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2-7

「柚臣くん、みてみて。生ドーナツ!」

 隣を歩く市道紫帆が僕の制服の裾をつまんで引っ張る。

 食いもんの店に寄り道するのはこれで3軒目。底の見えない彼女の食欲に、僕は若干引きながらも「はいはい……」なんて言ってついていく。

 駅の近くにある複合ビル。企業の営業所やオフィス、宿泊施設や商業施設なんかが入っているこの場所は地元の人間はもちろん、観光客もそれなりにいて、平日の夕方でもそれなりに賑わっている。

 僕と市道紫帆はここの商業施設、ショッピングプラザ内を歩いていた。僕の家は逆方向なのだが、彼女はこっちに住んでいるらしい。

「チョコとキャラメル……柚臣くんどっちにする?」

 目を輝かせながら市道紫帆が訊ねてくる。彼女の中ではすでに食べることが決まっているようで、大きな目をさらに大きくしてフードトラック風の店の看板を見入っている。

「えっと、じゃあチョコで」

「じゃあ私はキャラメルにしよー」

 白い歯を見せて笑う市道紫帆。すぐに振り向いて店のカウンターに乗り出す勢いで手をついて注文をする。美少女のポップな動きに店員のお姉さんは驚きながらも微笑んでいた。

 さっきから随分とご機嫌だ。どうやら彼女は結構に食べることが好きなようで、特に甘い物が大好物らしい。

 なんというか、男が想像する可愛らしい女の子そのものみたいな人だ。甘い物が大好きで、屈託なく笑う美少女。そりゃモテるわけだろう。

 立派なもんだなと思いながら僕は財布を出す。カードを出して支払おうとしたところで、彼女がぴょこっと割り込んでくる。

「あっ、柚臣くん。私出すよ?」

「ん? あぁ、いいよこれくらいは」

「でもでも、さっきも奢ってもらっちゃったし……」

「まぁあれも大した金額じゃなかったし。うん。いいよ別に」

 言ってる間にも決済を行う。同時にドーナツも受けとると、市道紫帆は諦めたようで財布をしまって「ありがとう、ございます」と言った。

 近くにあるベンチに座ると、彼女もまた隣に座ってきた。

 ぴったりと僕にくっついてくる。狭かったかなと思って少しズレると再び隙間を詰めてくる。

 チラッと視線を向けると市道紫帆は肩を寄せながら小首を傾げる。触れ合っている太ももと腕の感触に長い髪からほのかに感じる香り。僕は心をざわつかせながらも平静を装って彼女へキャラメル味の生ドーナツを渡す。

