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3-6

「ただいまー」

 ついで聴こえてきたのは女性の声だ。市道紫帆の家族が帰ってきたのだろうか。

 チラッと市道紫帆へ視線をやると、彼女は目を丸くして固まっていた。このタイミングでの帰宅は予想外なのかもしれない。

「紫帆ー? 帰ってるの? 紫帆?」

 彼女の名前を呼ぶ声が聴こえる。部屋のドアが開けられて、声の主が現れた。

 黒髪で前髪を流したショートボブ。やや頬がこけた鋭い目つきの女性は市道紫帆にそっくりで、一目で彼女の血縁者だというのが分かる。背が高くて、真っ黒なスーツを着ていて、化粧っ気が薄い。なんだか威圧的とまでは言わないが冷たいイメージだ。

 突如部屋に現れた女性は、僕を一瞥し、なにか言おうとして――

「お母さん! 勝手に入ってこないでよ!」

 市道紫帆の声に飲み込まれた。

 やはり母親だった。見た目的に姉ではないとは思いつつ、なんとも言えなかったので困っていたのだが、やっぱり母親だったらしい。

「なにいってるの。いつもは何も言わないのに」

「今はいつもじゃないの! 人が来てるんだから!」

「連れ込んだんでしょ。まったく、親のいない時間を狙うなんてこの娘はもう」

 顔を赤くして怒る市道紫帆に対して、彼女の母親は特に動揺することもなく、それどころかやや強気に言葉を返す。

 確かに娘が自分の留守中に男を連れ込んでるなんてとんでもない状況なのかもしれないが、それに動じずズバズバと冷静に指摘する辺り、市道紫帆の強気で何事にも動じない性格は母親譲りらしい。

 この場合僕はどう立ち回るべきなのだろう。今の状況を呑気に観察していると、再び市道紫帆の母親が僕を見た。

「君、水瀬柚臣くんでしょ? 紫帆から色々聞かされてるけど、とうとう諦めて付き合うことにしたの?」

「え? あーいや、今日はちょっと、用事があってお邪魔してて……」

「どうせこの子に無理やり連れ込まれたんでしょ?」

「つ、連れ込まれた……」

「ちょっとお母さん! やめてよもう!」

 慌てて止めにくる市道紫帆。連れ込まれたって、すごい言い方だ。まぁ、大体合ってはいるのだが。

 なんかすごい母親だ。幼い頃に父が離婚して以来母とは会っていないので、しばらく母親という生き物と接していなかったが、常にこんな感じなのだろうか。それとも、彼女の母親が特別なのか。

「紫帆、あんたが誰と付き合おうがお母さんは構わないけど、もう少しオープンな付き合い方しなさい。隠れてこそこそっていうのは燃えるだろうけど」

「そ、そんなんじゃないもん! ちゃんとオープンで健全なお付き合いだもん!」

 いつの間にか僕たちは付き合ってることになったらしい。まぁ別にここであえて付き合ってないとは言わないけど。僕だってそこまで空気が読めないわけじゃない。

「隠れてこそこそって……んふっ、でへっへ」

「笑っちゃってんじゃん」

「笑っちゃってるし」

 思わず2人でツッコミを入れる。市道紫帆は母親の前でも市道紫帆らしい。

 一瞬で妄想の世界に浸る市道紫帆に僕がドン引きしていると、彼女の母親が背広を脱ぎ、フッと微かに笑った。

「柚臣くん。今日はもう遅いから、夕飯、食べていきなさい。この子が作ってくれるから」

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