喧嘩にそんなものを持ち出すのは、卑怯じゃねえのか!」


 尤もな指摘にも、容赦なくキホーテは追撃する。左に回り込もうとしたチンピラへと、背後から伸びた足が彼の脛を払う。骨から痛ましい悲鳴が聞こえたと同時に、チンピラは態勢を崩し前のめりに倒れ込んだ。


「うぎゃぁああぁっ」


 そのまま無様に転がりまわり、痛みに鼻水とよだれを垂れ流しながら叫ぶ。

 恐れをなした最後の一人は、腰に手を掛けると量産型の魔剣を引き抜く。

 いや、抜こうとしたが、叶わなかった。


「さすがにそれはダメだろう」


 いつの間にか、すぐ傍にいたリューファスがその手を掴んでいたからだ。

 理解できない現実に、「ひぃっ」と男が悲鳴を上げる。


「ここは殴り合いの喧嘩で終わらせておけ。さもなくば、殺し合いだぞ」

「うおっ……なんだ、アンタ!」


 リューファスは、掴んだ男の手を軽く握り潰す。骨が軋む嫌な音に、男は顔を歪ませ、魔剣を取り落とした。


「余はただの通りすがりだ。だが、貴様がここで剣を抜けば、ちょっとした喧嘩では済まなくなる。それはわかるな?」


 リューファスの声は静かだが、有無を言わせぬ威圧感があった。男は恐怖に喉が張り付き、コクコクと頷くのが精一杯。

 しかし、床に倒れ伏した二人のチンピラは、苦悶の表情で呻いている。とても「ちょっとした喧嘩」で済まされるような有様ではなかった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?