スロウが解決する、もしくは遭遇する事件はほとんど突発的なものだ。
ひったくり、何らかの理由で暴れている人、無銭飲食に自転車泥棒。ひどいときはスロウにケンカを売ってくるチンピラ達なんてケースもある。
もっとヒーローらしく大規模で組織的な犯罪があるかもなんて始めたばかりの頃は思っていたけど、今のところ対応したことがない。
この前の人質立てこもり事件なんてかなり珍しい方だ。まぁあれは事件もそうだったが超能力者がいたという意味でもかなりのレアケースだったのだが。
因みにあのとき戦った超能力者は何1つ話題になっていない。市道紫帆にも訊いたのだがどうにも不可解なものだった。
なんでも、事件が終わった後の聴取中に突然警察とは別組織っぽい人達が現れ、超能力者に関して説明をしてきたらしい。
と言っても「突発的に現れた謎の存在で、こちらも調査中」としか教えてくれなかったようで、さらに「このことは他言無用でお願いします」と釘を刺されたらしい。
そしてその男達は、警察の人達となにやら揉めていたとか。
市道紫帆が言う警察とは別組織っぽい人達というのは、十中八九『組織』のことだろう。頭の中に田喜野井海美の顔が思い浮かび、またもやもやと消える。
あの超能力者に関して『組織』の連中は把握していたのだろうか。
僕の考えではおそらく把握していなかったものだと思う。あそこは超能力者が関わる事象や事件を取り扱う組織だ。もしも事前に知っていたら僕を派遣するのではなく田喜野井海美本人が出張っていたはず。
彼女は今も超能力者である僕の監視任務を続けているのだろうか。だとしたら――
「少しは手伝ってほしいけどッ!」
ダンッと強い力で車の天井を蹴って、隣を走るトラックの荷台部分に飛び移る。
そのまま前へと進み、立って道路を見回すと、もうすぐ通り過ぎるスクランブル交差点の近くで、でたらめな速度で走っているタクシーを見つけた。
警察が職務質問で捕まえたとき、財布を落とした隙に逃げ出した男がいた。
そいつは近くで客の荷物を降ろしていたタクシー運転手を突き飛ばし、さらに、タクシーを奪ってその場から逃走したのだ。
このままでは不審人物を捕り逃すだけではなく、一般市民にも被害が出てしまう。
こうなったらスロウの出番だ。今日はまっすぐ家に帰るつもりだったけど、まぁこうなっては仕方がない。
トラックがスクランブル交差点に差し掛かり、僕は横へ跳び降りる。
着地と同時に前転をして、その勢いのまま走り出す。
スクランブル交差点をトラックが抜けたところで信号が変わる。さすがにまだ歩行者はいないけれど、彼らは信号が青に変わるのを今か今かと待っている。
こんなところにタクシーが突っ込んできたら大事故になる。交差点の真ん中で止まって首を回すと、不審人物が乗ったタクシーが尋常じゃない速度でこちらへと迫ってきた。
異常事態に周囲の人々がどよめきの声をあげる。今ならまだ間に合う。ここで止めるしかない。
暴走するタクシーに真正面から立ち向かい、男と車両の姿を捉える。
スッと右手を挙げて、目の前まで迫ったところで超能力を仕掛けた。
一瞬でスロウになる車両と男。さて、問題はここからだ。
車内にいる男へ接触するには干渉する必要があるのだが、それをすると本来の時間を取り戻してしまう。
そうなったら元の木阿弥だ。ゆえに干渉するとしたら手早く仕掛け、さらにもう一度超能力を仕掛けなければならない。
タイミングが重要だ。スロウになった車両に近づき運転席のドアに触れる。
僕のもう1つの超能力で鍵を開け、運転席のドアを開け――タクシーが本来の時間を取り戻した。
急激に加速する車両。すぐさまもう一度超能力を仕掛け、再びスロウにする。
ドアが開いたままスロウで動いている車両へ近づき、中を覗く。
グレーのニット帽をかぶったひげ面の男。すぐに捨てられるようにシートベルトなんてしていなくて、驚いた表情のままスロウになっている。僕は躊躇することなく男の腕を掴み、思いっきり力を込めて車両から引きずり出した。
「うわぁっ! あぁっ! あぁ? なにが!? はぁ、はぁ……あぁ!?」
横断歩道に転がると同時に男が叫ぶ。やがて自分が車から降ろされたことに気が付き、困惑の表情を浮かべ、近くにいた僕を見上げた。
「な、なんだおまえ……スロウ? な、なんでこんな」
混乱しっぱなしの男に右手をかざす。男がスロウになり、ようやくパトカーが駆けつける。
このまま放置してもいいのだが、そうするとタクシーの処理に困るだろう。なにせ干渉した瞬間突っ走るのだから。
「動くな! そこから動くな!」
パトカーから降りた警官が言いながら近づいてくる。そしてさらにもう2台警察車両が駆けつけ、さらに警官が増えていく。
「待って、まずは市民の避難を優先!」
新たに現れた警察車両の中から女性の声が聴こえてくる。
聴いたことのある声だ。その場から動かずジッと立っていると、スポーツタイプの車両からスーツ姿の女性、市道紫帆の母親、市道芙美香が降りてきた。
彼女は僕、というよりスロウを見つけると、一瞬驚いた顔をしたが、すぐにキッと厳しい表情を見せて近づいてくる。
そして彼女の部下らしき人達も続く。何人かを引き連れて僕の前で立ち止まった。
「スロウ、これはあんたが?」
市道芙美香が険しい視線をぶつけてくる。知り合いの母親にこんな目で見られるなんて、中々できる体験じゃないだろう。
僕はスッと右手を動かして、スロウの状態で座り込んでいる男を紹介した。
「誰も触らなければしばらくはこのままだ。今のうちに捕まえるといい」
「そう……あのタクシーも? 随分ゆっくり動いてるみたいだけど」
「あれは少し面倒だ。誰かが乗ったその瞬間、元の時間を取り戻す。数時間はあのままだが止めるには車を壊すしかない」
「……はぁ、分かった。あれは私達でなんとかする」
「そうしてくれ。頼むよ」
わざとらしく肩を竦めると、市道芙美香は短く息を吐き、軽く首を横に振った。同時に後ろで控えていた背広姿の男が彼女へ耳打ちする。
ここからでは聴こえないやりとりをして、後ろで控えていた男達がバタバタと動き出す。
当然男は拘束され、連れていかれた。