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3-4

「そうだった! えへへ、すぐ用意するからね」

 すっかり忘れていたのか、市道紫帆はハッとして立ち上がり、おそらく幼い頃から使っているであろう勉強机の引き出しを開けた。

 やや薄いジュラルミンケースを取り出し、ローテーブルに置く。パチンと音を立ててスライドロックを解除して僕の前で開けてみせた。

「じゃーん、これが試作品です」

 ケースの中に入っていたマスクは布製のものだった。頭からかぶるデザインで、全体的なカラーはネイビーブルーで虫の羽みたいな模様、目の部分は逆三角形を斜めにしてサングラスのレンズをはめ込んでいる。

 どこかで見たような、どこかにありそうな、オーソドックスなデザインのマスクだ。手に取ると滑らかな触感があり、模様の部分は少しだけ質感が違う。上から貼り付けたような感じだ。

 グッと引っ張ると生地が伸びて色のグラデーションが変わった。なるほど、正面から見るとただの黒い布だけど、かぶるとまた違う色遣いになるのだろう。

 チラッと視線を上げると、市道紫帆が期待に満ちた目でこちらを見ていた。かぶってみろということだろうか。

 正直言ってこのデザインはあまり乗り気じゃないのだが、まぁまだ試作品だ。ガチャガチャ言っても仕方がない。

 意を決してかぶってみる。ぴったりと吸着するようなデザインのせいでややかぶりづらかったけど、どうにか首までおろす。

「……どう?」

「いい! さいこう!」

 マスクのサングラス越しに彼女が歓喜の表情を見せる。手を合わせて目を見開き、興奮して近づいてくる。

「めっちゃいいよ! 超似合ってる!」

「どうなってるかこっちは分かんないんだが……鏡とかある?」

「あるよ、はい!」

「……なんか、ヤバい奴だな」

 そこに映っていたのは虫の羽模様のマスクをつけた謎の男だった。少し顔を動かすとグラデーションが変化し、印象が変わる。

 なんていうか、どっからどう見ても変質者だ。ヒーローというよりはヒーローに狩られる側というか。

「大丈夫、最初はどうしても違和感あると思うけど徐々に慣れてくるよ」

「ヤバい奴っていうのは否定しないんだ」

「それは……ほら、ヒーローって元来そういうものっていうか……なにかヤバいことが起きると普通の人は逃げるか通報するかだけど、ヒーローはスーツを着て立ち向かうから」

「それだけ聞くととんだ異常者だ。ていうか、もしかしてスーツもあったりする? これに合わせたやつとか」

 マスクをかぶったまま訊ねてみる。やや暗い視界の中で市道紫帆は嬉しそうにはにかんで立ち上がり、クローゼットを開ける。

 ラックに吊り下げられた大量の服を半分に割って、奥にある引き出しを引っ張る。

 現れたのはペラペラのレオタードみたいなスーツだった。マスク同様ネイビーブルーのカラーリングで、こちらもグラデーション加工がされている。胸の部分や太もも、そして背中にも同じく虫の羽みたいな模様が上から貼り付けられていて、これを着た自分を想像するだけで怖気が走った。

 うーん、まいった。ヒーローってシャツとカーゴパンツとかじゃだめなのか。

「これはまだ柚臣くんの身体のサイズに合わせてないからちょっと足りないか、おっきいかもしれないけど、デザインはこんな感じだよ」

「……なるほどね」

 ひとまず返事をしてマスクを外す。明るくなった視界で改めてスーツを見るが、やっぱり僕に似合うとは思えなかった。

 ていうか、こんなの似合う人がいるのか。

 まぁスーツはもうあそこまで作ってしまったのでおそらくどうにもならないだろう。けどマスクなら、マスクならまだなんとかなるかもしれない。

「なぁ、マスクは、その、ほかのデザインとかないのかな。まだ色々見ておきたいし」

「あっ、そうだよね。マスクならねーほかにはこんなのが――」

 言いながら市道紫帆が再び席を立ち、ベッドの下にある収納ケースを引っ張る。

 出てきたのは先ほどの布製のマスクとは違い、硬い材質のヘルメットだった。

 サイバーパンク風のデザインで前面についているバイザーが二重構造となっている。ヘルメットをかぶったまま外側のバイザーをずらして目だけを出したり、内側のバイザーをずらして口を出すこともできるようだ。頬は通気用らしき穴が空いており、メッシュ生地がかぶせられている。

