「来てくれたんだな、柚臣」
ホテルのメインホールでマッシュポテトにローストビーフを巻いて食べていると、父の声が聴こえてきた。
振り向くと当然そこには父がいた。シャンパンが入ったグラスを持っていて、柔らかい笑みを浮かべている。
もうすぐ40歳になるというのに、贅肉は限りなく少なく、がっしりとした体型で、チラッと見える首筋や手首は筋張っている。ナチュラルな感じのオールバックはワイルド且つ清潔感があり、精悍な顔立ちと抜群にマッチしていた。
僕の父である水瀬誠治は今日もまたご機嫌な様子だ。どうせさっきまで女子社員と楽しくおしゃべりでもしてたのだろう。
「相浦さんに連れてこられたんだよ」
「あぁ、彼女に任せて正解だったよ。どうだ? 楽しんでるか?」
「今更パーティーではしゃぐ歳じゃないよ」
「なんだ、若いのに覇気がないな。私がお前くらいの頃は」
「女と遊んでたんだろ。今と変わんないじゃないか」
「それもそうだ」
くっくっくっと含み笑いを漏らしながら、父がシャンパンを飲む。
そう、この人はこの恵まれた容姿をふんだんに生かして子供のころから数えきれないほど多くの女性と遊んできた。
そしてそれは38歳となった今でも変わらない。さすがに僕の前ではそういうところは直接見せないようにしているみたいだけど。
「高校はどうだ? いい子とかいないのか?」
「普通聞くなら勉強のこととかだろ。いないよそんなの」
「なんだ、まだできないのか」
「生憎僕は父さん似じゃないからね」
「たしかに、お前は身体は私に似たけど顔は母さん似だからな。彫が深くて少し陰があって。まぁ顔の善し悪しはその人の善し悪しじゃないが」
父の言葉に僕は先ほどの出来事を思い出していた。
顔の善し悪しはその人の善し悪しじゃない。確かにそうだ。顔が悪くても善い人はいるし、その逆もまた然りだ。
そう、顔が善くても悪い人はいる。
まぁ、今回の場合は顔が善くて、変な人だったのだが。
市道紫帆。成り行きで助けた彼女は端的に言うと変な人だった。
鼻息を荒くして縋りつき、「私のヒーローになって!」と連呼する彼女、僕はなんだか怖くなり、なんとか振り払ったのだが――
「諦めそうになかったな……」
「ん? どうしたんだ?」
「いや、なんでもないよ。こっちの話」
ローストビーフを食べ終えて、皿を近くのテーブルに戻す。
料理もある程度食べたことだし、そろそろデザートを軽くつまもう。
「そういえば柚臣、お前今年は2次会どうするんだ?」
メインとなる大ホールを移動しようとしたところで、父が再び話しかけてきた。
行くわけがない。ここに来るのだって不本意だというのに、参加するわけないだろう。
「いや、普通に帰るけど……」
「なんだ帰るのか? 今年はコスプレ有りの大騒ぎだそうだぞ」
「余計に行きたくなくなったよ。帰るに決まってるだろ」
行くわけがない。逆にどうしてそれで僕を釣れると思ったんだ。
うんざりして父から離れ、大ホールを出る。通路を挟んだ向かい側にある小ホールへと向かう。
開放されている入り口から小ホールに入ると、甘い匂いが漂ってくる。チョコレートの噴水と色とりどりのケーキが並べられたガラス製のテーブル。その奥にはカウンターバーがあり、今もそれなりに人がいて、静かな雰囲気ながらも賑わっている。
そんな小ホールの真ん中、大きいサイズの真っ白なホールケーキが鎮座しているその場所に、人だかりができていた。
「……マジかよ」
男女が入り混じった集団、その中心には市道紫帆がいた。是善高校の制服を着て、楽しそうに笑いながらケーキを食べている。
どうして彼女がここにいるのだろう。逃げ切ったと思ったのに、どこで見つかったのか。
「どうかされました? 坊っちゃん」
思わぬ遭遇にたじろいでいると、隣から相浦さんがにゅっと現れた。今日は父を家に送るつもりはないのか、シャンパンを飲んでいる。
「外で坊っちゃんはやめてってば。じゃなくて、あそこにいるの……」
「ん? あぁ、市道さんですね。今年は娘さんもご一緒みたいで」
「会社の偉い人?」
「取引先の方ですよ。誠治さんともお知り合いです。ふふふっ、坊っちゃんはああいう女の子がタイプですか?」
んーなんて声を伸ばしながら僕をのぞき込んでくる相浦さん。この人もこの人でなんだかんだお節介だ。父ほどではないが、彼女がいない、つくろうとしない僕を心配してくれているらしい。
「なんでそうなるんだよ。あと坊っちゃんはよしてくれ」
「えー? 熱心に見ていたみたいなので。違いました?」
「全然違う。大体、僕なんか相手にされないよ」
僕の自虐に対して相浦さんがクスクスと笑う。残念ながら彼女とはそういうのじゃない。たださっきみたいに変な絡まれ方をしたら面倒だなと思ってただけだ。
そりゃ確かにかわいいとは思うし、綺麗だとも思うけど、なんかあの子変だ。ヒシヒシとなにか嫌なものを感じる。
「大丈夫ですよ。坊っちゃんはあの誠治さんの息子なんですから」
「その褒め方、あんまり嬉しくない」
低い声で言葉を返し、近くのテーブルから皿をとる。並べられたスイーツを目についた順にのせていく。
「ていうか、そういう相浦さんはどうなのさ。例の『ロクデナシ』の恋人は連れてこなかったの?」
「そりゃもう、こんな豪勢なパーティーなんてあの人には毒ですから。贅沢なんてさせません」
器用に3個のケーキを一気にのせながら、相浦さんがフフンと鼻で息を抜く。
相浦さんの同棲中の恋人はいわゆる動画配信を生業としていて、変わったチャレンジをしたり、ゲーム実況をしたり、商品のレビューをしたりしているらしい。
しかし、今のところあまり有名ではなく、それだけで生活できるはずもなく、ほとんど相浦さんに助けてもらっているそうだ。
会ったことも話したこともないが、相浦さんの恋人というのは相変わらず尻に敷かれているらしい。
「まぁ、お菓子とかお酒くらいは持って帰ってあげますけど」
「……憶測でしかないけど、相浦さんの恋人がそういう感じなのって、相浦さんが要所要所で甘やかしちゃうからじゃないの?」
僕の指摘を受けてケーキサーバーを持ったまま固まる相浦さん。数秒固まったのち、ギギギと軋む音が聴こえてくるような動きで、僕を見てきた。
「いやいやいや、甘やかすっていうかむしろ責め立ててるんですよ。ケツを叩いているというか。こういうことやってあげてるんだから、お前もっとそこらへんちゃんとやれよというか。決して眼を細くして喜ぶ姿がわんこみたいだからとか、そういうんじゃなくて。そもそもあいつはこうやって物で釣れば簡単にやる気を出すというか。そうじゃないと困るというか。とにかく私の甘やかしは甘やかしに見せた厳しい叱咤激励というか、プレッシャーをかけてるだけというか。まぁそのプレッシャーもあいつはヘラヘラ笑って受け流すんですけど――」
ガシャガシャとケーキを皿に並べる、というより盛りながら相浦さんがブツブツとまくしたてる。
男女の関係というのはやっぱりそう単純なものじゃない。怒ってるんだか照れてるんだか分かんない顔でスイーツを取りまくっている相浦さんを見ながら、僕はそそくさとその場から離れた。