「……超能力者か!」
咄嗟に両腕を突き出し、降り注いでくるイスとテーブルをスロウにした。
空中で浮いているかのように緩慢な動きになった家具を見て、僕は素早く立ち上がって周囲を警戒する。
田喜野井海美から話を聞いていたとはいえ、まさか本当に現れるなんて。
しかも厄介なことに超能力者は姿を隠している。どこかに隠れて僕を狙っているはずだ。
「……くそっ!」
言ってる間にも再び襲いかかってくる。テーブルはもちろん、ナイフやフォークが瞬く間に飛来する。
先ほどテーブルをスロウにできたところを見る限り、超能力による干渉はできるみたいだけど、飛んでくるもの全部に仕掛けることはできない。というより、したくない。まだ相手の姿も分かっていないのだ。力は温存しておきたい。
ゆえに、ここはひたすら避けて相手を探すしかない。僕を狙って攻撃している以上、完全に隠れているわけではない。どこかで僕を見ているはずだ。
それに、先ほどからひとつの方向からしか物が飛んでこない。同時に複数からというのはできないのかもしれない。
「スロウ!」
逃げている僕を呼んだのは市道紫帆だった。一度立ち止まって視線を向けると、彼女が不安そうな顔で僕を見ていた。
いや、市道紫帆だけじゃない。その場にいた人質のほとんどが、スロウというヒーローを不安な顔で見ていたのだ。
そう、その場にいる殆どが――
「……まさか」
誰にも聞こえないような声量で呟く。
微かに生じた違和感。頭の隅でチリチリと燻る疑念に僕は呆然としてその場に立ち尽くす。
突如飛来するテーブル。なんの発射機構もなく後ろからきたそれに、僕は右手を突き出して超能力を仕掛ける。
目の前でテーブルがスロウになったところで、また後ろから物音が聴こえてくる。慌てて振り向くとすぐそこに何枚もの皿が縦に回転しながら襲い掛かってきた。
飛来してくる皿を躱し、近くに床に転がっていたテーブルナイフを1本手に取る。
座り込んでいる人質達の一番後ろにいる人物。給仕の制服を着た若い男へ、僕は手に取ったナイフを投げつけた。
ナイフが給仕服の男へ飛んでいく。彼は驚いた顔で僕とナイフを交互に見る。
他の人質達も混乱している。ヒーローとして戦っていたはずのスロウが突如人質の1人に攻撃を仕掛けてきたのだから。
だが、市道紫帆だけは違った。
彼女だけは僕の行動を、その意味を信じているようだった。
その証拠に、彼女は少しも動揺することなく、真剣な眼差しで僕を見ている。
裏切るわけにはいかない。僕はスッと右手を出して、たった今自分が投げたナイフへ手を伸ばす。
だけど、まだ超能力を仕掛けない。
給仕服の男へナイフが迫る。その先端が男の鼻先に触れるか触れないかギリギリまで接近したその瞬間――ナイフが空中で止まった。
目の前で静止したナイフを掴み、給仕服の男が顔を真っ赤にして投げつけてくる。
接近するナイフに手をかざし、超能力を仕掛ける。すぐにナイフはスロウになり、空中で減速した。
「なんでっ!」
給仕服の男が立ち上がる。僕を睨みながらバッと右手を振ると、イスが飛んでくる。
タイミングを合わせて後ろ回し蹴りを叩きこむと、イスの脚が折れて床に落ちる。
攻撃が当たらなかったことに給仕服の男が驚く。その一瞬の隙をついて、僕は男へ超能力を仕掛けた。
給仕服の男がスロウになる。ゆっくりと近づくと近くにいた人質達が距離を置き、道をあける。
近くまで来たところで足を勢いよく振り上げる。ミドルキックが相手の胸元にヒットして給仕服の男は通常の時間を取り戻すと同時に、そのまま後ろへと吹き飛んだ。
「ぐっ、うぅ……」