 なにより特徴的なのは左側のフェイスラインに沿って取り付けられた短い棒状のLEDライトだ。バイザーを軽く叩くとスイッチが入り、ライムイエローの光を放った。

「すごいなこれ……ただのコスプレグッズとは思えない」

 ヘルメットを持ち上げて、内側まで見る。フェイスラインの右側には通信用端末らしきものもあり、ほかにも調整用のバラクラバとベルトもついていて、充電用の端子も見つけた。試しに少しかぶってみると多少の重みは感じるものの、見た目よりはずっと軽い。それに通気性も抜群だ。先ほどのマスクと比べると蒸れる感じもない。

 こんないいものをどうやって手に入れたのだろう。申し訳ないが市道紫帆にこのクオリティのものが作れるとは思えないし、買うにしたってそれなりの、いや、このクオリティならバカみたいな値段になるはずだ。

 ヘルメットを脱いで市道紫帆を見る。視線に気づいた彼女は斜め上を見ながら説明を始めた。

「それはね、確か去年貰ったやつなんだ。ヒーローのガジェットっぽいって思って応募したら当たったの」

「応募で? このヘルメットを?」

「うん。アルパっていうメーカーが警察の特殊部隊に試作品として作ったシリーズの1つだったんだけど、製作費がかかりすぎちゃって制式採用されなかったんだって」

「いや、理由は分かったけど、なんでそのヘルメットがここにあるんだ?」

「一応初期ロット分だけあったからそれを抽選で配布することになったの」

「それで当たったってわけか……ていうか、そんな警察の特殊部隊に使わせる予定だったものを抽選で配布なんかしていいのか? イカれた会社だな……」

「当時の担当者が相当くせ者だったらしいよ」

 そういう問題なのか。市道紫帆の話に疑問を抱きながらも、再びヘルメットを見る。

 デザインはシンプルで、機能性は抜群。あとは使い心地だがこればっかりはまだ分からない。

 ただあのマスクよりはこっちの方がいいような気がする。

「とりあえず、使うとしたらこっちかな」

「そう? んー柚臣くんがそういうなら……じゃあこのスーツと、ヘルメット。これでオッケーだね」

「……そのスーツも?」

 なんとか感情を隠しながらの質問に市道紫帆は「うん」と簡潔に言う。満面の笑みだ。

 あのスーツと、このヘルメット。まずい、これはなんだかバランスが悪い。スーツのデザインもそうだがシルエットが良くない。頭でっかちになってしまう。

 どうにか回避する手段はないだろうか。ジッと考えていると、市道紫帆の後ろにあるパーテーションに貼られたポスターが目についた。

 おそらく彼女がこの前言っていた『ホーネット』というヒーローだろう。レオタードみたいないかにもなスーツを着ていて、その後ろには切ない表情をしているヒロイン、不穏な笑みを浮かべている悪役っぽい男、そしてもう1人ヒーローっぽいスーツを着ている人物が写っている。

 そのヒーローっぽいスーツを着ている人はマントを羽織っていた。スーツだけだと細身に見えるシルエットがたなびいているマントのおかげで印象が違う。

 これだ。これがあれば多少はマシかもしれない。

「あ、あのさ。スーツとヘルメットだけだとアレだから、なんか他にアイテムとかない?」

「他に? あっ、飛び道具とか?」

「いや飛び道具は別に……なんかこう、身にまとうものというか……」

「羽だ! 飛行アイテムでしょ?」

「……そんなのもあるのか」

「いや、飛べるのは流石に……あっ、でもアレならいいかも」

 市道紫帆が立ち上がり部屋を出ていく。

 次は一体どんなコスプレグッズを出してくるのだろうと思っていると、パーテーションの奥からドアが開く音が聴こえた。

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