学校での退屈な時間も終わり、寄り道をすることもなく家に帰る。
自宅の簡素な門を抜けて玄関前まで来たところで、リュックの小さなポケットを探った。
「……あれ?」
ゴソゴソと手を動かす。家の鍵が見つからない。
多分部屋の壁にかけたままだろう。はぁっと溜息を吐き、ドアに手をかける。
ギュッと握りしめ、目をつぶる。真っ暗な視界にゆっくりとドアの錠の構造が浮かぶ。
頭の中で錠の構造を紐解き、鍵で開けるイメージを挿し込む。すると、意識の外から『カチャッ』と音が聴こえ、僕は目を開ける。
ドアを引くとすんなり開き、そのまま家に入る。ドアが閉まったところで自動的にロックがかけられた。
僕のもうひとつの超能力。触れた物の構造を解析して操作する力。
これが結構難しい。なんでもできるけど、慣れてないと時間がかかるし集中力もいる。
今のところこれが使っているのは家の鍵と父の車のロックくらいだ。昔この力を使って自動販売機を開けようとしたが随分手こずって、具合が悪いのかと通りすがりの人に心配されてしまった。
便利かもだけど使いどころが限定されている。これもまた、僕の日常を劇的に変えることはない。
靴を脱いでブレザーを脱ぐ。リビングのソファに座って息を吐くと、ガチャッとドアが開く音が聴こえてきた。
家の鍵を持っているのは僕と父と秘書の相浦さんだけだ。色んな意味で忙しい父がこんな時間に帰ってくるとは思えない。きっと相浦さんだろう。
「坊っちゃーん、帰ってますかぁ?」
玄関から相浦さんの声が聴こえてくる。僕は軽く首を傾げて立ち上がり、玄関へと赴く。
「相浦さん、坊っちゃんはやめてって言ってるだろ」
言いながら迎えると、相浦さんは「あぁ」と言って靴を脱いで家に上がった。
パンツスタイルのスーツ姿の大人の女性。キリッとした顔立ちで前髪なしのミディアムヘアの相浦さんは確か今年で29歳になる。なんでも『ロクデナシ』の恋人がいるらしく、もうすぐ結婚するとかしないとか。
確か僕が小学生のころからお世話になっている人だ。一応父の秘書ではあるのだが、有能すぎるがゆえに秘書の領分を超えた仕事までやらされている。
「まぁいいじゃないですか。私にとってはまだまだちっちゃい坊っちゃんですよ」
「いつの話だよ。もう高校生だって」
「ねぇ、早いですねぇ」
はっはっはと快活に笑いながら相浦さんが階段を上る。この人はいつもこんな調子だ。
「ていうかどうしたの。父さんは?」
「誠治さんはもう会場にいますよ。私はお迎えです」
「お迎えって、誰の」
「坊っちゃんに決まってるじゃないですか」
言いながら相浦さんはなんのためらいもなく僕の部屋のドアを開ける。坊っちゃんって言うなよ。あと勝手に部屋入るな。
「なんで僕? 今日なんかあんの?」
相浦さんの言葉の意味が分からず、怪訝な表情で訊ねる。
すると、今まさにクローゼットを開けようとした相浦さんがピタッと動きを止め、振り返った。
「……誠治さんから聞いてないんですか?」
「父さんから予定を聞いたことなんてこれまで一度もないよ」
僕の返事に相浦さんがげんなりといった感じで溜息を吐く。いつもの流れだ。父の話に僕が巻き込まれるやつ。
「今日はコンチネンタルリゾートの創立記念パーティーです。特別執行役員の誠治さんは当然出席されますし、坊っちゃんも出る必要があるんですよ」
「坊っちゃん言うな。それって強制なの?」
「一応参加自由ではありますが、まぁ重役の家族は特別な事情がない限りは参加されてますよ。なにより、誠治さんが会いたいって言ってましたよ」
「……だったら自分で言えよな。はぁ、めんどくさ」
僕の率直な意見に相浦さんは「まぁそう言わずに」なんて言ってクローゼットを開ける。
パーティー用のスーツを出して、僕の身体へ押し付けるように合わせる。多分やだって言っても行かされるのだろう。
「うーん、いつも通りスーツでって思ったけど、制服でも良さそうですねぇ。どっちにします?」
「なんか行く流れになってるけど」
「いいじゃないですか。美味しいご飯ありますよ。坊っちゃんが好きなローストビーフもありますよ」
「坊っちゃんじゃないし、ローストビーフも言うほど好きじゃない。もう飽きたよ」
「贅沢ですねぇ。エビフライをローストビーフで巻いて「うめー」って言ってたじゃないですか」
「いつの話だよ! よく憶えてんな!」
「人の恥ずかしい話は忘れないようにしてるので」
恥ずかしいとか言いやがった。いやまぁ確かに恥ずかしいけど。
そう、相浦さんとは僕が無邪気な小学生だった頃からの付き合いというか、面倒を見てもらっていたので、大抵の『ちょっとした弱み』を握られている。
僕も父も、相浦さんには頭が上がらないのだ。