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4-11

 レストランでの立てこもり事件解決もあって、スロウの名前はかなり有名になった。

 スロウが活動の拠点としているK県Y市はただでさえ多かった観光客がさらに増えているとのことだ。

 そして、皮肉なことに人が増えたことで犯罪係数も増加した。市道紫帆の話によると、ここ最近彼女の母親は忙しくて家に帰っていないらしい。

 当然、スロウである僕も市内をあちこち走り回った。そのせいで学校には眠りに行っているようなもので、秘密の場所である旧校舎の視聴覚室を利用する頻度も増えた。

 そして今日も昼休みになったところで視聴覚室を訪れたのだが。

「あっ、柚臣くん。おつかれさま」

 市道紫帆が先に来ていた。視聴覚室の湾曲したテーブルの上でスロウのスーツの修復をしている。

 ヘルメットはともかく、スーツはそんな特別なものではないから修復もできるのだが、それにしてもこうして傷んだ箇所を繕っているところを見るとヒーローに対するヒロインというよりも相棒役みたいだ。

 おつかれ、と言いながら彼女の隣に座り、机に腕をのせて溜息を吐く。

 チラッと視線を斜め上、室内中央にある大きなモニターへ向けると、無音でリアルタイムのニュース番組が放映されていた。

 そして彼女のすぐ近くには無線機が置いてある。なんでも、母親が使っている無線機をこっそり改造して警察の無線を拾えるようにしたらしい。

 スーツの修復とか無線機の改造とかますます『椅子の男』ポジションだ。

「お疲れみたいだね。大丈夫?」

「相浦さんをごまかすための夜遊びの理由がそろそろなくなってきたところだよ」

 うんざりといった調子でまた溜息を吐く。ここ最近は夕方だけじゃなく、朝も夜も事件が起きている。登校途中でバスジャックに遭遇したときは思わず肩を落としてしまった。

 今のところ夜に出歩いても相浦さんに怪しまれてはいない、と思う。そもそも彼女は僕の家で寝泊まりしているわけではないので、出かけるたびに言われるなんてこともないのだが、かといってこれ以上言い訳を重ねるのもそろそろ厳しくなってきた。

「いっそのことカミングアウトして相浦さんに協力してもらおうかな……」

「柚臣くんがスロウだってこと? えぇ~だっ、だめだよぉ!」

 市道紫帆が手を止めて迫ってくる。あまりの勢いに僕は机に両肘を置いたまま上体をのけぞる。

「どうしてよ、相浦さん、口は固いからそんな心配しなくてもいいと思うけど」

「でもでも! その相浦さんって人柚臣くんの秘書なんでしょ?」

「父さんの秘書だよ。かなり仕事ができる人みたいで、父さんも気に入ってる」

「より良くないと思う! しかも美人なんでしょ?」

「……どうだろうな」

 スマホを取り出して相浦さんのSNSのアカウントを検索する。

 ロクデナシのヒモの恋人やらと一緒に写っている写真があり、それを市道紫帆に見せた。

「こんなん」

「美人! 思ってた以上に美人! 柚臣くんこんな美人と毎日お風呂入ってるの!?」

「入ってねぇよ。そんな爛れた関係だと思ってたのか」

「だ、だって個人秘書でしょ!? 上司の息子だから命令に逆らえずエッチなお願いを聞き入れてしまって……みたいなやつ! 良くない! ひじょうに良くない!」

 良くないのはお前の想像力だ。

 なんで市道紫帆の中で僕は生意気なエロガキになっているんだか。

「言っとくけどマジであの人とはそういう感じじゃないから。まぁ、少し歳の離れたお姉さんって感じじゃないかな」

「よりエロい!」

 カッと目を見開いて絶叫する市道紫帆。なんなんだこいつは。

 あまりの暴走っぷりに肩肘で頬杖をついて、だっはぁーっと溜息を吐いた。

「そりゃ綺麗な人だとは思うけど、僕の好みじゃないよ」

「ほんとに? じゃあ、柚臣くんの好みの女の子ってどんなタイプ?」

 頬を赤くしながら市道紫帆が訊いてくる。

 正直に白状すると、特になかった。

 テレビとか雑誌とか日常生活で出会う女性で、あの人いいなって思ったことがあまりない。綺麗だとかかわいいとか思うことはもちろんあるけど、なんというか、それは世間に迎合して言っているだけに過ぎず、自分が心から思ったことがあまりにないというか。

