昼休み、教室の自分の席で弁当を広げていると、ガラッと前の方でドアが開かれた。
現れたのは市道紫帆だ。僕に視線を向けて、カツカツと足音を立てながら近づいてくる。
座っている僕の隣まできて、彼女は可愛らしいけど古風なデザインのきんちゃく袋を取り出した。
「柚臣くん、お昼ごはん一緒に食べよ」
おそらく弁当が入っているのだろう。しゃがんだ体勢で市道紫帆はきんちゃく袋で小さな顔の下半分を隠し、僕に訊ねてくる。
小首を傾げ、小動物のように覗き込んでる彼女。そのつぶらな瞳に僕は答えあぐねてしまう。
「……だめ?」
そっと、片手で彼女が僕の腕に触れる。
スリスリと甘えるような撫で方。くすぐったく柔らかい感覚に僕は背中がムズムズするのを感じながらもふーっと鼻で息を抜く。
だめだ、堕とされるな、受け入れるな。さっき決めたじゃないか。次来たときガツンと言ってやるって。
「柚臣くんと、一緒にご飯食べたいなぁ……」
右に顔を傾けていた彼女がお次は左に傾ける。きゅるんという謎の効果音が僕の頭の中で反響し、咄嗟に頬の紅潮を隠すため手で覆う。
そして空いた手で僕は机の中心に置いていた弁当箱を少し手前にずらして彼女が使うスペースを確保した。
「……どうぞ。椅子は自分で用意してくれ」
「いいの? ほんとに? やったぁ」
ぴょんっと跳ねて彼女が僕の前の席に座る。
仕方がない。こうなったらさっさと話を終わらせて帰っていただこう。
「……別に君を受け入れたわけじゃない。どうせ逃がしてくれないだろうからって思っただけだよ」
「えー嬉しい。こうやって話してくれるだけでも一歩前進って感じだし」
両手を握ってギュッとする市道紫帆。やけに無邪気な笑顔に僕は内心ドキッとしながらも、左腕で頬杖をついて表情を隠す。
なんていうか、強気なスタイルだ。普通こんな素っ気ない対応されたら気持ちが萎えるか逆切れするかだろうに。
やっぱちょっと変わった子だなと思っていると、市道紫帆がきんちゃく袋から弁当を取り出した。丸くて小さいサイズの弁当箱。女子の弁当って小さいよな――なんて男子でのあるあるそのものみたいなデザインの弁当は、中身もまた女子らしいラインナップだった。
「……その量で足りるの?」
やばい、思わずツッコんでしまった。自分からコミュニケーションとりにいってるじゃないか。
いやでもその量は絶対足りないだろう。市道紫帆の丸い弁当には1口分くらいの五穀米とちっちゃいブロッコリー2個にトマトが3切れ、そしてゆで卵が半分しか入っていない。
12秒くらいで食べ終わりそうだ。なんて思っていると、彼女はむずむずと口を動かしながらも涙目で僕を見つめてきた。
「ぜんぜん足りない」
「……だろうね」
やっぱり足りないじゃん。
しょんぼりしている市道紫帆を見ながら、僕は自分の弁当を食べ始める。
「……柚臣くんのお弁当、おいしそう」
小動物のようないじらしい瞳を見せながら、市道紫帆が呟く。
明らかに欲しがっている顔だ。確かに僕の弁当箱は彼女のものと比べると大きいが、かといって特別中身が多いわけではない。なんなら少し足りないくらいだ。
まぁ僕の胃袋の事情はともかくだ。目の前にいる市道紫帆はブロッコリーをさもしくもしゃもしゃと食べていて、余計に小動物っぽく見えてしまう。
「なんか少しわけよっか?」
仕方なく訊ねると、市道紫帆はハッとしてぶんぶんと首を横に振った。
口の中にあるだろうブロッコリーを飲み込み、校内の自販機で買ったであろうルイボスティーをひとくち飲む。
「だ、だいじょぶ。大丈夫だから。紫帆のこれ、ダイエットだから、貰ったら無駄になっちゃう」
「ダイエット、ねぇ」
適当に言葉を繰り返しながら僕は彼女の顔と身体を見る。
どうもダイエットが必要な体型には見えない。腕も首も腰も、パッと見細いみたいだけど、実際はそうでもないのだろうか。
そんな僕の疑うような視線が気になったのか、市道紫帆は弁当の中身を半分以上片付けたところで箸を置いた。
「今は、どうにかなってるんだけど、気を抜くとすぐ太っちゃうから。中学の頃とか、酷かったし」
「……はぁ、そうなんすか」
「あっ、でも! あのときはもう痩せ始めてたんだよ! お母さんに、痩せなさいってめっちゃ言われて」
「あのとき?」
なんだか引っかかる言い方につい反応してしまった。まずい、何事もなく終わらせるつもりだったのに、これじゃあ話が広がっちゃうじゃないか。
案の定、市道紫帆は僕の疑問に対して小さな顔をほのかに赤くしながら、もじもじとして、僕を見つめ、恥ずかしそうに口を開いた。
「……あのとき、柚臣くんが私を助けてくれた、はじめて会ったとき」
あのときのことを思い出しているのか、市道紫帆は目線をずらし、熱に浮かされたかのようにうっとりとしている。