「ありがとう。あの……柚臣くんってもしかしてお金持ち?」

 包み紙で挟まれたドーナツを持ちながら市道紫帆が訊ねてくる。

 お金持ち、というなんだか子供っぽいワードに僕は「そんなことないよ」と返した。

「父さんはまぁまぁ貰ってるみたいだけど、お金持ちってほどじゃないよ。都内じゃないからこういう暮らしができるだけだし」

「でもでも、さっきからずっとカードだし。高校生なのに」

「月の上限3万のカードだよ。中学生になったとき父さんから押し付けられた。必要なものはこの中から捻出しろって。でも逆に言うとこれしか持ってないんだよ」

「小銭とかお札とかは?」

「うん、だからカードが使えない店とかは行けない。まぁ一応秘書のお姉さんに言えば両替って形で都合してもらえるんだけど」

「……へぇ、なんか、変わった生活……生活……生活様式?」

「生活方針じゃない?」

「それっ、生活方針!」

 うん、と納得してドーナツを食べる市道紫帆。会ったときから思っていたがよく喋る女の子だ。

「んぅっ! これおいしいっ! おいしいよ柚臣くん!」

 口の端に生ドーナツのかけらをつけながら、市道紫帆が振り向く。これもまた3度目になる光景、というよりリアクションだ。なに食わせても同じことを言ってる。

「さいですか、よかったっすね」

「柚臣くんのは? チョコのやつ、おいしい?」

「うん、まぁ、食べてみるよ」

 急かされるようにジッと見つめられている中で、チョコ味の生ドーナツを食べる。思った以上に柔らかくて、しゅわっとした食感があって、不思議な味がした。

 生ドーナツというものは初めて食べたけど、なるほどこんな味なのか。これはなんていうか、人気が出そうな食べ物だ。

 もうひとくち食べていると、ふと、視線を感じた。市道紫帆が自分のドーナツを持ったままジッとこちらを見ている。

 いや、正確には僕じゃなくて僕が持っているドーナツだ。大きな目を真ん丸にして口を半開きにして見ているのだ。

「……どう? おいしい?」

「うん、普通においしいけど……あの、良かったらひとくち食べる?」

「えっ、いいの? 悪いよぉ~」

「全然悪いって顔してないけど」

 目を細めてニコニコ笑う市道紫帆。そりゃあんな見られたらこっちだって察するだろ。

 ドーナツをひとくち分ちぎって、彼女へと渡す。

 すると市道紫帆は、僕が指でつまんでいるドーナツを受け取る――ことはせず、そのまま顔を近づけてパクっと食べた。

「ん~チョコもおいひい」

 幸せそうな笑顔を見せて、市道紫帆がドーナツを咀嚼する。

 僕はというと、指と指の間から消えたドーナツを見つめながら、あの一瞬の急接近に心をかき乱されていた。

 指に触れた唇の柔らかさと、くわえたときに見えた彼女の長いまつげ。あまりにも綺麗で、可愛らしくて、今も心臓が早鐘を打っている。

「柚臣くん? どうしたの?」

 僕がドーナツをあげたときのポーズで固まっていることに気付いたのか、市道紫帆がドーナツを飲み込んで、こちらを覗き込む。

 その仕草もまた小動物的で、僕はハッとして咄嗟に右手で口を覆う。

「いや、その……まさか直接いくとは思わなくて。ちょっと、びっくりしたというか……」

「直接? 直接ってどうゆう……ふぇっ!」

 自分がしたことに気付いたのか、彼女が変な声を出して固まってしまう。

 どうやら自覚がなかったらしい。顔を赤くしながらうがっと口を開けている彼女から視線を外し、僕は場をやりすごすため、残ったドーナツを口に入れて無心で咀嚼する。

「ちょ、ちょくせつ……直接いっちゃった……うぇ、うぇへへ……指、嚙まなかった?」

「指? あーまぁ、大丈夫だよ。なにもなかった」

「そっかぁ……嚙んどけば良かったかも」

「良くないと思うけど」

 あまりにも欲望に忠実だ。思っていることをすぐ口に出してしまう性格なのだろう。

 自分の口元を拭いてひそかに視線を向けると、彼女は顔を赤くしたままドーナツを小さくひとくち分にちぎっていた。

「あの、それで、良かったらだけど、柚臣くんも私の分、ひ、ひとくち食べない?」

 なんで攻めてきたんだ。市道紫帆のめちゃくちゃな胆力に思わず舌を巻く。

 だが、僕のそんな態度を見ても彼女はまったく怯まない。むしろ体を傾けて僕に近づき、ひとくち分のドーナツを口の近くへと差し出してくる。

 これを食べろというのか。ドーナツから市道紫帆の顔へピントを合わせると、彼女はなぜかうっとりした顔をしながら僕を見つめている。まるで酔ってるみたいだ。

「どうぞ、柚臣くん。あーんして」

 甘く柔らかい声で催促される。今更だがここはショッピングプラザの通りで普通に通行人がいるのだ。それにさっきから店の中から店員の視線も感じる。

 こんな衆人環境の中でなぜドーナツをもらわなければいけないのか。頭の中が沸騰しそうになりながらも、僕はなんとか恥ずかしさを押し殺して口をあけ、市道紫帆からドーナツをもらった。

 耳まで赤くしながらドーナツを咀嚼する。

 キャラメルの生ドーナツらしいが、味なんて全然分からない。

 世のカップルはこんな恥ずかしいことを恥ずかしげもなくやっているというのか。

「おいしい? 柚臣くん」

 ゴクッと飲み込んだところで、市道紫帆が訊いてくる。

 頬を少し赤く染めながらも、身を寄せてこちらを見上げるその表情に、僕はしどろもどろになりながらもどうにか答えた。

「あぁ、まぁ。うまいけど、うまいんだけどさ……その、恥ずかしくない?」

「えへへ、ちょっと恥ずかしいけど、でも、柚臣くんと仲良くなりたかったし」

 照れたようにはにかむ市道紫帆。仲良くなるってこういうことなのか。

 こんな物理的に距離を縮めるようなやり方――ほとんど反則だ。

 両手で顔を覆い、両手で息を吐く。熱い息が指の隙間から漏れて空中にとけていった。

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