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3-2

「うん、これだけデータがあればスーツ作れるかも」

 むふふっと満足そうに笑い、市道紫帆がノートを通学用カバンにしまう。

 僕は彼女から少し離れた席に座り、机に頬杖をついて眺めていた。

 まさかこんな目に遭うとは思わなかった。それも女子にやられるなんて。

 笑っている姿は美少女そのものだというのに、その裏にある薄汚れた欲望に気付いてしまった今となっては、彼女を素直に受け入れることができない。

「……それならよかったけど。君って、とんでもない猫かぶってたんだな」

 警戒しつつも呆れた口調で言及する。すると市道紫帆は立ち上がって1人分離れた席に移動し、僕を見て「へへへっ」と笑った。

「猫かぶってたわけじゃないんだよ? どんなときでもテンション上がるとああなっちゃうっていうか。いやぁ、柚臣くんのカラダが思ってた以上にすごかったから……」

 ぼんやりと天井を仰ぎながら市道紫帆が語る。どこを見てなにを思い出しているんだ。

「すごいすごいって言うけど別にそんなすごいもんじゃないと思うけど。そりゃ、太ってはないけどさ、だからといって筋肉の塊ってわけでもないし」

「そうかなぁ、結構すごかったよ。でも運動部ってわけでもないのになんでそんな鍛えてるの?」

「なんでって、厄介ごとに巻き込まれたとき自分で対処できるようにってことかな。あと時々父さんのジムに付き合わされるんだよ」

「お父さん? お父さんと一緒にジム行ってるの?」

「たまにだけどね。あの人だっていい歳なんだからよせばいいのに僕と張り合おうとするんだよ」

「え~かわいい~」

 きゃらきゃらと笑う市道紫帆。そりゃ傍から見れば親子のほほえましい光景なのかもしれないが、付き合わされるこっちはたまったもんじゃない。

 しかもさっさと終わらせるためにわざと手を抜くと、向こうはちゃんと気づくし。

「じゃあじゃあ、あの不良達をやっつけたのは? ただのケンカっぽい動きじゃなかったけど?」

「あれは……教わったんだよ。才能があるから護身術としてね。なんだっけ、ああいうの。マーシャルアーツっていうんだっけ」

「へぇ~それもお父さんから?」

「いや、父さんの秘書から」

「……秘書ってこの前話に出てた秘書のお姉さん?」

「ん? あぁ、そうだね。秘書の相浦さん」

「美人のお姉さん?」

「うん、まぁそうだね。美人だと思うよ」

「へぇ~ふ~ん」

 市道紫帆が声を伸ばしながら唇を尖らせる。僕の周りに美人がいるということがお気に召さないらしい。

 確かに相浦さんは美人だけど、僕が幼い頃から面倒見てくれている人だ。日々のお世話はもちろん、おねしょの処理だってしてもらったこともある。逆に僕が酔っぱらった相浦さんを客室まで連れて行って着替えさせて、よだれを拭いてベッドに寝かせたことだってあるのだ。恋愛対象になんてなるわけがない。お互いに。

「別に相浦さんはそういう人じゃないよ。それにあの人はちゃんと恋人いるし」

「そ、そうなの? 柚臣くんのこと、狙ってるわけじゃないの?」

「これまでの人生で僕に狙いをつけたのは君だけだ。安心してくれ」

「は、初めて……そっかぁ、紫帆が初めてなんだぁ……えへへ、柚臣くんの初めてだね」

「……なんか含みのある言い方だ」

「初体験の相手だね」

「曲解だ。いや誤った解釈だ」

「初キッスの相手だね」

「キッス! なんでわざわざ恥ずかしい言い方した!」

「き、キッスとか、い、い、いわないで。恥ずかしいから」

「そっちが言ったんだろ!」

 思わず目を見開いて声を張り上げる。市道紫帆はまたまた顔を赤くして俯いている。自分で仕掛けておいて恥ずかしがるなよ。

 にしても初キッスだなんて。そりゃ間違ってはいないだろうけど、残念ながら僕は違う。

 初めては確か小学校5年生くらいのときだ。父のお供として連れてこられたなんかのパーティーでたくさんいる父の遊び相手の女性の1人に「誠治さんの息子さんですか? やーん、かわいー」とか言われて勢いでキスをされた。向こうはまぁまぁ酔っていたのでノーカンかもしれないが、僕はしっかり嫌な記憶として憶えている。

 なにが嫌だって、キスをされたとき僕は結構ショックだったのに、父も相浦さんも、周りの大人達が笑っていたからだ。むしろ微笑ましい光景みたいな空気で、僕の気持ちを置いてけぼりにして盛り上がっていた。

 今思うと、僕の大人に対する信用や、大人の落ち着いた女性へのあこがれみたいなものはここで崩れ去ったのかもしれない。大人なんて、身体が大きくなった子供に過ぎないと、冷めた考えを持ち始めたのも確かあの頃からだ。

「そうだ、マスクは? マスクはどんなデザインがいい?」

 一通り恥ずかしがる時間は終わったのか、市道紫帆がスマホを机の上に置き、画面を表示する。

 なにかのスケッチだろうか。いかにもヒーローらしい正体を隠すための頭からかぶるタイプのマスクのデザインがいくつか並んでいた。

「こういうの、全部自分で考えたの?」

「うん、オーソドックスなのはこの顔を全部覆う布製のやつで、目だけを覆うゴーグルみたいなやつもあるし、逆に目以外を覆うやつもあるよ。あと変わったところでこのサイバーパンク風のヘルメットとかもあったりして――」

 興奮した様子で市道紫帆が語る。

 楽しそうだと思いながら眺めていると、市道紫帆が「そうだ!」と言って顔をあげ、一気に隣へやってきた。

 長い髪がふわっと揺れて微かな香りが漂う。

 それだけじゃない。すぐ隣にやってきた彼女は僕の二の腕に触れて、いたずらっぽい表情でこちらを覗き込んでくる。

 いつもの美少女然としたその顔に僕は手を払うことも忘れて見入ってしまう。

 薄々感じてはいるのだが、市道紫帆は自身が美少女であることを自覚したうえでやっている気がする。なんの躊躇いもなく自分の武器を使ってくるのだ。

 そして僕はそれに抗うことができない。彼女の提案なんてどうせロクでもないことだともう分かっているのに、その可愛らしさに屈してしまう。

 今回ばかりはどうにか断らなければ。グッと腹の下に力を込めて彼女の言葉を待つ

「今日紫帆の家来ない? マスクの試作品があるの」

「……マスクを? えっと、君の家で?」

「うん、2人っきりだよ」

 楽しそうに笑う市道紫帆。なんだろう、これまでだったらにわかに喜べてたかもしれないのに、さっきの採寸の豹変っぷりを見てしまったからなのか、2人っきりというワードにちょっと怖いと思っている自分がいた。

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