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2-6

 思っていたよりも寝てしまったようで、午後の授業はとっくに終わっていた。

 視聴覚室を出ると、窓から夕陽が射し込んでいる。顔の前に手をかざして歩きつつ、旧校舎を出る。

 2日連続で午後の授業をサボるのは良くなかったかな。なんて思いながらも、大して気にすることなくあくびをしながら歩く。

「柚臣くん」

 校門という名のただの簡素なゲートに市道紫帆がいた。

 おしゃれで可愛らしいデザインのカバンを持って立っている。カバン、というよりはバッグだ。あんなもので教科書とか入るのだろうか。

 彼女は僕の名前を呼ぶだけだった。笑うわけでも怒るわけでもなく、ましてやこっちに近づいてすら来ない。

 僕から来いということだろうか。警戒心をあらわにしながらゆっくり歩くと、市道紫帆が大きな目でジッと僕を見上げた。

 随分としおらしいが今度はなにを仕掛けるつもりなのか。近づくふりをしながらもいきなり駆け出して距離を取ろう。そこからは――

「ごめんなさい」

 一目散に走るだけ。そう思っていたところで、市道紫帆がぺこっと頭を下げた。

 突然のアクションに僕は足を止める。

 1秒、2秒くらいだろうか。彼女は深々と頭を下げ、やがて、ゆっくりと頭を上げて僕を見た。

「柚臣くんの都合も考えず、付き纏ったりして、ごめんなさい」

 思ってもいなかった言葉に固まってしまう。

 確かに、市道紫帆の行動に迷惑していたことは本当だ。美少女に付き纏われるなんていいことづくしだと思っていたけど、実際はまぁ普通にめんどくさかった。

 だけど、まさかここで急に相手が正気に戻るとは思わなかった。いったいどういう心境の変化だろう。

 ばつの悪い顔で僕をジッと見つめてくる市道紫帆。もじもじと上目遣いでこっちを見上げるその姿を見ると、なんだか僕が悪いことをしているみたいだ。

『あんな人前で、しかも自分の親がいる前でお前にキスをしたんだ。一目惚れとか、気まぐれとか、そんなことじゃなくて、ちゃんとした理由があるはずだよ。理性を持って、あの子はお前にキスをした。なぜそうしたのか、お前はそれを、ちゃんと知っておくべきだ』

 昨日の父の言葉が蘇る。

 僕はまだ、彼女のことをよく知らない。

 どうしてヒーローが好きなのか。他人に役割を強要するほどに憧れているのか。それなのに、どうして急に自分の行いが恥ずべきものだと自省して僕に謝ってきたのか。

 ここへ至るまでの理由を、僕はまだ知らない。

「……分かってくれたなら、いいよ。もうああいうことをしないって言うなら、それでいい。別に、そこまでイラついてたわけじゃないし」

 ひとまず、この場を収めるために市道紫帆からの謝罪を受け入れる。すると向こうは不安そうな表情から一変してぱぁっと笑顔を見せた。

 なんて分かりやすい人なのだろう。彼女の素直さに呆れも入り混じりつつ、感心していると、スススッと僕に近づいてくる。

「じゃあさ、今日一緒に帰ろう」

 付き纏ってごめんなさいって謝った後にこれだ。この子いったい何を考えているんだ。

 いきなりの提案に口角をヒクつかせていると、市道紫帆はハッとして手を振った。

「あっ、違うよ? そういう意味じゃなくって! 私その、柚臣くんと、そういうの抜きで、もっと……仲良くなりたくって……」

 段々と声が小さくなっていく市道紫帆。最後には俯いてぼそぼそ喋る始末だ。

 僕はどうするべきなのだろう。

 そういうの抜きでという彼女の言葉を信じてもいいのか。そうやってついていって、結局、騙されるだけなんじゃないのだろうか。

 しかし、謝罪を受け入れてしまった以上、ここで無下に突っぱねるのもなんだか気まずい気もする。

 チラッと市道紫帆へ視線をやる。またもや上目遣いでこっちを見上げていて、きゅるんとした瞳とその不安を押し隠すような表情に、小動物的な愛らしさを感じてしまう。

「……分かった。分かったよ。僕の負けだ。一緒に帰るくらい、別に構わないよ」

 ぽりぽりと頭の後ろを掻いて、僕は降参宣言をする。

 再び市道紫帆は花が咲くような笑顔を見せ、嬉しそうに隣へ並んできた。

「えへへ、ありがとう。柚臣くん」

「……ただ一緒に帰るだけだよ。お礼を言われるようなことじゃない」

 目線をそらし、明後日の方向へと言葉を返す。

 僕は父のようになりたいわけじゃない。

 だけど、相手のことをちゃんと知りもしないで、突っぱねたくない。そんな、身勝手な人間にはなりたくないんだ。

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