うつ伏せに倒れる給仕服の男。僕は彼を見下ろしながら近づき、腕を拘束して床に叩きつける。
「窮地に陥った僕を皆が不安そうな目で見ていた。だがお前だけは違った」
身体を床に押し付けながら、男に向かって話す。
「僕じゃなくて、周りを見ていた。不自然なくらいにキョロキョロと目を動かして、僕の周りを見ていたんだ。大方、僕にぶつけるものを選んでたんじゃないのか?」
「くそっ! 殺してやるっ! スロウ!」
「もう遅いよ」
ガッと、身体だけではなく頭を抑えつける。給仕服の男は黒目だけをギョロっと動かして僕を睨みつけてきた。
「超能力を持ってるからって、遊びすぎたな。最初の時点で、もっと重たい物で僕を圧し潰せばよかったんだ。それとも、大きなものは持ち上げられなかった?」
「……大きなものだと? ハッ、どうかな」
抑えつけられながらも、給仕服の男は口角を吊り上げる。
今のはただの強がりか、まだなにか仕掛けるつもりなのか。
ひとまず殴って眠らせよう。身体を膝で抑えつけ、グッと左手に力を込める。
バチンッとなにか奇妙な音が聴こえた。
物が千切れたような音だ。なにか、硬いものが耐えきれずに壊れたかのような、そんな音が店内に響く。
音が聴こえてきた方へ振り向く。なにもない。ただ困惑した人質達がいて、その中には当然市道紫帆もいて、彼女は上を見ているようで――
「バカがっ!」
天井に吊り下げられた大きなシャンデリア。ガラスなんだか鉄なんだか知らないが、それなりの大きさのシャンデリアが今まさ落ちようとしていた。
「きゃあぁあぁあぁっっっ!!!」
誰かの悲鳴が聴こえる。
僕が止めるしかない。慌てて身体を起こし、落ちてくるシャンデリアに向けて両手を伸ばす。
シャンデリアの全体像を捉え、グッと力を込める。
人質達の頭にぶつかる寸前で、シャンデリアはスロウになった。
「逃げろ! 早く避難しろ!」
目の前まで迫ったシャンデリアを見て呆然とする人質達へ、声を張り上げる。
僕の声で皆がハッとして、慌ててシャンデリアの下から抜け出す。
最後の1人、小さな子供が母親に手を引かれてメインダイニングから抜け出したその瞬間、自分の脚から力が抜けていくのを感じた。
片膝をついて崩れ、同時にシャンデリアが本来の時間を取り戻す。
ガッシャァアァンッと、床に落ちた瞬間派手な音を響かせてその一部が砕け散る。
なんとか助けることができた。でももう無理だ。超能力の連続使用。しかも最後はあんな大きなものに使ったせいで身体が重い。
視界が明滅する。だめだ、ここで倒れるわけにはいかない。まだあの超能力者を捕まえてないし、ここで倒れたら突入してきた警官隊に捕まってしまう。
とにかく立たなければ――グッと膝を握り締め、立ち上がろうとしたそのとき、背後に誰かの気配を感じた。
決まってる。あの給仕服の超能力者だ。あいつが動けない僕にとどめを刺そうと近づいてきたんだ。
「ヒーローってのは大変だな」
後ろから給仕服の男の声が聴こえてくる。まずい、動くんだ。なんでもいいから動かなければ。
「せっかくの超能力を誰かのために使わなきゃいけないんだから。んなもん、自分のためだけに使えばいいってのに」
「……それで、お前が選んだのはテロリズムか? せっかくの超能力を?」
「悪いか? 俺の選択だ。俺は俺のやりたいことのために超能力を使うんだよ」
「……やりたいこと、ね」
言葉を返しながらどうにか息を整える。でもだめだ。まだ力が入らない。超能力をしかけるどころか、意識を保っているのもやっとだ。
