「見てこれ! スロウのTシャツ! あとパーカーも!」
田喜野井先輩がどこかへ消えた数分後、市道紫帆がやってきた。僕を見つけるなり彼女は笑顔を浮かべ、パタパタと近づいて着ている服を見せつけてきたのだ。
いったいどこの誰が作ったのか。Tシャツには写真をキャプチャーして加工した『スロウ』としての僕の姿が描かれていて派手なエフェクトもついている。
さらに彼女が着ているゆったりめのパーカーにも同じく「スロウ」としての僕がいて、ビルの屋上から街を見下ろすといった構図を真横から描いていた。
「これは……なに? どこに売ってたの?」
「ネットで作ってた人がいたの。結構流行ってるんだよ?」
「これが? そんなまさか……」
言いながら僕は視線をめぐらせる。確かに、店内にいる人で『スロウ』のオリジナルグッズ』らしきものを身に着けている女子中学生を2人見つけた。パーカーと等身がデフォルメされたぬいぐるみだ。いつの間に作られたのか。
さらに店内を見回すと、『スロウ』が着ているものと同じデザインのポンチョを椅子にかけている男性もいた。まぁ確かにあれは市販のものだし、集めるのは簡単だろう。
もしかして本当に流行っているのだろうか。戦々恐々としながら僕は席に戻り、隣の席に市道紫帆が座る。
「有名になってきてるんだよ。スロウも」
「不本意ながらそうみたいだ……君が宣伝した?」
「紫帆が? ううん、ちがうちがう」
パタパタと手を振って否定する市道紫帆。スマホとブルートゥースイヤホンを取り出して肩を寄せてくる。
肩と肩が触れ合って、彼女の髪が二の腕に触れる。ふわりと香りが鼻腔をくすぐり、この前彼女の部屋でキス寸前までいった記憶を思い出す。
「ほらこれ。こういうのがね、いっぱいあがってるの」
市道紫帆はあまり気にしていないようで、くっついたまま僕にイヤホンの片方を差し出し、カウンターテーブルに置いたスマホをカタカタと操作して動画アプリを開く。
画面に並んでいるのはおよそ1分から3分、短いものでは数十秒の動画もあった。どれもこれも『スロウ』が現れた場面を撮影している動画ばかりで、彼の活躍っぷりが垣間窺える。
「ほら、スロウって現れてからの事件解決の時間が短いでしょ? こういうショート動画にぴったり収まるくらいなんだよ。だから結構バズったんじゃないかなぁ」
「なるほどね……まぁ別にスロウ本人はショート動画でバズるために早く動いてるわけじゃないとは思うけど」
「そうなの? じゃあこのキメ台詞は?」
スマホの画面が切り替わり、次の動画が再生される。宝石店強盗を倒したスロウが立っていると、画角にパトカーが割り込んできた。
『そこで止まれ! スロウ!』
パトカーから降りた警察官が拡声器越しに声を張り上げる。
それに対してスロウは慌てることなく振り向き、余裕そうな素振りで右手を振った。
『ごめん、君たちが来る前に片付けたよ。えっと……少し早すぎた?』
軽い調子でスロウがそう言って立ち去っていく。動画の再生が止まると、市道紫帆がニヤニヤしながら僕の顔を覗き込んでくる。
「『少し早すぎた?』だって、かっこいいねぇ~」
彼女の視線から逃れるように、僕は左手で頬杖をついて顔を逸らす。
反応したら負けだ。耐えるしかない。
「これってあれでしょ? 自分はスロウって呼ばれてるのに早すぎたって言うことで――」
「あーもう、解説するなって」
言葉をぶった切るように吐き捨てる。まだニヤニヤしている彼女を見て、僕は顔が熱くなっているのを自覚しながらもはぁっと息を吐く。
「あの恰好してるときは、ああいう感じになるんだよ。普段の僕じゃ言えないというか、こう、人格が違うから」
「えへへ、分かる分かる。そのタイプのヒーローもいるもんね」
「理解が早くてなによりだ」
「でもかっこよかったよ。今回だけじゃなくて、これまでもずっと。誰かのために戦ってる姿、私は中々現場では見られないけど、動画で観て、かっこいいって毎回ときめいてるもん」
市道紫帆が祈るように両手を組んで目を輝かせる。
そんなストレートに言われるとそれもそれで恥ずかしい。もっと揶揄うような感じの方がまだマシだ。
もう氷だけになったドリンクをストローで啜る。ずずっと音が鳴って融けた氷だった水が少しだけせりあがってくる。
正直に白状すると、僕はヒーローとして、スロウとして活動することに楽しさを見出してきた。彼女の言う通り、誰かのために戦う、誰かを守るために戦う自分がどことなく、誇らしいと思えるようになってきたのだ。
なにより、こうやって事件を解決した後、僕の活躍がネットメディアにアップロードされ、名も知らぬ人たちから賞賛を受ける。そしてそれ以上に、僕の活躍を見た市道紫帆が満面の笑みを浮かべ「すごいすごい!」と褒めたり「かっこいぃ~」と興奮を抑えながら悶える。
それを見るのも悪くないと思ってしまっている。
我ながら単純な男だ。これじゃあ女性のためにあれこれやる父の姿を笑えない。
