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4-2

 警察の追跡を振り切るのは簡単じゃない。

 路地に入って、どこかのビルの裏口を開けて、そこから屋上へ。さらに隣のビルへ何度か移って、近くにパトカーが停まっていないことを確認してから、また別のビルへ移って、そのビルの屋上から降りて、監視カメラがないことを確認したうえですぐに着替える。

 さっきの強盗犯を倒すのに3分もかかっていないが、警察を振り切るのは約1時間だ。まぁ向こうも忙しい身なので本気で追ってるわけではないのかもしれない。

 なんにしても、ようやく追跡から逃れた僕はリュックにスーツとか諸々を中に入れたまま、合流場所である駅近くのバーガーショップっぽいカフェに入った。

 ドリンクを買って2階へあがる。外が見えるカウンター席に座り、一息つく。

 ヒーロー活動を始めて1週間が経過した。

 これまで解決したのは駅の通り魔事件とショッピングモールでのイベント会場襲撃事件、埠頭での爆弾騒ぎに今回の宝石店強盗だ。

 はっきり言って多すぎる。1週間で4件だなんて、僕が住んでいるこの街は本当にいつからこんな治安が悪くなったんだ。

 それとも、元々治安が悪かったけど、ヒーローを始めてそれが可視化されるようになっただけなのか。

 無論、僕は高校生なわけだから、学校生活もそれなりにこなしていかなければならない。あんまりサボりすぎると多分父か相浦さんに釘を刺されるし、そうなったらヒーロー活動はお休みだ。

 今のところ運よく放課後や休日にしか事件は発生していないので、どうにかなっているが、もしここでお昼前くらいに事件が起きたらもうどうしようもない。

 かといって深夜に事件を起こされると困る。いくらヒーローでも睡眠時間は必要だ。

「……もう動画が上がってる」

 市道紫帆が来るまでの暇つぶしに、SNSをチェックしていると、先ほどの宝石店強盗の動画が上がっていた。

 タイトルは『宝石店強盗にスロウ登場!』だった。シンプルで分かりやすい。

 内容もヒーローが宝石店に現れたところから、四人組の強盗を倒すところまでだ。1分ちょっとのショート動画で、最後に僕のセリフが文字起こしされている。

 因みに喋れるようになったのは市道紫帆がヘルメットにボイスチェンジャーをつけてくれたからだ。普通にネットで手に入れたもので、喋れないという問題は意外と簡単に解決できた。

「スロウ……スロウか」

 ヒーローとしてのコードネームだ。最初は『ヘルメットの男』とか『ポンチョの男』とか呼ばれてて、やがて超能力が認知され『スロウマン』とか呼ばれたのだが、そっから略されて『スロウ』と呼ばれ、それが段々と浸透していったらしい。