「もう限界なんだろ? スロウ。ヒーローごっこなんてやってるからそうなる。お前も俺みたいに自分の力でこの世界をなんでも思い通りにすれば――」
「ふざけんな、僕はお前とは違う」
相手の言葉を遮るように言い返して、ヘルメットのバイザー部分を少しだけ開ける。
隙間から淀んだ空気が入り込み、それを深く吸い込んでせき込む。
ゴホッ、ゴホッと咳をしながら、それでも、給仕服の男に背を向けたまま立ち上がった。
「僕の超能力は世界をなんでも思い通りにする力なんかじゃない。いや、たとえそうだったとしてもそんなことはしない。僕が望むのは平穏な日常だ」
それはヒーローになる前からずっと抱いている願いだ。今だって、そんな日々がいつか訪れることを信じている。
でも僕は気づいた。気づいてしまった。
願いを抱いているだけじゃどうにもならない。
これまでいくつかの事件を解決してきた。事件を起こす人、それを対処する人、傷つけられる人、巻き込まれる人。たくさんの人が僕の願いに関わっている。
そして僕は、それを解決することができる。超能力はそのための力だ。
確かに僕がやっていることはヒーローごっこだ。市道紫帆の口車に乗って、なりゆきでヒーローをすることになった。
事件が起きて、それを解決して、ネットで評判をチェックして、ヒロインが喜んでいるところを見て嬉しくなり、ヒーローとしての自分をひそかに誇らしいと思っていた。最初は彼女の強引な態度を嫌がって、ヒーローになんてなりたくないなんて思っていたのに、今は悪くないと思っている。
これをヒーローごっこ以外のなんというのか。
ただ、それでも。無私の精神じゃなかったとしても、いや、むしろヒーローごっこだからこそ、譲れないものがあるのだ。
「僕がヒーローごっこだとしたら、お前はヴィランごっこだな。大層なテロリズムだってそうだ。結局薄皮を剝がせば他人を傷つけたいっていう薄汚い欲望しかない。ヴィランごっこで、テロごっこってわけだ」
言いながら振り向く。給仕服の男はあからさまにイラついているようだったが、不思議とそこに恐怖は感じなかった。
そう、僕は分かっていた。見えていたんだ。
奴の後ろで市道紫帆がイスを持って振りかぶっている姿が――
「……上等だてッ!」
てめぇという前に、給仕服の男の頭にイスが思いっきりぶつけられる。
勢いよく横から叩きつけられたイスはバキィッと音が鳴って壊れ、その破片が飛び散る。
同時に男も白目を剥いてイスの残骸にまみれながら倒れ込んだ。
背もたれだけのイスを持ったまま市道紫帆が肩で息をする。
倒れた男を見て、すぐに僕を見る。僕はヘルメットを操作してバイザーを閉じた。
「大丈夫? えっと……スロウ?」
どう呼ぶのか迷ったのだろう。市道紫帆はイスだったものを放り投げてゆっくりと僕に近づいてくる。
この流れは良くない。彼女は瞳を潤ませてこちらへと近づき、ヘルメットへと手を伸ばしてきた。
「あぁ、助かったよ。君のおかげだ」
市道紫帆の手がヘルメットに触れる――前に、僕は彼女の手を掴んで引き寄せた。
その勢いのまま半回転して、市道紫帆を給仕服の男から引き離す。
最初は驚いていたが、すぐに距離をとられたことを察すると、不満そうな顔で見上げてくる。
「今の僕は君が望んだヒーローだからね」
肩を竦めてそう言うと、市道紫帆は不満そうな顔から一転して微笑んだ。
機嫌を損ねることが回避できたところで、先ほど避難していた市道紫帆の母親が戻ってきた。一緒にいたはずの娘がいつの間にかいなくなっていることに気付いたのだろう。
今絡まれるのは困る。僕は両手をあげたまま市道紫帆から離れ、そのままレストランから出ることにした。