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3-8

 突然道の途中で降ろされ、僕は呆然とその場に立ち尽くす。キョロキョロと辺りを見回すが、見たことあるような、ないような。つまるところ知らない道だ。

「……どう考えてもなにかあっただろ」

 送っている途中で降ろすなんて普通じゃない。しかもタクシー代まで渡すなんて。それだったら最初からそうすればよかったのに。

「駅、電車か……」

 車内に搭載されていたあの端末。あれが光ったあとすぐに降ろされた。そして駅には近づくな、電車を使うなという言葉。芙美香さんの仕事は捜査一課の刑事だ。

 察するにあの端末は通信のためのものだ。たとえば、通報があったときに指令を受信するためのものとか。

 歩きながら考える。もしかしたらすぐ近くの駅構内とか駅前でなにか事件があったのかもしれない。職務上、それを無視するわけにもいかないので、僕を慌てて降ろしたのだ。

 なにがあったのだろう。通りにあるビルの近くで止まり、スマホを取り出す。

 ひとまずSNSで検索を――アプリを起動しようとしたところで、市道紫帆から電話がかかってきた。

 来るだろうなとは思っていたが、思ってたよりも早かった。とりあえず画面をスライドタップして応答する。

「もしもし?」

『柚臣くん!? 今どこ!? どこにいるの!?』

 スマホから市道紫帆の甲高い声が聴こえてくる。僕は咄嗟にスマホを耳から離し、画面を軽くにらむ。

 とりあえず頬のあたりにスマホを近づけて、応答した。

「どこ、どこだろうな。まぁ多分駅の近くではあると思うけど」

『ほんと!? 今ね、ネットでニュース流れてて! うちの近くの駅で通り魔? みたいなのが出たらしくて、なんかヤバい色の煙が出たっぽい!』

「情報が随分不明瞭なんだが。通り魔?」

『そうみたい。なんか、駅前がすごい騒ぎになってて、駅員さんとかも倒れてて』

「……たぶん、君のお母さんが言ってたのはそれだな。それの対処にあたってるのかも」

『……お母さん、が?』

 さっきまで甲高い声でキャンキャン言ってた彼女の声が、急に大人しくなる。

 スマホから動揺が伝わってくる。無理もない。いくら母親が常日頃そういう現場で働いているからといっても、実際に危険な場所へ赴いているなんて、ショックなはずだ。

「さっき僕を降ろして現場に向かったはずだ。多分ね」

『……そんな、お母さんが。ど、どうしよう柚臣くん』

「どうしようって言われても、その、無事を祈るしかないだろ」

『うん……そうだよね。それしか、ないよね……』

 市道紫帆の声が段々と小さくなっていく。

 僕はスマホを持ったまま居心地悪く息を吐いた。

『柚臣くんはその、大丈夫なの?』

「君のお母さんが降ろしてくれたからね。電話をもらうまで駅の騒ぎなんて気づかなかったよ」

『そう、なんだ。じゃあ……柚臣くんは気をつけて、その、帰ってね』

「……あぁ、君のお母さんにも言われたよ。わざわざタクシー代までくれた」

『そっか、なら安心だね。良かった……』

「うん、じゃあもう切るよ」

『うん、ほんとに、気をつけてね』

 震える声で囁くように、市道紫帆が僕を心配する。

 通話が終了し、スマホをリュックの外側のポケットにしまう。

 ビルから離れようとしたところで、サイレンが聴こえてきた。首を回して通りを見ると何台ものパトカーがけたましくサイレンを重ねながら、赤色灯をビカビカと光らせて通過していく。

 事態は思っていたよりも深刻らしい。僕はポケットに手を突っ込んで通りを歩いた。

 市道紫帆の情報だと件の通り魔らしき犯人は駅にいるそうだ。色付きの煙というのがなんなのか分からない。発煙筒とか、カラースモークとかって可能性もある。

 もしくは、化学薬品由来の有毒ガスとか。

『柚臣くんはその、大丈夫なの?』

 ついさっきの彼女の声が頭の中で響く。

 心配していた。現場に向かったであろう母親を、近くにいるかもしれない僕を。

 失ってしまうかもしれない恐怖を押し殺して、それでも声は震えてしまって、それでも言葉だけはなんとか絞り出して――

「……なんでこういうときだけ、普通に心配してんだよ」

 吐き捨てるように呟き、僕は角を曲がって路地に入った。

 明らかに使われていない、エレベーターの前に廃材が乱雑に積まれたビルを見つけ、立ち入り禁止の立て札を無視して中に入る。

 近くに人がいないか確認し、柱の陰へ滑り込む。リュックを足元におろし、中からスーツとヘルメットを取り出した。

 素直に言えばいいんだ。僕を誘ったときみたいに、ヒーローになってと詰めてきたときみたいに、いつもの勢いのまま僕に言えばよかったのに。

 母親のことが心配のくせに、僕が危ない目に遭ってしまうかもしれないから、なにも言わずに話を終わらせた。

 そもそも、僕のことが心配だから電話してきたのか。本当は、僕に母親を助けてほしいって思ったんじゃないのか。

「自分は無茶ばっかするくせに、人には気ぃ遣いやがって」

 言いながら服を脱ぎ、スーツを用意する。伸縮性の素材だから手足がパツパツになるとかはなかったけど、そもそも着づらい。

 微妙に違和感があるけど、なんとかスーツを着ることができた。

「そうだ、これも」

 足元のリュックに着替えをしまい、ついでにポンチョを取り出す。

 サッと首に通し、バサッと勢いよく羽織って内側のボタンを留める。

 そのままの勢いでヘルメットを拾い上げ、頭からかぶる。トントンとバイザーを叩くと、システムが起動する。フェイスラインに取り付けられたLEDライトが起動し、視界が明るくなった。

「……よし、行こう」

 装備も済んで柱の陰から出ようとしたところで、僕は足を止める。

 廃材の中に鏡張りのラックがあった。先ほどまで暗い夜の闇しか映していなかったそこに、LEDのライトが反射して僕の姿を映し出す。

 これが今の僕の姿だ。スーツの上にポンチョを羽織り、ヘルメットをかぶった謎の男。これなら芙美香さんだって気づかないだろう。

 グッとこぶしを握り締め、僕は夜の街を駆け出した。

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