 無論性欲がないわけじゃないけれど、そういう好きって女の子のタイプというか興奮するポイントってだけで、どっちかというと性癖って言った方が正しい気もする。

 なんだろう、しかしここでヘタなことを言うとまたガチャガチャとうるさくなるか、機嫌が悪くなるかの二択な気がする。どっちにしてもめんどくさい。

 かといって答えないというのはナシだろう。好みの話は僕が言ったわけだし。

 さて、どう答えるべきなのか。父はこういうとき確かどうやってたっけ――いや、だめだ。僕が父のやり方を真似るにはまだ経験も覚悟も足りていない。

 とりあえずここは無難な言い方をしてお茶を濁すしかないだろう。

「あー……あれかな。一緒にいて楽しい人がいいな」

「ふーん、紫帆のこと?」

「まぁ……そうかも。中らずと雖も遠からずかな。あとは、沈黙が苦にならない人とか」

「あぁー紫帆のこと?」

「えっと……そうなのかな……そうか。あとはあれだね、趣味が合う人だといいね」

「柚臣くんの趣味って?」

「いやまぁ大層なものじゃないけど、家で映画を観ることくらいかな」

「一緒! 紫帆も映画めっちゃ好き! えぇ~! 相性良いね!」

「……そうっすね」

 なんか今のやりとりだけでドッと疲れてしまった。

 これ本気で言ってるのか計算で言ってるのか。いやまぁどっちにしてもだけど。

 ていうかなんの話をしてたんだっけ。確か相浦さんにスノウの正体をカミングアウトしてとかそういうことだったような。

 あぁ、なんかもうめんどくさくなってきたな。

 くあぁっと口を開け、あくびをする。

 すると市道紫帆はハッとした顔をして、机に腕を置いて身を乗り出してきた。

「柚臣くん眠い? 疲れちゃった?」

「君の話に付き合ってたら眠くなったよ」

「ふふふっ、リラックスしてる証拠だね」

「いやそんな……いや、一理ある、のか?」

 皮肉を返したつもりが論破された気がする。

 確かに言われてみればそうなのかもしれない。いやそうなのか。普通に疲れさせられただけじゃないか。

 思わぬカウンターに表情筋を目まぐるしく動かしていると、市道紫帆は嬉しそうに微笑み、サッサッとスカートを払った。

「じゃあじゃあ、紫帆が膝枕してあげる。ここに頭のせて寝ていいよ」

 市道紫帆がふわっと腕を広げ、僕を迎え入れるポーズをとる。小さい子供を招き入れるように「おいで~」なんて言ってくる。

 僕はそんな彼女を見つめ、制服のブレザーを脱ぐ。

 適当に畳んで机の上に置き、スカート越しの彼女の太ももに頭を乗せた。

「ふぇっ!? ゆ、ゆずおみくん!?」

 頭上から甲高い声が聴こえてくる。突然のことに身動きがとれないのか、彼女は腰をくねらせるだけだ。

「なんだよ、寝ていいよって言っただろ」

「い、言ったけど! まさか本当にくるなんて思わなかったというか!」

「じゃあやっぱりやめとく?」

「えぇ!? えっと……やだっ! やめない!」

「じゃあこのまま頼むよ」

 ふーっと息を吐き、腕を組んで目をつぶる。

 長い椅子の上で膝を立ててリラックスすると、やがて眠気がじわじわと意識を侵食してくる。

 枕代わりの市道紫帆の太ももは、存外悪くなかった。というより良かった。

 適度に柔らかく反発があって、なにより温かい。

 寝ているときに誰かが近くにいるなんて、もうずいぶんとなかったから、人の体温というのがこんなにもいいものだなんて、すっかり忘れていた。

 さっきから翻弄されてばかりだったので、突発的に向こうの提案に乗ってみたのだが、結構効いているようだ。

「この前のレストランの立てこもり事件の疲れ、まだ残ってる?」

 暗闇の中で市道紫帆の声が聴こえてくる。この前の立てこもり事件、確かにあの後僕はどうにか家に帰れたのだが、自分の部屋に戻った瞬間寝落ちしてしまった。

 そして翌日は身体が動かなかった。超能力を使い過ぎたせいなのかもしれない。

 あれから1週間ほど経過しているので、さすがに疲れは抜けているけれど。

「ほんとに、びっくりした。お母さんとご飯に行ったらいきなりあんな目に遭って。でも、怖くはなかったよ。柚臣くんが来てくれるって、信じてたから」

 彼女ならそう言うと思った。市道紫帆はいつも僕が来てくれることを、どうにかしてくれるって信じてるから。本当におめでたい人だ。

「あのとき、落ちてくるシャンデリアから守ってくれたとき、すごいかっこよかったよ。やっぱり、私が言ったことは間違いじゃなかった。柚臣くんは、私のヒーローだよ」

 頭に市道紫帆の手が触れた気がした。

 細い指に髪が絡まり、するりとすり抜けていく。

 きっと、僕は今撫でられているのだろう。

 優しくて柔らかい手つきは思ってた以上に心地よくて、意識がどんどん深いところへと沈んでいく。

「……柚臣くん、起きてる?」

 市道紫帆がなにか訊いてきた。

 残念ながらそれに答える気力は今の僕に存在しない。ひとまず鼻から息を抜いて返事をする。

「……寝てるかな」

 意識が曖昧になって思考が融けていく寸前で、なにかが唇に触れた。

 柔らかくて瑞々しいなにか。それがなんなのか考えようとしたところで、僕の意識は深い眠りの中へと落ちていった。

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