「おはよ! 柚臣くん」
週明けの月曜日、登校途中。校門の少し前の道で市道紫帆と出会った。
彼女はこの前のことなんてちっとも気にしていないようで、相変わらず嬉しそうに笑っている。
「……どうも」
「この前のデート、すっごく楽しかったね」
「この前のデート、すっごく楽しかったね?」
唐突な問題発言に思わず同じ言葉を繰り返す。
疑問符を浮かべる僕に対して彼女はニコニコ笑顔を維持しながら「うん!」と快活に返事をした。
あれはデートだったのか。いや、思い返してみればデートだったけど、それにしてもこの子、普通にデートとか言うんだな。
幸い、周りに人はいない。学校で1番の美少女と目される市道紫帆とデートをしたなんて話が周りにバレてしまえば僕の平穏な日常は一瞬で崩壊だ。
「あぁ、そうだ。これ」
デートの話題をさっさと終わらせるため、僕はブレザーのポケットから1枚のハンカチを取り出した。
市道紫帆に手当てしてもらい、そのときに使ったハンカチ。もちろん洗濯してアイロンをかけてある。やってくれたのは相浦さんだけど。
「手のケガ、もう大丈夫なの?」
差し出したハンカチを受け取りながら、市道紫帆が僕の左手の甲を見つめる。
これ以上過保護に色々されたくもなかったので、隠すことなくパッと左手を見せた。
「おかげさまで。もう傷は塞がってるよ。あー……ありがとう」
「はい、あんまり無茶しちゃダメだよ?」
「それを君が言うのか」
「うわっ!」
クッと目を伏せて笑うと、市道紫帆が目を丸くして叫んだ。
そんなにおかしなことを言っただろうか。疑惑の視線を向けると、彼女はハッとしてハンカチを制服のポケットにしまった。
「ご、ごめんなさい。柚臣くんが笑ったところ、初めて見た気がしたから、びっくりしちゃって」
「そんなに……ていうか、僕これまで笑ってなかったっけ?」
「うん、びっくりとか恥ずかしいとか、そういう感じの顔ばっかだった。あとはちょっと嫌そうな顔とか」
「さもありなんだ。君に少し慣れてきたのかもしれないね」
「そう? えぇ~うれしい~」
照れるようにはにかむ市道紫帆。相も変わらず素直なリアクションに僕の背中が熱くなる。皮肉のつもりだったのに。
どうにもならない。いつも父が手練手管を弄して女性と遊んでいるところを見ていたので、楽観視していたのだが、女の子の相手をするって大変だ。それとも、彼女が特別扱いづらいだけなのだろうか。
なんだかお互いに恥ずかしい思いをしながら歩いていると、すぐに校門とは名ばかりのただの簡素なつくりのゲートが見えてくる。
これ以上彼女と一緒に歩いているところを見られると、変な噂をされるかもしれない。
いやしかし、そもそも彼女が僕に付きまとってあれこれ訊いてきた時点で噂にはなっていたから、いずれにしろもう手遅れなのか。
「あの、柚臣くん」
これからの身の振り方をどうするか考えていると、隣を歩く市道紫帆が声をかけてきた。
歩きながら視線をやると、彼女は通学用のカバンをギュッと握りしめ、輝きを秘めた大きな瞳を向けてくる。
「なに? どうしたの?」
「私、やっぱり諦めきれない。柚臣くんのこと大好きだし、それと同じくらい、柚臣くんには、ヒーローになってほしいの」
あまりにもまっすぐなまなざしに僕はその場から動けなくなる。逃げられない。いや、逃げても意味がない。市道紫帆はきっと、ずっと追いかけてくるだろう。
ならばここで改めて断るべきだ。期待には応えられないと、きっぱり切り捨てたほうがいい。
ジッと僕を見上げてくる彼女と目を合わせ、僕は肩を竦めた。
「……分かったよ、そっちの期待に応えられるか分かんないけど、まぁ、やるだけやってみる」
僕の返答に市道紫帆はぱぁっと笑顔を見せる。
「ありがとう柚臣くん! 大好き!」
満面の笑みを浮かべたまま、市道紫帆が跳んで抱き着いてきた。
僕の肩を掴んで大きく跳躍する彼女。あまりにも高くジャンプしたので僕は咄嗟に両腕を差し出して受け止める。
羽のように軽い、なんてことはなく、しっかり1人分の重みがのしかかってくる。いやまぁ、多分平均よりは軽いんだろうが。
「きゃあぁっ!」
市道紫帆が嬉しそうに高い声で叫び、ぴったりと密着してくる。
抱き着く、というよりはもはやしがみつくみたいなポーズだ。長い脚をパタパタと動かし制服のスカートがふわふわと舞う。
ここまで喜んでくれるのだから、なんだかんだで了承して良かったかもしれない。得策とは思えないけど。だけどここは話に乗るしかない。僕は本能でそう判断した。
彼女はなにか隠している。その笑顔には裏がある。それを引き出すためには、ひとまず向こうが望むヒーローってやつをやるしかない。
それが分かれば、諦めさせられるはずだ。だから僕はあえてヒーローになる。
誰かのためのではない。市道紫帆のためでもない。自らの平穏のために、僕のためのヒーローになってやろう。