彼女はいったいなにを言っているのだろうか。どうにも妄想力が強い女の子なのかもしれない。
「えっと……君を助けたときってあれだろ? 林先輩に襲われたとき。そのとき僕たちはもう高校生で」
「あれは2回目。1回目は、紫帆が中学生のときで、学校見学でここに来てたの」
市道紫帆の言葉に僕はご飯をひとくち分放り込み、もぐもぐと咀嚼しながら考え込む。
学校見学でここにきていて、僕に助けられたって。あのとき僕は別に誰かを助けてなんて――
「あっ……あのときの、階段から落ちかけてた女の子?」
隅っこにあった記憶を引っ張り出し、僕は思わず箸で彼女の顔を指した。
市道紫帆が両手で顔を挟み、恥ずかしそうにはにかむ。
マジか、いや、確かに綺麗な女の子ではあったけど、だって髪色とか違ったし、雰囲気もどことなく野暮ったいというか、なんか暗い感じだったけど。
「あのときは、引っ込み思案な女の子だったの。今みたいな性格になったのは高校生になってからで……まぁ今も、暗いっちゃ暗いんだけど」
手元に置いていたスマホを操作して、画像を表示して見せてきた。
箸を引っ込めて画像を凝視する。確かに、あのとき助けた女の子だ。真っ黒な髪で、前髪を伸ばして顔を隠している。
「だから、私にとって柚臣くんはヒーローなの。いつも危ないところを助けてくれる運命のヒーロー」
嬉しそうに笑う市道紫帆。白い歯を見せて笑う無邪気な笑顔を真正面で喰らい、僕は思わず手で顔の下半分を覆う。
だめだ、あんなふうに微笑みかけられてにやけないわけがない。
落ち着け、落ち着くんだ僕。あがるんじゃない頬。大人しくしてろ。
グッと手に力を込めて無理やり頬を引き戻し、顔を正面に戻す。
大きな目でこちらをのぞき込んでくる彼女と再び相対し、平静を装って背もたれに肘を置いた。
「そのさ、君がずっと言ってるヒーローってなんなの? 確かに僕はその……人とは、違う『力』を持ってはいるけど、別にそういうじゃないんだけど」
「うん、分かってる。だから、そうなってほしいの」
ハッキリと、凛とした表情で市道紫帆が宣言する。
なんだか嫌な予感がする。眉間にしわを寄せて彼女の次の言葉を待っていると、カバンから1冊の本を取り出した。
それは、本ではあったが、雑誌サイズの書籍で、なおかつ表紙は漫画っぽい。
ああいうの、なんというのだったか。漫画ではないし、画集って感じでもない。表紙にはおっきなタイトルロゴとマスクをつけた男が女性を抱えて空を飛んでいる。
「これは、ホーネットっていうヒーローのコミックブックなの。何回も映画化されたり、ゲームとかアニメにもなってる有名なヒーローなんだよ」
市道紫帆の説明でようやく思い出した。あれはアメコミだ。しかも結構有名なやつ。幼いころ映画を観に行ったことがある。そのときは確か、1人じゃなくて、誰かと一緒に、確か母と観に行ったような気がするのだが。
僕の記憶はともかく、市道紫帆の話だ。おっとりした癒し系美少女みたいなビジュアルでアメコミが好きっていうのはなんとなくイメージとそぐわないのだが、まぁ個人の好みだ。ガチャガチャ言うべきじゃないだろう。
「私、このホーネットっていうヒーローが大好きで、あとこのヒロインも大好きなの。明るくて綺麗で、自分の意見をハッキリと言える女の子で、実は高校デビューしようと思ったのもこのヒロインみたいになりたくて」
「それはまぁ、なんというか。ご立派なことで……」
なんとなく、話の流れが読めてきた。
ヒーローとヒロインに憧れる女の子。そして彼女の目の前には超能力を使って自分を助けてくれた男が現れて――
「つまり、自分はこのヒロインになるから、僕にこのヒーローみたいになってほしいってこと?」
「うん!」
ニコニコ笑顔で市道紫帆が即答する。
その曇りのない表情を見て、僕は心の中で「うわぁ」っと思ってしまった。
なんて、勝手な女の子だろう。自分がそうなりたいからって、他人に役割を強要するなんて、普通じゃない。
この美少女の笑顔にやられていた自分が恥ずかしい。変わった子だと思ってはいたが、蓋を開けてみればいかれた女だった。
「正体を隠しながら街の悪党と戦うヒーロー、唯一その正体を知りながらも彼の身を案じるヒロイン。信念をとるか愛をとるか、昔っから、すっごく憧れてて。たとえば、ヒロインである私が敵に連れ去られて、ヒーローである柚臣くんが罠と知りながらも助けに来てくれて。逃げ場のない海の船の上で戦って――」
「なるほどね……」
ぺらぺらと喋っているところを、適当に相槌を打つ。
午後の授業がまだ残っているけど、正直受ける気力はなくなっていた。
それに、これ以上学校にいたら、放課後も彼女に付き纏われてしまうのだから。