「そういえば、お母さんもスロウのこと、話してたよ」
自分の気持ちをどうにか自制しようとしていたところで、市道紫帆が不意にそんなことを言い出した。
話題が変わったことで僕は少しばかりの冷静さを取り戻し、いつもの顔を作って彼女の方を向く。
「話って、どんな話?」
「警察ごっこは困るし放置はできないけど、助かってる部分もあるって」
「それって、褒められてるのか」
「んーどうなんだろ。でもでも、スロウの扱いに関しては警察内部でも意見が割れてるんだってね」
それは僕も聞いたことがある。というより、ネットでそういう記事があった。スロウという存在はいわゆる『無法の執行者』で、最終的に犯人を警察へ引き渡してはいるものの、彼の行いは私刑そのものだと批判する人間もいれば、警察にはできないやり方でその場を強引に終わらせる『正義の味方』だと支持する人間もいるとのことだ。
そして警察内部は、現状スロウを批判する人間の方が多いらしい。彼を支持しているのはもっぱら市井の人々で、ネットで人気というのはそういう意味合いもあるらしい。
実際、つい最近市議がSNSでスロウを支持する旨の投稿をしていて炎上している。「公人が私人逮捕を容認するな」とか「暴力による制裁を肯定するなんて人間性が終わってる」なんて批判の声を見つけた。
僕自身、スロウとしての振る舞いに気を付けてはいるが、どうしようもないときもきっと来るだろう。まぁしかし、それはそのときにならなければ分からないが。
「でも一応助かってるとは言ってくれてるんだな」
「実際スロウのおかげで解決できた事件もあったわけだし! あんまり心配しなくてもいいと思うよ」
「そうだといいけど。君のお母さんとはなるべく敵対したくはないな」
「……それって、紫帆のお母さんだから? し、紫帆との、将来のこととか、考えて?」
「いや単純に君のお母さんが怖い」
ニヤけかけた市道紫帆の顔がスンっと真顔に戻る。
その表情を見て、僕は思わずブッと吹き出し、顔を背けて笑いをかみ殺した。
「あーっ、柚臣くんひどい! なんで笑うの!」
「いやだって、いきなりそんな。ていうか、毎回思うんだけどそういうの自分で言ってて恥ずかしくないの?」
「恥ずかしいよ! 恥ずかしいけど我慢してるんだから!」
「我慢するくらいなら言わなくていいと思うけど。あと声大きいよ」
「柚臣くんのせいだからね!」
もーっと言いながら市道紫帆がバシバシと僕の二の腕を叩く。そんな顔を赤くするくらいならよせばいいのに。
「まぁでも、大丈夫だと思うよ。柚臣くん強いし。たとえお母さんを怒らせたとしても、アレ使えば逃げられると思うし」
「……アレね」
言いながら自分の掌を見下ろす。
スロウがヒーローとして有名になったのはこの力の影響が大きい。
超能力。ネットではこの力に対して多くの意見が飛び交った。本物の超能力だという人もいれば、あれはフェイク映像だと言う人もいて、しまいには警察や犯人は全員スロウとグルで、ヤラセであの動きをしているなんて言う人もいた。
『今更ですけど僕以外にも超能力者がいるってことですか?』
『そりゃあね。君は世界中に点在する超能力者の1人』
田喜野井先輩との会話を否が応でも思い出す。
彼女の話はどこまで本当なのだろうか。
全部が全部真実だという証拠はどこにもない。あの人が都合のいいことを言って僕をからかっているだけなのかも。
「……もしさ」
街を見下ろしながら僕は呟く。
途端にシリアスな声色に市道紫帆は飲んでいたドリンクを置いて、小首を傾げて僕を見てくる。
「もしも、僕以外にも超能力者がいるって言ったら、君は信じる?」
唐突な話に市道紫帆は全くついていけず――なんてことはなく、目をキラキラと輝かせてズイッとこちらに身を寄せてきた。
「いたの? やっぱり? 他にも超能力者が? 見つけたの?」
「いや、そういうわけじゃなくて、その、いると思う? って話だよ」
「あーいると思うかどうかね……紫帆はね、いると思う! いや、いる! 昔っからいると思ってたもん! 絶対いるよ!」
なんだか嬉しそうな表情で断言する彼女。どちらかというといてほしいみたいな言い方だ。
「やっぱり超能力を使うヒーローには超能力を使うヴィランがいないと! 話が盛り上がらないよね!」
「いや、僕は別に。スムーズに事件が解決できればそれでいいんだけど」
「えー絶対ほしいよぉ。戦ってほしいもん」
「……戦うのは僕だろ?」
ふにゃふにゃと笑う市道紫帆。冗談じゃない。普通の犯罪でも厄介だというのに、超能力が伴った犯罪だなんて。絶対一筋縄ではいかないはずだ。
まぁとはいえ、超能力者だなんて、早々出てこないだろう。田喜野井先輩の発言が本当だったとしても世界各地に点在しているのだ。この街に集まるわけがない。
なんだか言えば言うほどフラグになっているような気がするが、本当にありえないだろう。まだ見ぬ超能力者同士の対決に心ときめかせている市道紫帆を横目に、僕はカウンターテーブルに肘をついて溜息を吐いた。