 今では警察にまで呼ばれている。というか、最初に『スロウ』と呼んだのは確か警察だった気がする。

 ヒーローっていうのは人に呼ばれて名前を手に入れていくものなんだよ――というのは市道紫帆の言だ。一理あるといえばあるかもしれない。

「隣、いいですか?」

 スマホをテーブルに置いて、窓から人々が歩く街並みをぼんやりと見下ろしていると、斜め後ろから声が聴こえてきた。

 市道紫帆だろうか――いや、違う。彼女だったらこんな回りくどい言い方はしない。

 なんだと思いながら振り向くと、そこにはやっぱり見知らぬ女性が立っていた。

 不安になるくらい手足も腰も細い女性。黒髪のボブカットは肩口で綺麗に切り揃えられていてかなり顔が小さい。

 ただ、どこかで見たことのある顔だった。こんな美人なら忘れることはないのだが。

「おじゃましまーす」

 返事も待たずに謎の美人が隣の席に座る。カタンっと静かな音を鳴らして置いたトレイには、でたらめな大きさのバーガーが乗っていた。

 ふわふわのバンズにビーフパティが3枚、その間に目玉焼きとチーズ、その隣には山盛りのチキンナゲットがある。

 まさかこれを全部食べるのだろうか――いや、違う。そんなことよりもだ。突然現れたこの人はいったい何者なんだ。

「……あれ? もしかして、ゆずピ私のこと憶えてない?」

 謎の美人がチキンナゲットを口に放り投げ、怪訝な表情で訊ねてくる。

 ゆずピという呼ばれ方はかなり引っかかるが、今はそこじゃない。

 憶えてるだなんて、それじゃあまるで以前会ったことがあるみたいだ。

 僕がドリンクを持ったまま固まっていると、謎の美人はチキンナゲットを呑み込み、「ショックぅ~」とわざとらしくぼやいた。

「せっかく避難場所も教えてあげたのに。憶えてないんだぁ」

 言いながら、謎の美人はバーガーを口いっぱいにほおばる。

 思ってたよりも一口が大きくて、反対側からソースがドロッと出るが、少しも気にしていないようだった。

「ん~さいこ~」

 目を細めて嬉しそうにバーガーを咀嚼する。口の端についたソースを指で掬い取ってちゅぅっと吸い、呑み込んでもいないのにまたほおばる。

 いやがっつきすぎだろ。あまりの食べっぷりに驚きながらも僕は彼女が言った避難場所という言葉に意識を向ける。

 多分言葉通りの意味じゃない。市内にある避難場所とかそういう話じゃなくて、もっと大きな、大雑把な意味での――そもそも、この人誰なんだ。会ったことあるなんて言ってたけど最近は父と秘書の相浦さんに加え、市道紫帆と彼女の母親である芙美香さんくらいしか話してないような気もするけど、それ以外でなにか劇的な出会い方なんてあっただろうか。

「旧校舎の視聴覚室」

 難しい顔で考え込んでいると、謎の美人が跳ねるような声色でそう言った。

 瞬間、あのときの記憶と隣にいる美人が繋がる。

 上級生にだる絡みされていたとき、突然割り込んできた謎の先輩女子。僕のことも、市道紫帆のことも知っていて、旧校舎の視聴覚室が誰も来なくて快適だと、教えてくれた。

「思い出した?」

 親指についたソースを吸いながら、あのときの謎の先輩女子が訊ねてくる。

 僕は驚きながらも、こくこくと首を縦に振った。

「おもい、だしました。だしましたけど……結局、貴方誰なんですか?」

 ぴしっと、親指を口につけて不敵な笑みを浮かべたまま謎の先輩女子が固まる。

 そう、そもそも僕はこの人を知らない。あのときだって正体を訊ねる隙なんてなくて、色々聞こうとしたらもう消えてたし。

 結局情報量は増えたけど、正体はまったく分かっていないのだ。

 困惑する僕に対して、固まったままの謎の先輩女子。なんでそっちも動揺してんだよ。

「……あれ? 私、名乗ってなかった? いやぁ、名乗ってたと思うけど……」

「いえまったく。一切名乗ってませんでした」

「ゆずピが憶えてないだけじゃない? 名前、言ってなかった?」

「言ってないです。なんか、急に現れて、急に視聴覚室の話して消えました」

「……マジで?」

「マジですね」

「マジかー……」

 表情が固まったまま、チキンナゲットをとって口に入れようとする謎の先輩女子。しかし表情が固まったままなので、チキンナゲットは口に入らず弾かれてぼとっとトレイの上に落ちる。

 のろのろと顔を動かし、落ちたナゲットを拾い上げ、ゆっくりと口に入れる。もぐもぐと咀嚼してから飲み込む。

「そっかぁ、知らなかったかぁ……」

 しみじみと言いながら、謎の先輩女子は両手で頬杖をつき、あさっての方向を眺める。

 今更だが、この人は一体なにしに来たのだろう。ていうか予定では市道紫帆とはここで合流することになっているのだが、今来られたらなんだか面倒なことになる気がする。

「えっと……あなたの正体はともかく、何の用なんですか? 悪いんですけど、これから人と会う約束が」

 とりあえず今日のところは退散してもらおう。やんわりと話を切り上げようとすると、謎の先輩女子は両手で頬杖をついたまま、頬を右手につけて僕を見てきた。

 さっきのなにかを悟ったような表情とは違う。どこか妖しい笑みを浮かべ、こちらを覗き込んでくる。

「市道紫帆ちゃんでしょ? 彼女、少し遅れてくるかもよ」

 グッと眉間にしわが寄る。僕がここにいることはともかく、市道紫帆が来ることを知っている。やはりどこにでもいる美人とは思えない。

「彼女に、なにかしたんですか?」

「あ、怒っちゃった? 大丈夫、なにもしてないよ。たださっきの宝石店強盗の騒ぎで警察は警戒状態を維持してるから。検問とか、職質とか。まっ、紫帆ちゃんは高校生だから関係ないかもだけど」

「本当に関係ないですね。大体、宝石店強盗はもう逮捕されたでしょう」

「ゆずピのおかげでね、いや、それとも、スロウのおかげって言った方がいいかな?」

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